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2011年11月10日木曜日

夏目漱石『門』

漱石の作品の中で、私がいちばん好きなのが、この『門』だ。高校の時、模試の問題文で出た、「彼は門を通る人ではなかった。また門を通らないですむ人でもなかった。要するに、彼は門の下に立ちすくんで、日の暮れるのを待つべき不幸な人であった。」という文章に強く惹かれた。それから、何度か読んだが、その度に違った感動を与えてくれる。
崖下の家でひっそりと暮らす夫婦の話。
親友の妻を奪う形で結婚した宗助とお米。そのために二人は世間から指弾され、宗助は大学を中退、エリートコースから転落、何とか官吏の職を得、社会の片隅でひそやかに生きることになる。
二人の罪の意識が切ない。特にお米の三度の妊娠が、流産、死産など、ことごとく悲劇的な結末に終わったのを、「人の恨みによる呪いのため、一生子どもはできない」と易者に断じられる場面などはたまらないな。結婚して子どもができた立場で読むと、それがいかに残酷であるかが分かる。
ひょんなことから崖上の家主と交流が生まれ、やがて、家主の弟が、お米の前夫安井と知り合いであることが判明する。いつ何時、安井が宗助夫妻の前に姿を現すか分からない状況に、宗助は動揺する。彼はその苦境から救われようと、参禅による悟りを求めた。
鎌倉の禅寺を紹介され、修行に取り組むが、結局悟りは得られない。信仰は宗助を救ってはくれなかったのだ。
三角関係、伯父に父の遺産を使い込まれるといったエピソードなど、後の『こころ』を思わせる内容である。しかし、『こころ』よりも救いがあるな。
お米さんが可愛らしい。逆境にありながらも二人が深く愛し合い、支え合う姿が健気だ。
どうにか危機は去り、夫婦には、つかの間の平安が訪れる。「ほんとうにありがたいわね。ようやくのこと春になって」と言うお米に、宗助は答える。「うん、しかしまたじき冬が来るよ」
『こころ』を知っている私は思う。宗助、死ぬな、お米さんと二人きりでいい、寄り添って生きてくれ。

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