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2011年11月12日土曜日

その昔「安芸」という居酒屋があった

小田急線、和泉多摩川の近くに「安芸」という居酒屋があった。
桂小文治さんが学生の頃、アパートに遊びに行くと、決まってこの店に連れて行ってくれた。小文治さんが卒業した後も、私たちはここに足繁く通ったものだった。
暖簾をくぐると、手前が居酒屋、奥がスナックという変わった造りだった。手前の居酒屋と、奥のスナックに、それぞれおばちゃんがいて、この二人の仲が頗る悪かった。二人ともいつも酔っぱらっていて、よく喧嘩をしていた。
大して食べ物が旨かったわけでもない。焼き鳥の焼き加減はいつもまちまちだったし、おでんはいつ入れたか分からないぐらい黒っぽい色をしていた。酒は広島の「千福」。お燗を頼むと、いつもやたら熱かったような気がする。
私たちは、いつも座敷に上がって、おでんと焼き鳥をつまみに、やたら熱い燗酒を飲みながら、くだらない話で盛り上がっていた。
客層はほとんどが中高年で、学生は我々ぐらいだった。一度、私たちに説教してきたおじさんを取り巻いて、結局奢ってもらったばかりか、一人1000円ずつ小遣いを貰った。飲みに行って黒字になったのは、後にも先にもこの時だけだった。
そのうち、おばちゃんの酔い方が、尋常ではなくなってきた。小文治さんに連れて行ってもらった頃は、酔ってはいたが、勘定はしっかりしていた。ところが、その後、勘定も滅茶苦茶になっていった。馬鹿に安い時もあれば、ちょっと高い時もある。そんなに馬鹿高いことはなかったが、会計の時はちょっとしたスリルを味わった。安い時は、帰りの夜道ではガッツポーズをし、高い時は「今日は外したな」と反省しながら歩いた。
二人のおばちゃん同士の喧嘩も、常態化してきた。怒号、罵声の飛び交う場所で酒を飲むのは、あまり心地よいものではなかった。
ある時、ひどい喧嘩があって、さすがに私たちもあきれて早々と帰ったことがあった。しばらく足が遠のいていたが、「そろそろ大丈夫だろう。行ってみるか。」という話になった。店に近づくにつれて、何やら人の声が聞こえてくる。店の前に立つと、明らかに中は派手な喧嘩の真っ最中だった。「こりゃ駄目だ。」と私たちは引き返した。
その後、もう一度行ってみると、もう「安芸」という名前の店はなくなっていた。ああいう店だったが、私たちはその時、深い喪失感を味わった。何だかんだ言って、私が初めての馴染みになった飲み屋だ。ここで私は酒の味を覚え、人生の機微をちょっとだけだが、味わうことができたのだった。

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