小田急線の狛江駅前。ここはよく通った。
狛江と和泉多摩川のちょうど中間ぐらいに、学生時代の桂小文治さんが住んでいたアパートがあった。小文治さんは私が1年の時の4年生。恐れ多いことだが、実によく遊びに行かせていただいた。
もともと小文治さんのアパートは落研部員のたまり場のようになっていて、来客用に鍵の置き場所も決めてあった。私も勝手に鍵を開けては上り込み、小文治さんが大龍というラーメン屋のバイトから帰ってくるのを待ったものだ。
小文治さんは、「おう伝助来てたか。」と言って、「風呂行くぞ。」と銭湯に連れて行ってくれた。そして、あの「安芸」でお酒を飲ませてくれた。
酒を飲みながら、色々と落語のことを教えてくださった。ある時、「伝助、お前は低っ口調だから陰気なんだ。売れてる落語家は皆高っ口調だぞ。」と言われた。私はもともと高い声なのだが、無意識のうちに渋く声を作っていたのかもしれない。それ以後、気を付けるようになって、私の落語は幾分明るくなった。
小文治さんが卒業した後は、同輩の弥っ太君がそのアパートに入った。しかし、弥っ太君は「落研部員のたまり場」に住むことに耐えかね、1年経って経堂に越していった。
その後に入ったのが、1年下の牛丼君だった。それから、私の卒業までの2年間、よく行ったなあ。
3年の「みな好き会」近くだったかな、突然歯が痛くなって、3日間、牛丼君のアパートに居続けたことがあった。(一人でいるのが寂しかったんだよお。)牛丼君は薬を買ってきてくれたり、冷水で冷やしたタオルを載せてくれたり、献身的に看護してくれた。わがままな先輩だったなあ。申し訳ない。
そういえば、このアパートの牛丼君時代、しばしば猫が窓から入って来た。どこか近所で飼われている猫らしく、よく太って毛並みもつやつやしていた。しばらく私たちと部屋で遊ぶと、やがてのそりと窓から出て行った。黒がちのブチで、私はその猫に「ユリスモール・バイハン」という名前をつけた。萩尾望都のマンガ『トーマの心臓』の登場人物の名前である。黒ブチの猫の顔が、ユリスモールの黒髪を思わせたのだ。マンガのユリスモールは陰のある優等生だが、猫の方は至って鷹揚な大人であった。
日曜の午後、陽だまりの中、ユリスモール・バイハンを腹の上に載せ、うとうとするのは至福のひと時であった。そんな風に落ち着いているけど、よく考えると他人の部屋なんだよな。いかんなあ。
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