京須偕充の文章に出てくる出口一雄は、いつもコップ酒を傾けている。
京須が出口と交流を持つようになったのは、昭和48年。三遊亭圓生のレコード制作の交渉がきっかけだった。
出口は京須との初対面の時、いきなり京須の前に握り拳を突出し、「三遊亭はこれだ。」と、圓生が金にうるさいことを示した。
出口は、ぶっきらぼうでシャイでとっつきにくい。しかし、落語を愛し、芸人を愛する心は、その数少ない言葉の端々に滲み出た。
『みんな芸の虫』の「出口一雄―鬼の目にも涙」の中でも白眉といわれる、山本益博監修桂文楽全集レコード制作でのエピソード。山本が、文楽の失敗作、『品川心中』と『鶴満寺』を収録しようとしたことを知った出口が、涙ながらに訴える。
「待て。理屈を言うな。あの二席がセコなことは分かっているんだろうな。それが分からなくちゃア、芸が分かるとはいえない。セコだと分かっていて、セコだからこそ収録したい、って言うその理屈が俺にゃア堪らないんだ。そういうわけの分からないことを言うな。黒門町が嫌いなのか。好きなら、変な理屈は言うな。文楽のいいところだけでなぜ全集を作ってくれないんだ。いいものも悪いものも半々っていう噺家じゃアないんだ。黒門町は。数は少ないが、みんな飛び切りに良くって、あのふたつだけが間違いだったんだ。文楽のためにもあの二席には封印してやってくれ。なア、頼む。あの二席は諦めてくれ。可哀そうじゃないか、黒門町が。」
出口の文楽に対する深い愛が胸を打つ。
結局、この二席は全集に収録されなかった。さすがの山本も出口の言葉に折れざるを得なかった。
その数日後、いきつけの洋食屋で、京須相手に日本酒を飲みながら、文楽の思い出話をする場面もせつない。
「黒門町の最期は、かわいそうだった…病院のベッドで、血を吐いてな…」
出口はここでも大粒の涙を流す。
「あれだけの名人だったんだ。あれだけいい噺家で、あんな品のいい綺麗な芸だった…。だから、せめて死ぬ時は…、高座であんなことになっただけに…、せめて逝く時だけは…、綺麗事にな…、わかるだろ、綺麗に往くところに往かせてやりたかった。それが…。くやしいけれど、思うようにゃアいかねえ」
そして、こう言う。
「俺は落語が好きだ。他のことは何ひとつ分からない。落語しかないんだ。俺には。その中でも黒門町が好きだな。芸はよし、ひとはよし、あんないい噺家はいない」
いいだろ。京須偕充の文章の中でも最高の部類に入るな。古本でしか読めないのが勿体ないよ。
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