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2014年6月30日月曜日

続幇間考

以前、「幇間考」という記事を書いた。今回はその続編。
幇間というものに興味を持ったのは、小沢昭一の『芸人の肖像』という本を見てからだ。
その中の「吉原の幇間」とタイトルがついている写真がよかった。宴席なのだろう。一人の老幇間が御飯をよそっている。それが何ともいい形なのだ。
こんなふうによそってもらった御飯は、さぞ旨いだろう。いや、こんな人がいる宴席はさぞや心地いいだろう。その写真は、そんなことを思わせるのに十分な説得力を持つ一枚だった。
落語の方に、幇間噺の枕で振る小噺がありますね。幇間には主体性というものがまるでない、というやつ。
「おい一八、いい天気だな」「いい天気ですねえ。まさに日本晴れですな」「でもちょいと雲が出て来たぜ」「ずいぶんまた雲が出てきましたな。ことによると一雨来そうですな」「ゆんべの刺身は旨かったな」「へえ、あんな旨い刺身はありません」「ちょいと筋があったかな」「筋だらけだよ、歯に挟まって大変でした」「あの三公ってやつ、おれは嫌いだよ」「あたしも嫌い。あんな嫌な奴はいませんよ」「でもちょっとかわいいとこがあるぜ」「かわいいんです。あれでなかなか本当に」「どっか行こうか」「行きましょう」「面倒臭えな」「やめましょう」
いやあ、見事なカウンセリングマインドですな。話題がこんなだから、すこぶるいいかげんだけど。古今亭志ん朝が、『鰻の幇間』の枕で、名人といわれた幇間の言葉を紹介しているけど、これがいい。
「おれたちは喋っちゃダメなんだ。お客にどんどん喋らせる。自慢でも何でも、とても興味を持って聞く。そして、ただうなずいているんじゃなくて、『これはどうなんですか』と質問すると、『うん、よく話を聞いてくれた』ってんでまた喋る。この、こっちが喋らないでお客の話を聞くってのが難しいんだよ」
まさにその通り。側にいて、話を聞いてくれて、変なアドバイスをしたりなんてことがない。うまく気持ちを察してくれて、楽しい方へ向けてくれる。
そりゃあ、祝儀も切りますよ。贔屓にもしますよ。金があれば、こういう遊びをやってみたかったねえ。
昔の落語家には、幇間をやっていた人がけっこういた。昭和の大恐慌で寄席が大打撃を受け、(本当に景気が悪くなれば、生きるために必要なことから遠い商売がまず駄目になる)食えなくなった落語家が、幇間に転向した。そして、戦争が始まって花柳界が駄目になると、また落語家に復帰した。
この間大福さんが『堀の内』で書いてた四代目三遊亭圓遊とか、我らが七代目橘家圓蔵師匠なんかもその口だ。
圓遊なら明るくてつやつやしてて、宴席も楽しかったろう。圓蔵師匠の屈折具合は宴席では映えなかったろうな。(事実、売れなかっと雷門福助は言っている。)
幇間噺が得意な落語家といえば八代目桂文楽だが、文楽にお座敷を務められると格式が高すぎる。私なんか緊張しちゃうだろうなあ。アンツル並みの図々しさがあれば迷わず文楽なんだけど。
むしろ三代目春風亭柳好の方が楽しそう。私のお座敷では柳好を指名しよう。って、どっちにしても贅沢な妄想だなあ。

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