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2017年12月14日木曜日
『友川カズキ独白録 生きてるって言ってみろ』
土浦イオン、未来屋書店のリサイクル本コーナーで買う。
友川カズキ。1950年生まれ。秋田県山本郡八竜村出身。フォーク歌手。
といっても、ほとんどの人は知らない。
大学時代、秋田県出身の女の子に訊いてみたら、知っていたけど、「あんなの歌じゃないです」と一刀両断された。
このブログでも何度か書いているが、私は高校時代からこの人のファンであった。しかも、私の大学時代のアパートは、友川のアパートと番地が1つしか違わなかった。通っていた銭湯も同じで、同じ湯船に浸かったりもしていたのだ。
2015年刊。65歳になった友川カズキが、自分の半生を、仕事を、人生観を、縦横無尽に語り尽くす。
中学2年で中原中也の「骨」に出会って詩作を始めた。能代工業高校でバスケットボールがやりたくて中学浪人し、高校時代は部活に明け暮れた。上京して就職するが、色々あって故郷に舞い戻り、ぶらぶらしていたところを能代工の恩師から中学校のバスケのコーチを紹介され、指導者を目指すが、挫折。故郷にもいられず、上京し、川崎で日雇いの肉体労働をしながら、詩作、曲作りにのめり込む。1974年、24歳で歌手デビュー。
本人曰く、「歌だけで食えた例(ためし)がないんだな。よくステージでも言いましたよ。『土方が歌ってるのか、歌手が土方やっているのか、自分でもよく分かりません』って。」
以来40年以上、それでも友川は歌い続けている。その間、友川はずっと友川だった。叩きつけるようにギターをかき鳴らしながら、難解な歌詞を秋田訛で、叫ぶように歌う。まるで血管が切れそうなくらい。長いキャリアを積んでも、少しも洗練されることはない。それがすごい。
この本の冒頭で友川は言う。
「私、ひとりでなければなんにもできないって思ってるんです。
自分自身、変な人間だとは思っていますけどね。生活も性格も破綻寸前でなんとか踏みとどまってるに過ぎないんですが。表現者の端くれとしては、『ひとりである』ということがすべての起点であり、基準であり、全部でもあるわけなんです。群れちゃダメだ、簡単に他人と肩を組んだり握手しちゃいけないってね。それだけは、今も昔も変わらない。」
見事なもんだな。友川カズキという人間が、このセリフに凝縮されている。いいなあ。個人であることがしんどいこの国で(「日本国民は個人として尊重される」という日本国憲法の条文を、「人として」に変えたがっているようなこの国で)、気負いもせず、さらっとこんなことが言える友川は、やっぱりかっこいい。
初エッセイ集の『死にぞこないの唄』が、幾分青臭い、若さに任せて突っ走る感があったのに対し、こちらは年を経て、さらに強靭になった感じ。たこ八郎との交友、名曲『無残の美』のもとになった弟の自殺、ギャンブル、絵、等々、内容も分厚い。そうか、息子が4人もいるんだなあ。(ふと気づいたが、恋愛の話だけがない)
よく文学書で『芥川龍之介必携』とか『宮澤賢治必携』とかあるけど、まさに『友川カズキ必携』的な1冊であります。
余談だが、あの友川が住んでいた川崎のアパート「藤荘」は、元青線だったそうな。知らなかったよ。あの辺、ただの住宅街だったんだけどなあ。
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