この間、南千住を歩いた時の写真をもう少し、載せてみる。
千住宿は日本橋を起点とした奥州街道・日光街道の一つ目の宿場町である。水戸街道への分岐点でもあり、交通の要衝として栄えた。宿場は隅田川を挟んで現在の北千住が本宿、南千住が下宿と呼ばれた。
五街道の一つ目の宿場、品川(東海道)、新宿(甲州街道)、板橋(中山道)は千住も含めて、それぞれ遊郭としても知られている。これらを総称して四宿といい、落語では『四宿の屁』という噺が残っている。
千住遊郭の跡は北千住にあるようだ。落語『藁人形』の舞台はこちらの方かもしれない。ただ南千住の「コツ通り」にも飯盛り女を置いた旅館が立ち並び、たいそうな賑わいであったという。
コツの語源になった小塚原には江戸時代の刑場があった。安政の大獄における吉田松陰、橋本佐内らもここで処刑された。常磐線、南千住・三河島間の車窓からは「首切り地蔵」が見える。
南千住といえば、昭和の時代にはプロ野球東京オリオンズのホームグラウンド、東京スタジアムがあった。
物置にこんな本があったのを思い出して持って来た。
「下町の球場」、「光の球場」といわれた東京スタジアム。しばし在りし日の姿に思いを馳せておりました。
6 件のコメント:
私が小学生の頃、もうプロ野球の試合は行われていませんでしたが、建物は残っており、大人たちの目を盗んでコンクリートの客席から天然芝のグラウンドを覗きにいった思い出があります。球場の下にボーリング場があった記憶も。「光の球場」なんて思いっきりウルトラチックで昭和なネーミングも今となっては誇らしいですね。どうしても若い頃は外の世界に興味が行きがちでしたが、落語や街歩きに興味を持ち始めてから、我が街南千住界隈への愛着がちょっとずつ深くなりました。写真の掲載、ありがとうございます(球場の写真、手前の通りが千住間道だと思います)。moonpapa
コメント、ありがとうございます。
南千住、いい街でした。
また伺いたいと思います。
その時は、高木屋さんのジャンボパンを食べてみたいです。
いつも読ませてもらっています。
京成線堀切菖蒲園駅に実家があったので、千住のお話はなつかしいです。
1975年くらいの話ですが、常磐線の電車の中での子供の会話として、ある雑誌に載っていたものです。
電車が南千住を通過する時に、「星飛雄馬の実家は、この辺にあったんだぜ」と友人に語っていたというもの。
そういう雰囲気の街でした。
御贔屓ありがとうございます。
私は生まれも育ちも茨城県で、東京は憧れの地でした。
常磐線で上京する時、江戸川を渡って東京都に入った辺りから上野まで、ずーっと街並みを見ていたものです。
コメントを拝見して、思わずネットで「星飛雄馬」を検索してしまいました。あの長屋の住所は、「町屋9-16」だったとのこと。同じ梶原一騎原作の『あしたのジョー』の丹下ジムがあった泪橋は、南千住にほど近い所にあるようです。
今度時間を作って歩きに行こうかなあ。お勧めのスポットがあったら教えてください。
私にとって、泪橋という地名は小さいころからの耳馴染みのあるものです。当たり前のようにその辺で遊んでいましたから。でも、丹下ジムがそこにあったかどうかはあまり関心がありませんでした。ネットで調べると詳しく調べている方がいるものですね。あそこに川が流れ、橋が架かっていたなんていったいどれくらい前の話なん?・・・でも、落語もそうだと思いますがリアルにすれば良いというものでもなくて。やはり想像することのロマンとでもいいましょうかね。泪橋から台東区側に行ったところに「いろは会商店街」というのがあって、そこの入り口に(土手通り側)ジョーの像が建ってます。
話しは変わりますが、落語「今戸の狐」には骨の賽(コツ(小塚原)の妻)というフレーズがあったり、滝川鯉昇さんの「千早ふる」では南千住のホステスが登場したり?と、なかなか落語界には馴染みのある土地柄なんですね、ここいらは。
追記 「棒鱈」、題名ばかりであまり聴いたことがないのでちょっと楽しみにしてみます。
『あしたのジョー』をリアルタイムで見ていた私にとって、泪橋は土手があって橋があって、バラックのような丹下ジムがある所でした。
黒門町の八代目桂文楽宅跡地は今は細長い空き地になっていますが、私はそこを訪れるたびに、在りし日の姿に思いを馳せます。
「想像することのロマン」というのは、やはり良いものですね。
滝川鯉昇の『千早振る』、1回ラジオで聴きましたが、爆発的な面白さでした。貴重な噺家さんです。
『棒鱈』、面白いですよ。お勧めは柳家さん喬かなあ。
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