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2024年8月15日木曜日

8月15日

朝、カレーライス、納豆。

父は遺族会の代表で武道館へ行く。

妻と墓参り。妻はそのまま実家へ。

私と息子たちは留守番。


昨日、岸田首相が自民党総裁選に出馬しないことを表明した。衆院解散もできずに辞任に追い込まれるというのは、前首相の菅義偉と同じである。

物置から持って来た、ジュリアス・ファスト『ビートルズ』(池央耿訳・角川文庫)を読む。私が初めて買ったビートルズ本だ。奥付を見ると、昭和51年12月20日12版発行とある。


昼は次男が作った冷やし中華。旨し。

食べ終わって食休みをしていると、石岡の伯母さんがお寿司を買って来てくれる。夕飯に回すことにする。

15時頃、妻が帰る。父は18時頃帰って来る。

夕食は寿司でビール、酒。食後に妻と缶チューハイ。

寝しなにカティーサーク。


今日は終戦記念日。テレビの追悼式を見ながら、正午に黙祷。


ただ、8月15日は、昭和天皇がポツダム宣言受諾を国民に公表した日であって、戦争が終わった日ではない。日本政府がポツダム宣言履行を定めた降伏文書に調印した9月2日、またはその翌日9月3日を、第二次世界大戦が終結した日と定める国が多い。

日本国民にとっては、天皇から直接(ラジオを通してだけど)「我が国は戦争に負けたのだ」と言われたのだから、その衝撃は大変なものだったのだろうし、だからこそ、8月15日が「終戦の日」として強烈に記憶されたのだと思う。

制空権、制海権はとうに奪われ、全国の目ぼしい都市は空襲にさらされ、兵隊や物資を輸送する船はことごとく沈められた。それでも軍部はかたくなに戦争を継続し、「本土決戦」「一億玉砕」を掲げて、上陸する敵に国民を竹槍で立ち向かわせようとした。広島、長崎に原爆を投下され、ソ連が参戦して、やっと降伏を決めた。その理由もあくまで「国体護持」であって、国民の犠牲に向き合ったわけではない。

この事実を前にして、私は深いため息をつく。この国の指導者にとって、我々国民の命は鴻毛ほどの重さもなかった。有為の若者に爆弾を積んだ飛行機や船で体当たりをさせ、沖縄を捨て石にした。子どもには学校で「国のために死ね」と教えた。

戦争は人を狂わせる。美しい物語にだまされてはいけない。

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