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2024年10月30日水曜日

平日のお休み

朝、御飯、味噌汁、ハムステーキ、納豆。

今日は年休消化でお休み。

ドラマ『ライオンの隠れ家』の録画を観る。神栖市波崎が主なロケ地。太平洋と利根川に挟まれた砂州のような地形をした町。何にもないけど、好きな町なんだよな。二人暮らしの兄弟。兄は市役所職員で、弟は高機能自閉症。そこに「ライオン」を名乗る男の子が同居することになる。「ライオン」は幼い頃別れた異母姉の子らしい。色んな謎がちりばめられていて、続きを見ずにはいられなくなる。この頃、テレビドラマづいているなあ。

妻はお友達とランチだというので、一人で買い物に出掛ける。

土浦イオンで、佐藤愛子の『血脈』、中・下巻を買う。高山T君に勧められて上巻を読んだら面白くてハマってしまった。佐藤紅緑、サトウハチロー親子を軸とした佐藤家の物語。出てくる人間が、まあろくでもない。それにしても濃い話だなあ。読み切るまでには、まだまだかかりそうだ。

帰る途中、寄り道をして土浦の川口辺りで写真を撮る。まずは京成ホテル跡地の広場。


ヨットハーバーがすぐ近くにある。

 



観光遊覧船の乗り場があった辺りも歩く。とっくに営業をやめているが、まだ船はつないである。


最新鋭の超高速船だった。メルセデスベンツ製だぞ。



土浦の霞ケ浦はちょっと哀しい。悪臭とまでは言わないが、アオコの匂いがつんとくる。

昼は木田余の吾妻庵にしようかと思ったが、お休み。ならば、神立の福寿でラーメンチャーハンだ、と向かうが、そこも閉まっていた。途方に暮れかけるが、ここは初心に帰って蕎麦を食おう。すぐ近くの蕎麦屋、寿々喜に入る。

大もり蕎麦、800円。テレビではワールドシリーズをやっている。8回裏で6対4とヤンキースのリード。おかみさんは「大谷じゃない方が勝ってる」と言っていた。


けっこうな盛り。いかん、食い過ぎた。

13時頃帰る。あとはゆっくり過ごす。

夕食は、スープ餃子、焼きさば、もつ煮込みで酒。食後にウィスキー。

週の真ん中のお休みはいいねえ。


2024年10月27日日曜日

コキアを見に行く

朝、御飯、味噌汁、ハムステーキ。妹からもらった卵が「黄身の色が濃い」というので、卵かけご飯にする。確かに。旨し。

ひたち海浜公園のコキアが見頃の最後を迎えているというので、見に行くことにする。息子たちにも話をすると「行く」とのこと。親子4人で出かける。

まずは役場に寄って投票を済ませる。1時間ほどのドライブでひたち海浜公園に到着。

早速、みはらしの丘に向かう。けっこうな人出。


 コキアは真っ赤の時期をちょっとばかり過ぎたか。




丘を下りて、次男のおごりでソフトクリームを食べる。旨し。

お昼は、つまみ食いをしてお腹が減らなかったので、帰り道、コンビニで買ったパンを涸沼の湖畔で食べる。

午前中の天気とはうって変わって、今にも雨が降りそうな曇り空になる。


夕方、地区の会議。19時頃帰って夕食。塩鶏鍋、たこ焼き、さつま揚げで燗酒。食後にウィスキーを少し。

『団地のふたり』を観て寝る。衆院選、自公過半数割れか。

2024年10月26日土曜日

今日はお休み

朝、トースト、スープ、魚肉ソーセージとちくわの卵炒め。

朝イチで床屋。散歩がてら歩いて行く。




9時過ぎ帰宅。先週はコミュニティーまつり、先々週はOB会とイベントが続いたので、今日は家でゆっくりすることにした。『風街ろまん』を聴きながら、山口瞳『家族』を再読。読了。

昼はスパゲティを茹でてレトルトのボロネーゼをかけて食べる。

息子が図書館で『成瀬が天下を取りにいく』を借りて来る。早速読ませてもらう。本屋大賞受賞作。面白いなあ。視点となる人物が話ごとに違う。そこで描かれる、一風変わった女の子、主人公成瀬が超然としていてかっこいいい。まるで違うジャンルだが、『哭きの竜』を思い出した。最終話でその成瀬の内面の葛藤が語られる。胸が熱くなったよ。滋賀県の地元密着型小説。滋賀県に行きたくなった。一気読みで読了。

息子が珍しく「運転する」というので、一家で漫遊亭に行く。焼肉をつつき、ビール、レモンサワー、ホッピーを飲む。お腹いっぱい、旨し。

帰って、日本シリーズを見ながらウィスキーを飲む。

2024年10月22日火曜日

新宿

私たちがよく行った都会と言えば、新宿である。何せ、大学から小田急線一本で行ける。

寄席は新宿末広亭、コンパや映画は歌舞伎町、西武新宿駅の近くにはよく行った居酒屋「庄助」があった。

OB会の前に新宿をぶらついた。その時の写真。

西口に出る。小田急デパートがなくなっていた。




外国人観光客に大人気の思い出横丁。

新宿西口駅の前のヨドバシカメラ。

宿は青梅街道沿いの西鉄イン。

部屋からの眺め。

朝食をとって8時半にチェックアウト。朝の新宿を歩いていると、夜明かしして川崎へ帰る時の気だるい後ろめたさを思い出す。





朝の大ガード。

細い建物見っけ。

色んなものが混在していて捉えどころのない街だなあ。そこが面白い。

2024年10月20日日曜日

今日の日記

朝、パン、スープ、チキンナゲット、ウィンナーソーセージ入りスクランブルエッグ。パンには「マッシュルームいちばん」を塗って食べる。旨し。

今日は朝から市のコミュニティーまつりの手伝いに行く。地区のコミュニティーの役員をやっているのでお呼びがかかったのだ。



昼はスタッフ用に用意してくれたカレー。秋空の下で食べるカレーは旨い。

実は一昨日から風邪を引いている。先週、妻と息子二人が風邪を引いた。最後に私に回ってきたか。昨日、朝イチで医者に行き、薬を飲んでいる。何となく快復してきたかな。

さといもをお土産に買う。

15時終了。さつまいも、れんこんをお土産にもらう。帰って、CDをかけながら少しごろごろする。

この頃、少し疲れた時には、はっぴいえんどの『風街ろまん』がお気に入り。このアルバムは細野晴臣の曲がいいなあ。名曲「風をあつめて」はもちろん、「暗闇坂むささび変化」「夏なんです」も好き。大滝詠一の「空いろのくれよん」「はいからはくち」もいいよ。

ジャケットは4人のメンバーの顔の4分割。ビートルズの『ウィズ・ザ・ビートルズ』を意識したか。ビートルズが黒に対しはっぴいえんどは白を基調にしている。

夕食は、買って来たさといもを使って妻が芋煮鍋にしてくれた。父のお土産の柿の葉寿司、もらってきたカレーもつまみにして燗酒を飲む。

妻と『光る君へ』。

『団地のふたり』を観て寝る。

 

2024年10月17日木曜日

石岡市茨城、松坂屋

OB会から帰って来て、ミニつくばに行った。途中、石岡市茨城の松坂屋でお昼を食べた。

茨城(「ばらき」と読む)は、県名の起源となっている。

『常陸風土記』に言う。昔、穴の中に住む、土蜘蛛と呼ばれた土着の盗賊がいた。黒坂命(くろさかのみこと)が、それを退治するために、穴に茨(いばら)を仕掛けた。戦が始まると、盗賊たちは茨の棘にかかって全滅。その後、「茨の城」から郡名を「茨城」としたという。

で、松坂屋である。

私がよく見るブログに登場していて存在は知っていたが、入店は初めて。何で有名かと言うと、まずはもり蕎麦の写真を見て欲しい。それがこれ。


おまけに茄子と海老の天ぷらがもれなくついてくる。これでは、ほぼ「天もり」と言っていいのではないか。

もり蕎麦、550円。これに400円出せば、ミニ丼がつけられる。セットメニューには目がない貧乏性。うろたえ気味にミニ親子丼も頼む。もり蕎麦を食べ終わったところで親子丼が登場。

 

玉ねぎではなく長ねぎを使っているのね。旨し。あっという間に完食したが、いかん、食い過ぎた。60を過ぎているのだから調子にのってはいけない。次は、もり蕎麦大盛でいいや。

2024年10月15日火曜日

OB会、そして今夜は十三夜

14時半頃、新宿に着く。

会場の「わらやき屋」を確認して、今夜の宿、西鉄インにチェックイン。


 ベッドに横になり、BSの「火曜サスペンス劇場」の再放送を1時間程見て、店に向かう。

入り口で同期の弥っ太くんが道に迷っていたので回収。エレベーターでは1年下の扇松くんと一緒になった。

中では一番乗りの八海くんが待っていた。その後、続々とメンバーが集まる。私たちが4年の時の1年が、もう還暦を過ぎた。皆、貫禄が付いたなあ。

メンバーは、同期から八海、酒合丈、弥っ太、伝助。1つ下は風公、大福、松時、のん平、露漫、牛丼、扇松。2つ下は五里ん、小鉄、おち坊、千兵衛。3つ下は乱頭、牛車、ペコちゃん。私が現役の頃知っていたのはここまで。さらにその下から5名、参加してくれた。(高座名をよく知らないので、個々の名前は記さない。)

前回のOB会が2017年の7月。その間、2022年に松弥くんが、そして今年の3月、楓さんが亡くなった。二人を偲び、八海くんの発声で献杯をする。松弥くんとは前々回の2012年、楓さんとは前回の2017年に会ったのが最後になった。二人のご冥福を祈る。

いよいよ2時間の宴会が始まる。私はピロリ除菌中のため、ウーロン茶で付き合う。何年か前だったら身の不運を嘆いていただろうが、今回は大丈夫。酒の力を借りずとも楽しい。

扇松くんが持って来たノートが大ヒットだったな。ノートは、当時、部室に置いてあった自由帳。私たちは「言いたい放題」と呼んでいた。なんで扇松くんがこんなものを持っているんだ? 自分が書いているものなどを読むと、こっ恥ずかしいが懐かしい。

あっという間の2時間だったよ。名残惜しくてイタ飯屋で二次会。1時間ほど飲んで喋って、再会を誓う。みんな達者でな。

私は八海くんと西鉄インに向かう。23時頃には就寝。おれも健康的になったなあ。

翌朝、8時、八海くんと朝食をとる。ホテル内のサンマルクカフェ。私はBLTホットサンドにアップルジュースを選ぶ。


1時間ほど話をして、清く分かれる。八海くんは横浜の娘さんの所へ行くそうだ。先年、孫が生まれ、めろめろになっている。孫かあ。うちはいつのことになるやら。

また会おう。みんな、それまで元気で。


で、今夜は十三夜。


晩飯に栗御飯、けんちん汁、秋刀魚の煮たの、デザートに月見団子を食べる。旨し。

OB会の時、牛丼くんに「伝助さん、ブログ読んでいますよ、幸せそうですね」と言われた。「何で?」と聞くと、「お酒飲んで、落語やって」だって。好きなことを好きなようにやっているってことか。まあ自分なりに色々あるんだけど、そうか、確かにそれが幸せなんだな。この毎日を大切にしよう。

2024年10月14日月曜日

OB会の前、川崎市を歩く

落研のOB会が東京であった。

こういう時は早めに出掛け、学生時代ゆかりの地を歩くことにしている。

10時過ぎ、川崎駅西口に立つ。私は大学の4年間、この街に住んだ。


昔は、繁華な東口に対し、文字通りの裏口だった。かつての工場の跡地に大型商業施設ができて、昔日の面影は、もはやない。

私が住んでいたアパートのあった方に向かって歩き出す。

当時もあった狸小路飯店。入ったことはない。

よく買い物に行った南河原町銀座。

アパートがあった路地。

新しいマンションがばんばか建って、ほとんど昔の面影はない。

今回はあえて道はいつもの反対側を歩いた。この辺りは山口瞳の『家族』の舞台でもあるのだ。彼は昭和57年、幼少期自分が住んだ家があった所を探しに行く。それが、川崎市幸区柳町付近。私が住んでいた南幸町とは大通りを挟んだ向こう側にあたる。

突き当りに変電所がある。

東電の変電所。

山口瞳と同じように変電所の塀沿いに歩いた。

突き当りに南武線の土手が見える。

ある日、山口瞳の母は幼い彼を連れて南武線の土手を上った。我が子を道連れに電車に飛び込んで死のうと思ったのである。山口家が川崎に移り住んだのは父の事業が失敗したからだ。夜逃げ同然に彼らはこの町にやって来た。1年間の夫の不在や借金取りの来襲など、彼の母はそこまで追い詰められていたのだろう。結局、この親子心中は未遂に終わった。

山口瞳が昭和57年当時、訪れた商店も付近にあった蕎麦屋も今はない。彼が住んでいた頃は、川が流れ、ため池が至る所にあったという。旧町名である河原町というのが、それを物語っていた。もちろん、今はそんな気配は微塵も感じられない。

尻手駅から南武線に乗る。尻手の駅はほとんど変わらない。少しだけほっとする。




大学へは南武線で通った。尻手から、矢向、鹿島田、平間、向河原、武蔵小杉、武蔵中原、武蔵新城、武蔵溝ノ口、津田山、久地、宿河原、そして登戸まで。途中駅は今でもそらで言える。

登戸で降りる。『虎に翼』で戦中から戦後と、猪爪家が暮らした町だ。

登戸駅も立派になった。

駅前は再開発をしているらしく、わずかに残っていた昔の建物もすっかり取り壊され更地になっていた。


小田急向ヶ丘遊園駅まで歩く。南口の駅舎は、北口のを模したかわいらしいものになっていた。


ここらで昼にしたい。カレーのインドールはすでにない。ダイエーの方に蕎麦屋があったはずだと行ってみたら、ラーメン屋になっていた。


家系はちょっと今日はきついなあと思い、また引き返す。

喫茶店のランチを見つけ、そこに入る。


ベーコンピラフのセット、800円。炒めるタイプ。旨かったよ。夜はスナックになるみたい。コーヒーはサイフォンで淹れるやつ。旨し。静かで落ち着けるいい店だった。



かつての通学路をぶらぶら歩く。この辺はあまり変わらないなあ。





大学までの坂道を上る元気はちょっとない。昔、民衆というレストランがあった踏切を渡る。



落研御用達、雀荘みどりがあった小道に入る。カルーセル麻紀似の美人のおばちゃんが切り盛りしていて、きさくで優しかった。私が居眠りしていると、「伝助っ、ここは宿屋じゃないよっ!」と叱られたものだった。もちろん、もうおばちゃんはこの世にいない。みどりもなくなってしまった。

ところが奥に進んで行くとけっこう昔の家並が残っている。




 

あの町中華は、みどりで出前を取っていた店ではないだろうか。あの卵チャーハンは旨かったなあ。

それから府中街道を渡り、向ヶ丘遊園駅北口に出る。



さて、これからのんびり各駅停車で新宿に向かおう。向ケ丘遊園、登戸、和泉多摩川、狛江、喜多見、成城学園前、祖師ヶ谷大蔵、千歳船橋、経堂、豪徳寺、梅が丘、世田谷代田、下北沢、東北沢、代々木上原、代々木八幡、参宮橋、南新宿、新宿。これも(ちょっと順番を間違えたが)ほぼそらで言えた。