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2025年7月15日火曜日

扇寿司支店 晩酌セット

小美玉市小川の扇寿司支店。晩酌セット、4000円。


刺身、煮物、卵豆腐、それから小肌を使ったおつまみというラインナップ。


それにカマ焼きがついた。

飲み物は生ビール2杯かお銚子3本。

私は酒を選択。最初の1本を常温の冷やで、後の2本は燗にしてもらう。


この後に握り(海老、烏賊、イクラ、トロ)、デザートに西瓜がきた。(写真撮るのを忘れたが)

これで4000円は安いねえ。どれもこれも旨し。大満足でありました。

本店が石岡にあったのだが、そちらはずいぶん前に閉店した。それでも依然として「支店」と称している。

私がガキの頃からある繁盛店。うちでも、ここぞという時に出前を取る。

名店だが、おばちゃんの気さくな接客がうれしい。

2025年7月13日日曜日

神崎楽々亭

 朝、パン、牛乳、夏野菜のトマト煮込み、チキンナゲット。

コーヒーを淹れて、「小さな旅」「Dear日本」を観ながら飲む。この頃、日曜日はこのパターン。

妻はカスミに、私は神崎へ、それぞれ出かける。今日は神崎で楽々亭がある。

11時半頃、神崎着。


文化ホールの視聴覚室で高座づくり。


昼はコンビニで買ってきたパン。

13時半開演。16時終演。

私はトリで『あくび指南』を演る。まさに落語のバカバカしさが凝縮したような噺。好きなんだよな。お客様もよく反応してくださった。

片付けをして、16時半解散。帰宅は17時半過ぎ。妻と夕方ビールを飲む。

夕食は、お中元に妹が送ってくれた肉をしゃぶしゃぶにする。それと焼きトウモロコシ。ビール、酒。シメはうどん。食後にジョニーウォーカー赤ラベル。充実の晩飯。旨し。

夜になって雨が降り出す。明日は台風が近づくらしい。


2025年7月12日土曜日

高校野球観戦、一万灯祭

朝、御飯、味噌汁、ウィンナーソーセージ入りスクランブルエッグ、ふりかけ。

コーヒーを淹れ、飲みながら朝ドラの総集編を観る。

妻は仕事に行く。

父が「今日は涼しいので、土浦に高校野球を見に行く」と言うので、運転手を買って出る。今のうちは涼しいかもしれないが、晴れれば30℃近くまで気温は上がるだろう。元気だが89の老人である。一緒に行った方がこっちも安心できる。

というわけで、土浦市営球場へ。

第一試合に地元の高校(私の母校でもある)が出場する。父はこれが目当てだったのだ。

相手は強豪ひしめく県南地区にある某私立高校。序盤は投手戦になるが、0-1で迎えた7回裏に3点を取られる。8回にも加点されて、結局、0-5で母校は敗れた。打たれながらも何とかしのいでいたが、とうとう決壊した感じで連打を浴びた。打つ方は、ようやくのことで8回に出た初安打のみの1安打に終わる。変化球を捉え切れなかったのが痛かったな。

久々に母校の応援も見たが、私たちの頃とは随分変わった。何せ私の時代は男子校だった。それが今は、チアガールがいたりなんぞするのだ。 それでも、校歌が流れると、自然に口ずさんでしまったよ。いい機会をもらえた。



試合終了とともに球場を後にする。川風も吹いて、快適な野球観戦だった。

帰りに父のリクエストで吾妻庵木田余店に寄る。

もり蕎麦を食す。久々、旨し。

13時頃、帰る。

山百合が咲いた。このところの梅雨の戻りのせいか、心なしか百合も元気になったようだ。

裏山の百合。

こちらは前山。

前山のもずいぶん花をつけた。

夕方から地区の薬師様の一万灯祭。


特に祭事があるわけでもない。ただ地区の人たちが集まって飲むだけ。それでも、こういう集まりはいい。地域の昔話に花が咲く。


車の中で聞いたラジオで、こんなことを言っていた。

日本は昭和恐慌による多大な損失を、武力によって外から収奪することで補おうとした。それが、やがて満州事変を生み、日中戦争に発展した。内政の失敗はあくまで内政で解決すべきで、それを外に求めてはいけない、と。

それは今の時代にも通じてはいないだろうか。内政の失敗を外国人のせいに誘導する政党が支持されようとはしていないだろうか。

「日本人の暮らしを守る」という言葉は、確かに耳あたりがいい。しかし、今は国に余裕がないから、まずは日本人を守るのだ、という理屈がまかり通っていいのだろうか。社会の端っこを切っていけば、社会は確実にやせ細る。日本人であっても、いつまでも社会の真ん中にいられるわけではない。歳を取るにしたがって周縁に追いやられていく。その時、こぼれ落ちてしまう社会でいいのか。本当にそれでいいのだろうか。問い続けていきたい。

2025年7月9日水曜日

ゆきむらのまぜそば

稽古帰りのラーメン屋。

この頃は、もっぱら「ゆきむら」を利用している。やっぱり千円札でおつりをもらいたいじゃありませんか。

今回は初挑戦のまぜそば。中盛で938円。


まぜまぜして食す。


味変のトッピングに、がりがり醤油と高菜をもらう。

ボリュームもそれなりにあって、旨し。生卵がいい仕事をしている。葱が強いな。

トッピングは他に、明太子とガーリックマヨネーズがある。そっちも試してみようかな。

2025年7月6日日曜日

7月最初の日曜、『泥鰌庵閑話』

朝、おにぎり、味噌汁、チキンナゲット、スクランブルエッグ。

朝イチで床屋。散歩がてら歩いていく。




前山の百合が開花。今年は花弁がやせている。雨が降らないせいか、木を切って日陰がなくなったせいなのだろうか。


9時過ぎ帰る。朝からけっこう暑い。

昼は妻が作ったナポリタン。具だくさんで旨し。


ここのところ、滝田ゆう『泥鰌庵閑話』を読んでいる。ちくま文庫版の古本をアマゾンで105円で買ったのである。滝田の漫画は一気読みはできない。綿密に描き込まれた描線は読み飛ばされることを拒む。また、老眼が進んだ眼には、文庫本版の漫画を読むのがつらい。細部を判別できないストレスがたまる。それでもなお、読み進めずにはいられない。

いわば、滝田ゆうの「私」漫画。作者自身を思わせる主人公の、ひたすら飲んだくれる姿が描かれる。滝田は1990年8月、58歳で亡くなった。嵐山光三郎は、この本の解説で滝田の通夜の場面から、「ここにいる人は、みな酒飲みばかりだ。滝田さんの死に自分の姿を見ている。滝田さんみたいにめちゃくちゃに酒を飲めばこうなるのだ、ということがわかっている」と書いている。滝田ゆうは、まさに酒に溺れて死んだのだ。

一方で滝田は、妻と二人の娘を持つ「市井の人」でもあった。漫画においても、すべての原稿を、自分の手で、細部に至るまで描き込まずにはいられない職人肌の作家であった。ただ、彼の心には茫漠とした穴が開いていて、それ故に酒を必要とした。しかし、いくら飲んでもその穴を埋めることはできなかった。しかも、自らの酒に溺れる姿が、作品となってしまった。嵐山はこう推察している。「おそらく滝田さんは、この作品を書くために飲みにいき、泥酔をくりかえし、つぎは自分が描く作品に刺激されて、また飲んだのではないか」。結局、滝田ゆうは作品によって殺されたのかもしれない。

私もまた、酒飲みである。けれど、私は酒に溺れることができなかった。私は破滅型の天才に憧れながらも、自分が酒に溺れるさまを飯のタネにできるような才能を持ち合わせてはいなかった。それは私にとって幸運だったのだろう。たぶん。


妻と夕方ビール。サッポロ黒ラベル。

夕食は焼肉でビール、赤ワイン。シメの焼きそばまでしっかり食べる。旨し。

食後にジョニーウォーカー赤ラベル。


うちの小っちゃなひまわりが咲いた。




2025年7月5日土曜日

パソコン買っちゃった

 朝、御飯、味噌汁、茄子とトマトの豚冷しゃぶ、ジャーマンポテト、納豆。

地区のイベントがあり、役員として参加する。昨年、一人で仕切ってくださっていた会長が亡くなり、新体制での初めてのイベントとなった。色々大変だったが、何とか成功裏に終わる。

昼は次男が作った冷やし中華。

加川良のライヴレコードを聴く。猫が回転するレコードが面白いらしく、ちょいちょいするので、追い払う。

夕方、買い替えたパソコンを取りに行く。結局、1時間半ほどかかる。

Windows10のサポート終了半年前という絶妙なタイミングでパソコンが壊れたのだ。痛い出費だったよ。

帰って妻と夕方ビール。

夕食は、焼き鳥、焼き茄子、焼きトウモロコシ、イカ焼きでビール、酒。

寝しなにジョニ赤。


高山T君から「しばらくブログの更新がないので心配している」というラインが来た。いや、申し訳ない。今日から平常運転に戻ります。


桔梗が咲き始めた。



2025年6月21日土曜日

夏至の午前、『あんぱん』を観る

朝、トースト、紅茶、ウィンナーソーセージ入りスクランブルエッグ。

朝ドラ『あんぱん』の総集編を妻と観る。

妻は「やっぱり本編を観ないとダメよ」と言って仕事に行った。


というわけで、BSで一週間分の再放送を観た。これまで、暴力といじめを統治の手段として有効に使う軍の本質が描かれてきたが、今週は憎悪の連鎖と飢餓という戦場のリアルを見せつけられた。「聖戦」なんてどこにも存在しないのだな。戦争が終わり、これまでの「正義」が瓦解した後、人々がどう生きていくのか。来週もきっと観てしまうのだろうなあ。

ゆで卵に殻ごとむしゃぶりつく兵士。親の仇を討つため無邪気さを装って日本兵に近づく中国人の子ども。戦争が人間を人間でなくしてしまう。いや、これこそが人間の本質で戦争がそれを暴き出すのか。私には分からない。そして、リアルタイムで戦争も飢餓も起きている。


ビーチボーイズの『ペットサウンズ』、思い立ってビートルズの『サージェント・ペッパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』を聴く。

昼は次男が茹でた蓮根麺。ざるうどんにして食べる。旨し。

ボイラーの灯油を入れる。晴れて暑くなる。

ぽつぽつと『ゴジラとヤマトとぼくらの民主主義』、滝田ゆう『泥鰌庵閑話』を読む。

妻と夕方ビール。

夕食は、鶏のパン粉焼き、じゃがいものふかしたの、豚の冷しゃぶで、黒ビール、白ワイン。じゃがいもにはアンチョビバター、「マッシュルームいちばん」をつける。旨し。食後は妻と白ワインを飲む。

寝しなにアイリッシュウィスキー、ブッシュミルズ。


『ひとはなぜ戦争をするのか』(アインシュタイン/フロイト・講談社学術文庫)を再読。

アインシュタインの、「戦争を起こさないためには国家よりも強大な権力を持つ機関が必要で、それはほぼ不可能と言っていいのではないか」「人間の心には憎悪に駆られ、相手を絶滅させようという本能的な欲求があるのではないか」という問いに対して、フロイトの丁寧な考察が展開される。シンプルであるがゆえの難問について、逃げることなく真摯に立ち向かう。まさに知の応酬。しっかり読もう。



今日の豆ちゃん。ずーっと寝てたぞ。

そういえば、今日は夏至でしたか。

2025年6月15日日曜日

梅雨入り最初の週末

昨日の日記。

朝、御飯、味噌汁、ウィンナーソーセージ、スクランブルエッグ、納豆。

コーヒーを淹れて朝ドラを観る。妻は仕事。

先日亡くなったブライアン・ウィルソンを偲び、ビーチボーイズの『ペット・サウンズ』を聴く。ブライアンがやりたいように作ったアルバム。内省的な曲も多い。マイク・ラヴは「犬に食わせたい音楽」と言って酷評した。発売当時は賛否両論あったが、今ではロックの傑作として名高い。

ブライアンは、ビートルズの『ラバー・ソウル』に触発されて『ペット・サウンズ』を作った。そして、ビートルズはこの『ペット・サウンズ』に触発され、あの世紀の傑作『サージェント・ペッパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』を作ったのだ。ジョン・レノンが書いた「グッド・モーニング・グッド・モーニング」では、『ペット・サウンズ』のエンディングと同じように動物の鳴き声が使われている。

『ペット・サウンズ』は1966年発売。この年は、ビートルズの『リボルバー』、ボブ・ディランの『ブロンド・オン・ブロンド』というロックの傑作が立て続けに世に出た年として記憶されている。

休日の朝の『ペット・サウンズ』はいい。

昼は次男が作ったつけ麺。旨し。

午後は物置から持って来た『ゴジラとヤマトとぼくらの民主主義』(佐藤健志・文藝春秋・1992年刊)を読む。

妻は夕方、女子会に行く。

夕食は、餃子、たこ焼き、ポテトサラダでビール、酒。

寝しなにアイリッシュウィスキー、ブッシュミルズ。


今日の日記。

朝、御飯、味噌汁、ウィンナーソーセージ、スクランブルエッグ、海苔の佃煮。

豆ちゃんのワクチン接種に動物病院へ。

豆ちゃん、緊張の面持ち。

注射して、爪切って、蚤取り。お利口さんでした。

昼は妻が作った和風スパゲッティ。

甥たちが遊びに来ていて、次男は一緒に遊ぶ。長男は微熱があるので自重した。

妻と買い物に出る。妻と夕方ビール。

夕食は、父の誕生祝と父の日を兼ねる。刺身、焼肉、コブサラダ、冷奴でビール、酒。酒は父へのプレゼント、「不動純米大吟醸」を開ける。旨し。ケーキは石岡八軒のいちごのデコレーションケーキ。これまた旨し。

食後にアイリッシュウィスキー、ブッシュミルズを氷ひとかけ入れて。これまた旨し。


この前、梅雨に入ったらしい。アジサイが咲き始めた。



午後から晴れて、夏の暑さになる。来週は猛暑日の日もあるという。まさか、梅雨はまだ続くよねえ。

2025年6月13日金曜日

石岡市柿岡と下館の火の見櫓

この前、下館に行った時、見つけた火の見櫓。

まずは、石岡市八郷地区。湯袋峠に向かって行く道の、柿岡を過ぎてすぐの辺り。



地元の役場にあるのにタイプが似てる。


お次は下館の街中で見つけた。

なかなか個性的なデザイン。

何と道を跨いでおります。

半鐘は二個提げてある。

ちゃんと屋根が付いているのね。


下から覗くと、こんなシブい建物が見える。

水海道のように、下館の火の見櫓も観光資源になると思うんだよね。


2025年6月12日木曜日

追悼、長嶋茂雄

 

ミスタープロ野球、長嶋茂雄さんが亡くなった。

長嶋(ここからは敬称を省略する)が現役を引退したのは、私が中2の時だった。引退してすぐドキュメンタリー映画ができて、学校の映画鑑賞会でそれを観た。

体育館の床に座り、スクリーンを見つめながら、私は長嶋茂雄の一挙手一投足に魅了されていた。バッティングはもちろん、その華麗な守備、走塁、すべてにおいて全力を尽くすプレイに、私は心を奪われたのだ。

私が野球を見始めた頃には、すでに長嶋の選手としてのピークは過ぎていた。むしろアニメ『巨人の星』や漫画の『ちかいの魔球』などの長嶋の方がキラキラしていたような気がする。

しかし、全盛期の長嶋のプレイをまとめて見ると、改めてうなった。何てすごい選手なんだ。

野球部だった私は、早速、長嶋の打撃フォームを真似た。マンガ『野球狂の詩』の「おれは長嶋だ」の回に出てきた、長嶋に憧れ長嶋の真似を極めた長島太郎というキャラクターにも共鳴した。

後に大学や職場でソフトボールをやることがあったが、そういう時は当然のようにサードを守った(中学時代、私のポジションは捕手だった)。スローイングはサイドスロー、投げた後は手をひらひらさせた。いい球が届け、と念を送ると、自然と手はひらひらするのだ、ということに気づいた。

監督としての長嶋よりも、私はプレイヤー長嶋に夢中になった。


数ある追悼番組の中で、私はBS日テレの『1974.10.14引退試合』を選んだ。長嶋のプレイを心ゆくまで堪能しようと思ったのである。

素晴らしかった。

そもそも引退する選手がダブルヘッダーにフル出場し、第1試合は4打数3安打1本塁打、第2試合も5打数1安打1得点すること自体、尋常ではない。年間を通した成績は、確かに引退に値するものだったかもしれないが、引退試合というここ一番でこういう結果を残すことが、長嶋の真骨頂だと思う。長嶋は最後まで長嶋であり続けた、ということを、私はこの目で確かめたような気がした。

3番、王貞治の一本足打法。

4番、長嶋。

栄光の背番号3。

現役最後の打席に向かう。

長嶋さんが亡くなった日は、一日中肌寒く、ずっと雨が降っていた。古今亭志ん朝が亡くなったのも、寒い雨の日だった。ああいう太陽みたいな人が亡くなる時は涙雨が降るのだろうか。命日は6月「3」日。享年89歳。89(ヤキュー)の齢か。見事だなあ。まさに、長嶋茂雄は最後の最後まで長嶋茂雄だった。それは大変なことだったに違いない。心よりお疲れさまでした、ありがとうございました、と言いたい。

2025年6月8日日曜日

神崎楽々亭

 昨日の日記。

朝、パン、ウィンナーソーセージ、スクランブルエッグ、紅茶。

かかりつけ医に行って、血圧の薬を出してもらう。待合室で、以前の同僚と行き会う。病院で会っておいてこういうのも何だが、お互い元気で何より。

よく晴れて暑くなる。

昼食は次男が作った冷やし中華。うちも「冷やし中華始めました」。

妻が仕事から帰る。一緒に風呂掃除をする。

夕方、地区の会議。19時過ぎ終了。

夕食は父が買って来た鰹の刺身。よっぽど食べたかったのか、スーパーのではなく、丸玉鮮魚店のそれ。いやあ旨い。吟醸の冷やを合わせる。文句なし。

寝しなにアイリッシュウィスキー、ブッシュミルズを飲む。

長男の本を枕にする豆。


今日の日記。

朝、御飯、味噌汁、チキンナゲット、スクランブルエッグ、海苔の佃煮。

当番が回ってきたので、地区のゴミ置き場の掃除に行く。

うちの畑に筍が生えていたので採って来る。

妻子はイーアスに買い物に行った。私は、今日は神崎楽々亭がある。10時頃、家を出る。

11時過ぎ、神崎道の駅に到着。昼飯を買う。

11時半、神崎ふれあい文化センターに到着。高座作り。昼飯には道の駅で買った、おにぎり弁当を食べる。米不足の影響か、値上げしていた。

開演まで時間があったので、鍋店こうざき東蔵店へ。

父の日用の酒を買う。

13時30分、楽々亭、開演。

私はトリで『たがや』を演る。このネタは久し振り。よく聴いてくださり、反応もよかった。楽しかったよ。

15時50分終演。後片付けをして、16時30分頃解散。

17時30分過ぎ、帰宅。妻と夕方ビール。

夕食は、エビフライ、鶏の唐揚げ、ミニトマトベーコン巻きの串焼き、ひじきでビール、酒。筍の味噌汁もまた旨し。

食後にアイリッシュウィスキー、ブッシュミルズ。

2025年6月7日土曜日

下館散歩②

満足満足でたまやを出る。行き当たりばったりで、台地から坂道を下る。


道なりに行くと、薬師堂とお稲荷様がある。



案内板によると、ここに「有為館」という自由民権運動の拠点があったという。それはやがて、明治17年の加波山事件へと発展していった。幕末の天狗党の乱といい、茨城県というのは血の気の多い土地柄だったんだろう。

さらに歩みを進めると、土蔵造りの建物が立ち並ぶ一角に出た。





もうね、私が歩く所歩く所にシブい建物が出現するのよ。たまらん。






大通りに出たら出たで、こんなの見つけちゃうし。




さすが県西随一の商都だなあ。

茨城県の県立高校には「一高」「二高」「三高」というナンバースクールがある。「二高」はもともと女学校だった。「一高」はその地域を代表する存在になろうか。その多くは、元旧制中学だが、農学校、商業学校が母体になっているのもある。下館一高は県有数の進学校として知られるが、創立時は商業学校だった。いかに下館が商業都市として栄えたかが分かる。

そろそろ駐車場に向かおう。駅前通りも、なかなか見応えがあるなあ。



ちょっと入った所に火の見櫓発見。おれも持ってるなあ。


駅前に閉館した映画館を発見。





これも「兵どもが夢の跡」なんでしょうなあ。

下館駅。


2時間ちょっと歩いて、駐車料金50円。素晴らしい。

仕上げに下館からの筑波山。


ちょうど、うちの地元から真裏の位置だな。

旧明野町からつくばに出て、後はいつもの道を通って帰った。

仕事から帰った妻と、お土産に買って来たファミマのプリンを食べる。いい休みだったよ。