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2011年3月26日土曜日

桂文楽 最後の高座

昭和43年3月14日、第五次落語研究会が発足。文楽は、彼の代名詞とも言える『明烏』で出演した。時に文楽75歳。(ちなみに、ライバル志ん生はこの年を最後に高座から遠ざかる。)
この落語研究会での高座は、現在DVDで観ることが出来るのだが、年代が下るにつれて衰えが目立つようになる。特に最晩年となる46年は顕著だ。さすがに味わいはあるものの、悲しいほどとちりが多く、間が延び迫力が薄れている。若い落語ファンにこれを文楽だと思われるのは、正直寂しい。
特に7月23日に演じた『鰻の幇間』は痛々しかった。噺の途中、ほんの少しだが、明らかに絶句している。後半の店の下女に小言をいう場面では、しどろもどろになって掛け軸のくだりを飛ばしてしまっている。
そして、運命の日、昭和46年8月31日を迎えるのだ。
この時のことは、『対談落語芸談2』(川戸貞吉編)に詳しい。川戸は学生時代から文楽に可愛がられていたが、文楽が専属となっていたTBSに入社し、落語番組の制作に深く関わるようになっていた。この日も中継のため会場の国立小劇場に来ていた。楽屋に挨拶に行くと、いつもは明るく会話に興じている文楽が、この日は無言で鏡を見つめている。ただならぬ気配に、川戸は声を掛けることもできず、そのまま中継車に戻り、「黒門町、今日は様子がおかしいぞ。念のためマイクのレベルを上げておいてくれ。」と指示を出した。
文楽の出番は2番目。演目は『大仏餅』。『大仏餅』というのは、文楽にとって、体調の悪い時や客が合わない時に演じる、いわば安全パイのネタだった。しかも前日の東横落語会にもかけている。その『大仏餅』の主人公、神谷幸右衛門の名前が出てこない。文楽は突如しばらくの間沈黙し、静かにこう言った。「申し訳ございません。台詞を忘れてしまいました。」そして、声を張って「もう一度勉強し直して参ります。」と言って高座を下りていった。
高座のそでで出迎えるマネージャーの出口一雄に、文楽は「三代目ンなっちゃった。」と呟いた。三代目というのは、三代目柳家小さん。夏目漱石が激賞したこの名人も晩年は呆けてしまい、噺が堂々巡りをして途中で幕を下ろされるといった悲惨なエピソードを残している。文楽はこの三代目の晩年を知っており、常々「三代目にはなりたくない。」と言っていた。そう言ってはいたが、いずれ自分も三代目のようになるのではないか、という不安を文楽は抱いていた。不器用な文楽は、やがて来るであろうその日に備え、客に詫びる口上を練習してさえいたのだ。(しかし、この日の朝は、その稽古をしていなかった。前日つつがなく演じた『大仏餅』を、まさかしくじるとは思っていなかったのであろう。)
文楽の言葉に出口は男泣きに泣いた。これが、名人文楽の最後の高座となった。

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