落語家の名前について少し語りたい。
それぞれの亭号での最高位の名前を止め名というが、それらは江戸時代の後半に次々と誕生した。
文化文政の頃(1800年代初頭)、三笑亭可楽が登場。彼が職業落語家の祖とされている。三題噺を得意とした。名前は「山椒はからい」のもじり。(ちなみに明治の文豪二葉亭四迷は「くたばってしまえ」のもじりです。)
初代三遊亭圓生も同時代の人だ。こちらは鳴り物入り芝居噺で売り出した。最初、山遊亭猿松という字を当てていた。どこか文人画を思わせるが、「三遊亭圓生」の方がやはり噺家らしい。「三道楽で円く生き」に通じる。(この圓生の兄が桃月庵白酒。この名前も随分古い名前だったんだ。)
可楽門下からは怪談噺の祖、林屋正蔵(林家となるのは五代目から)、音曲噺の祖、船遊亭扇橋(八代目からは入船亭となる)が出る。
圓生門下では初代橘屋圓蔵(橘家となるのは三代目から)と三遊亭圓太との二代目争いが起きた。結果的に圓蔵が二代目圓生を継ぐが、その後圓蔵は圓生の前名的な位置づけとなっていく。一方圓太は失意の旅に出るが、そこでの修業を経て、初代古今亭志ん生となって江戸に戻ってくる。志ん生は当初「新生」、「真生」という字を当てた。「真の圓生は俺だ」という自負がにじむ。彼は「八丁荒らしの志ん生」の異名を取り、売れに売れた。三遊亭圓朝はこの志ん生に憧れたという。
同じ圓生門下から初代金原亭馬生が出る。彼は道具入り芝居噺の祖とされる。名前は小金ヶ原の放牧場にちなんだ。馬生門下は馬派と呼ばれた。ここから鈴々舎馬風が生まれ蝶花楼馬楽が生まれた。
船遊亭扇橋の門下から人情噺の祖、麗々亭柳橋が出、さらに柳橋門下から春風亭柳枝が出た。ここから柳派が生まれていく。ただ現在の柳派の止め名、柳家小さんの名前は、柳枝門下から柳亭燕枝、そのまた燕枝門下、明治期の二代目柳家小さん(初代は春風亭柳枝門下の音曲師春風亭小さん)の登場を待たなければならない。(ちなみに小さんという名は当時の芸者に多い名前だった。それをあばた面で「鬼」と呼ばれた容貌の持ち主である初代が、逆効果をねらって名乗ったという。)
桂文治というのは、もともとは上方の名跡だった。それを二代目三笑亭可楽の弟子だった人が上方に上り、初代文治の娘と結婚し、文政年間に三代目文治を継いで江戸に戻った。その後、七代目で一度上方に戻るが、八代目が再び東京に持ち帰り、以後は東京落語の名跡となった。また、この三代目文治は養子に四代目を継がせる際に、文治の「文」と師匠可楽の「楽」の字を合わせ、隠居名として初代文楽を名乗った。
立川談志の「立川」の止め名は焉馬だ。初代は江戸落語草創期の大立て者で、烏亭を名乗っていたが、二代目が立川を名乗り、文政年間に「立川家元」を称し落語界に君臨、立川流を率いた。(歴史は繰り返すのですなあ。)談志の名前は、焉馬の門人、談笑の弟子が名乗ったのが初代。現在と師弟が逆転しているところが面白い。「金馬」というのも、もともとは立川の名前だった。
基本的に落語家の名前は、亭号に名前が付く。亭号は三遊亭の「亭」も柳家の「家」も蝶花楼の「楼」も鈴々舎の「舎」も、いずれも建造物という意味だ。つまり「何々という家の誰それさん」といったところか。とすれば、森鴎外は「観潮楼鴎外」だし、永井荷風は「断腸亭荷風」だね。小説家の大看板といった感じで、こちらもなかなか格好いい。
ページビューの合計
2011年1月3日月曜日
「昭和なつかし亭」だったかな
元日、BSの演芸番組を見た。
橘家圓蔵が5分ぐらいで「猫と金魚」を演らされていた。
「金魚鉢は棚の上に載っけましたが、金魚はどうします?」辺りのくだりはほぼカット。無理矢理サゲまでもっていく。正直、つまんなかった。まああの状況じゃしょうがないか。
ところが、ゲスト席に呼ばれて雑談に入ると、これが俄然面白い。圓蔵大暴れ。林家三平の頭をひっぱたくは、カンペを奪い取ろうとするは、三平に向かって「こんなの、アドリブでやれ」と毒づくは。やっぱり圓蔵さん、こうでなくっちゃいけません。
その後、VTRで立川談志が、志ん生・馬生・志ん朝についての思い出話を喋ったのだが、談志、老いたなあ。声がもう出ない。話の調子もおかしい。見てて辛くなった。淋しい。
昭和61年の映像で志ん朝の「もと犬」。体力気力が充実している頃の志ん朝だ。軽い噺を軽く演っているが、やはりいい。ありきたりのくすぐりでも、すごい面白いんだよなあ。
子どもの風呂の面倒を見ながら、馬生の「そば清」をチラ見。昭和51年の映像。これもいい時の馬生。いいよねえ。この噺は現在、柳家さん喬が得意にしている。「どおーもー」ってのは馬生の演出なんだな。さん喬の方はきれいで気障。馬生の方はどっかぶっとんでる、エキセントリックだ。
夕食の時間なのでテレビはここまで。録画の用意もしていなかった。残念。
でも、思わぬところでいいものを観ることが出来たよ。
橘家圓蔵が5分ぐらいで「猫と金魚」を演らされていた。
「金魚鉢は棚の上に載っけましたが、金魚はどうします?」辺りのくだりはほぼカット。無理矢理サゲまでもっていく。正直、つまんなかった。まああの状況じゃしょうがないか。
ところが、ゲスト席に呼ばれて雑談に入ると、これが俄然面白い。圓蔵大暴れ。林家三平の頭をひっぱたくは、カンペを奪い取ろうとするは、三平に向かって「こんなの、アドリブでやれ」と毒づくは。やっぱり圓蔵さん、こうでなくっちゃいけません。
その後、VTRで立川談志が、志ん生・馬生・志ん朝についての思い出話を喋ったのだが、談志、老いたなあ。声がもう出ない。話の調子もおかしい。見てて辛くなった。淋しい。
昭和61年の映像で志ん朝の「もと犬」。体力気力が充実している頃の志ん朝だ。軽い噺を軽く演っているが、やはりいい。ありきたりのくすぐりでも、すごい面白いんだよなあ。
子どもの風呂の面倒を見ながら、馬生の「そば清」をチラ見。昭和51年の映像。これもいい時の馬生。いいよねえ。この噺は現在、柳家さん喬が得意にしている。「どおーもー」ってのは馬生の演出なんだな。さん喬の方はきれいで気障。馬生の方はどっかぶっとんでる、エキセントリックだ。
夕食の時間なのでテレビはここまで。録画の用意もしていなかった。残念。
でも、思わぬところでいいものを観ることが出来たよ。
2011年1月1日土曜日
明けましておめでとうございます
2010年12月29日水曜日
TDLからお台場
妻子を連れて、1泊旅行。
初日は東京ディズニーランド。
ゆっくり家を出て、途中妻の実家に寄り、義母を乗せて行く。
昼頃、舞浜着。エレクトリカルパレード、花火を見て浦安のホテルに泊まる。
翌日はお台場へ。観覧車に乗り、トヨタの展示場で遊び、ヴィーナスフォートでバイキングのランチ。妻子はデザートのチョコレートフォンデューで大喜びだった。
TDLにヴィーナスフォート。人工の美を味わい尽くす。
仕上げはお台場海浜公園。いい天気で気持ちいい。
私は魚座の生まれのせいか、水のある風景が好き。海はいいねえ。
初日は東京ディズニーランド。
ゆっくり家を出て、途中妻の実家に寄り、義母を乗せて行く。
昼頃、舞浜着。エレクトリカルパレード、花火を見て浦安のホテルに泊まる。
翌日はお台場へ。観覧車に乗り、トヨタの展示場で遊び、ヴィーナスフォートでバイキングのランチ。妻子はデザートのチョコレートフォンデューで大喜びだった。
TDLにヴィーナスフォート。人工の美を味わい尽くす。
仕上げはお台場海浜公園。いい天気で気持ちいい。
私は魚座の生まれのせいか、水のある風景が好き。海はいいねえ。
TDLからお台場。確かに以前の私の趣味ではない。でも、そんなことはどうでもいい。
妻や子が喜ぶ顔を見るのがいちばん嬉しい。この歳になって、素直にそう言えるようになったかな。
妻や子が喜ぶ顔を見るのがいちばん嬉しい。この歳になって、素直にそう言えるようになったかな。
2010年12月25日土曜日
出囃子補足
前回の補足。
「鞍馬」の紫雀さんは二代目。1学年上の三代目の紫雀さんは先代正蔵ファン、当然「あやめ浴衣」を使っていた。
私は当時もいちばん好きだったのは文楽だった。でも「野崎」は使っていない。
なぜなら、私がいた落研では、文楽の「野崎」、志ん生の「一丁入り」、圓生の「正札付」、それと技術顧問である七代目圓蔵師匠の「お江戸日本橋」は使用禁止だったからだ。素人なりに遠慮してのことだろう。好きなの使えばいいじゃんという考えもあろうが、むしろうちの落研のそういう部分が、私は好きだった。
ただ、「追ん出し寄席」(現役引退興行)は、その限りではなかった。1学年上の圓生大好き美恋さんは「正札付」を使った。かくいう私もその時ばかりは「野崎」で上がらせて頂きました。(余談だが、大福さんが口上を務めてくれた。)
卒業して10年ぐらい経ってから、一度落語を演る機会があった。出囃子のテープが見つからず、文楽のスタジオ録音の「野崎」を使ったのだが、その時の演目「もう半分」には合ってなかったような気がするなあ。
「鞍馬」の紫雀さんは二代目。1学年上の三代目の紫雀さんは先代正蔵ファン、当然「あやめ浴衣」を使っていた。
私は当時もいちばん好きだったのは文楽だった。でも「野崎」は使っていない。
なぜなら、私がいた落研では、文楽の「野崎」、志ん生の「一丁入り」、圓生の「正札付」、それと技術顧問である七代目圓蔵師匠の「お江戸日本橋」は使用禁止だったからだ。素人なりに遠慮してのことだろう。好きなの使えばいいじゃんという考えもあろうが、むしろうちの落研のそういう部分が、私は好きだった。
ただ、「追ん出し寄席」(現役引退興行)は、その限りではなかった。1学年上の圓生大好き美恋さんは「正札付」を使った。かくいう私もその時ばかりは「野崎」で上がらせて頂きました。(余談だが、大福さんが口上を務めてくれた。)
卒業して10年ぐらい経ってから、一度落語を演る機会があった。出囃子のテープが見つからず、文楽のスタジオ録音の「野崎」を使ったのだが、その時の演目「もう半分」には合ってなかったような気がするなあ。
2010年12月21日火曜日
出囃子雑感
この前寄席に行った時、小円歌が出ていた。昔の名人の出囃子を弾いてくれたのだが、これがよかったねえ。
出囃子というのは、文字通り落語家が高座に出るときのテーマソング。邦楽からの選曲が一般的だが、その人の個性に合っていて下座さんが弾ければ何でもありだ。(春風亭昇太は「デイビークロケット」を使っている。)それだけに、出囃子はその落語家と密接に繋がっている。
華やかな「野崎」の後には「いっぱいのお運びでありがたく御礼申し上げます。」という抑えた調子の先代文楽の口上が聞こえるし、ちょっととぼけたような「一丁入り」の後には「昔は、ってえと、」と志ん生の甲高い声が聞こえる。
実際に自分が見た落語家の出囃子だともっとリアルだな。「本調子序の舞」では、まるで木刀を持つみたいに扇子を持った先代小さんが、のっしのっしと高座に現れる姿が見えるし、「祭囃子」では先代三平の賑やかな登場が目に浮かぶ。「老松」では志ん朝が現れたときの、客席がぱあっと明るくなるような感じ、「木賊刈り」では談志の現れる前の痺れるような緊張感が蘇る。まさに出囃子はシンボルだ。
そういえば、昔は出囃子に合わせて落語家の形態模写を演る人がいたものだ。前落語協会会長、鈴々舎馬風が寄席でよく演ったものだし、春風亭小朝も上手い。もっと昔は柳家小三治も演っていたらしい。演り手がいないのか、それとも需要がないのか、現在は見たことがないなあ。
落研時代も出囃子は決まっていた。やはり、素人なので好きな落語家や先輩に影響された。
先代馬生の熱狂的なファンだった紫雀さんはしっかりと「鞍馬」を使っていた。(口調は志ん朝そっくりだったけど。)私の同期では志ん朝命の弥っ太君は「老松」。先代可楽が好きだった(渋いなあ)八海君は「勧進帳」。世之助君は曲名が面白いと言って「のっと」。悟空君は、先輩の歌ん朝さんが使っていた「ぎっちょんちょん」(彼は真打ちになる時、歌ん朝を継いだ)。酒合丈君は「外記猿」だったかな、自信ないや、ごめん。夕姫さんは確か「梅は咲いたか」。楓さんは枝雀の「ひるまま」だったような…。
私は2年の時には「元禄花見踊り」だった。先輩に「お前にぴったりだ」と言われて、半ば無理矢理決められた。私は圓楽が嫌いだったので、嫌で嫌で仕方がなかった。3年になって、好きなのを使えるようになって迷わず決めたのが「木賊刈り」。何より談志が好きだったし、これで上がるとすんなり落語に入っていけるような感覚があった。
私が卒業した後は大福君が使ったのかなあ、「木賊刈り」。
出囃子というのは、文字通り落語家が高座に出るときのテーマソング。邦楽からの選曲が一般的だが、その人の個性に合っていて下座さんが弾ければ何でもありだ。(春風亭昇太は「デイビークロケット」を使っている。)それだけに、出囃子はその落語家と密接に繋がっている。
華やかな「野崎」の後には「いっぱいのお運びでありがたく御礼申し上げます。」という抑えた調子の先代文楽の口上が聞こえるし、ちょっととぼけたような「一丁入り」の後には「昔は、ってえと、」と志ん生の甲高い声が聞こえる。
実際に自分が見た落語家の出囃子だともっとリアルだな。「本調子序の舞」では、まるで木刀を持つみたいに扇子を持った先代小さんが、のっしのっしと高座に現れる姿が見えるし、「祭囃子」では先代三平の賑やかな登場が目に浮かぶ。「老松」では志ん朝が現れたときの、客席がぱあっと明るくなるような感じ、「木賊刈り」では談志の現れる前の痺れるような緊張感が蘇る。まさに出囃子はシンボルだ。
そういえば、昔は出囃子に合わせて落語家の形態模写を演る人がいたものだ。前落語協会会長、鈴々舎馬風が寄席でよく演ったものだし、春風亭小朝も上手い。もっと昔は柳家小三治も演っていたらしい。演り手がいないのか、それとも需要がないのか、現在は見たことがないなあ。
落研時代も出囃子は決まっていた。やはり、素人なので好きな落語家や先輩に影響された。
先代馬生の熱狂的なファンだった紫雀さんはしっかりと「鞍馬」を使っていた。(口調は志ん朝そっくりだったけど。)私の同期では志ん朝命の弥っ太君は「老松」。先代可楽が好きだった(渋いなあ)八海君は「勧進帳」。世之助君は曲名が面白いと言って「のっと」。悟空君は、先輩の歌ん朝さんが使っていた「ぎっちょんちょん」(彼は真打ちになる時、歌ん朝を継いだ)。酒合丈君は「外記猿」だったかな、自信ないや、ごめん。夕姫さんは確か「梅は咲いたか」。楓さんは枝雀の「ひるまま」だったような…。
私は2年の時には「元禄花見踊り」だった。先輩に「お前にぴったりだ」と言われて、半ば無理矢理決められた。私は圓楽が嫌いだったので、嫌で嫌で仕方がなかった。3年になって、好きなのを使えるようになって迷わず決めたのが「木賊刈り」。何より談志が好きだったし、これで上がるとすんなり落語に入っていけるような感覚があった。
私が卒業した後は大福君が使ったのかなあ、「木賊刈り」。
2010年12月18日土曜日
イルミネーションを見に行く

風が強く、寒い。
図書館でお話会があるというので、皆で出かける。
お話会の間、私は読書。『平家物語』。白拍子、祇王が清盛の寵愛を仏御前に取って代わられる場面。哀れを誘う。窓外、眼下には霞ヶ浦。
お話会終了後、家に帰って昼食。妻手製のいなり寿司、餃子、わかめスープ。
うつらうつらしながら、エルビス・コステロを聴く。コステロ、かっこいいなあ。
夕方、つくばのイルミネーションを見に行く。
子どもたちはメリーゴーランドがお気に入り。3回も乗る。西武デパートの前ではランタンアートをやっていた。
Q’tの眺めのいいレストランで夕食を、という予定で来たのだが、結婚式の二次会らしく貸し切り。残念。
子どもたちのリクエストで寿司にする。お子様セットと豊漁セット。妻には申し訳ないが、私は燗酒を2本。回転しない寿司は久し振り。旨し。白身魚にすだちを載せ、塩を振ってあったのが秀逸。子どもたちは、板前さんに生きた蛸を触らせてもらって大喜びしていた。
外に出て、歩きながらイルミネーションを見る。夜になって風は止んだ。ひんやりとした冷気が心地よい。妻の運転で帰る。
寝酒にタラモアデュー。
図書館でお話会があるというので、皆で出かける。
お話会の間、私は読書。『平家物語』。白拍子、祇王が清盛の寵愛を仏御前に取って代わられる場面。哀れを誘う。窓外、眼下には霞ヶ浦。
お話会終了後、家に帰って昼食。妻手製のいなり寿司、餃子、わかめスープ。
うつらうつらしながら、エルビス・コステロを聴く。コステロ、かっこいいなあ。
夕方、つくばのイルミネーションを見に行く。
子どもたちはメリーゴーランドがお気に入り。3回も乗る。西武デパートの前ではランタンアートをやっていた。
Q’tの眺めのいいレストランで夕食を、という予定で来たのだが、結婚式の二次会らしく貸し切り。残念。
子どもたちのリクエストで寿司にする。お子様セットと豊漁セット。妻には申し訳ないが、私は燗酒を2本。回転しない寿司は久し振り。旨し。白身魚にすだちを載せ、塩を振ってあったのが秀逸。子どもたちは、板前さんに生きた蛸を触らせてもらって大喜びしていた。
外に出て、歩きながらイルミネーションを見る。夜になって風は止んだ。ひんやりとした冷気が心地よい。妻の運転で帰る。
寝酒にタラモアデュー。
今日買った荒木経惟の写真集『チロ愛死』を見る。(チロとは荒木の愛猫。平成の初め頃、彼は『愛しのチロ』という写真集を出している。)あのチロが、老いさらばえ死に向かう姿を我々も目撃させられる。やがてチロの命の灯が消えると、荒木は、妻陽子が死んだ時と同じように、チロを納棺し、火葬の後の骨を自宅に持ち帰り、呆然と何日も自宅のベランダから空を撮影する。死の直前のチロの眼がいつまでも胸に焼き付いて離れなかった。
登録:
投稿 (Atom)