今、東京の寄席で双璧と言えば、柳家さん喬と柳家権太楼だな。
落語界では、春風亭小朝、立川志の輔といったスターはいるが、寄席を主戦場にしている点では先に挙げた二人にとどめを刺すと思う。
私は、実は寄席派の噺家が好きなのだ。
立川談志や彼に影響を受けた人たちは、寄席をぬるま湯だといって批判する。
しかし、と私は思う。独演会の客は自ら選んで来ている。つまり、観客に自分の芸を受け容れてくれる下地がある。
それに対し寄席の客は多様だ。ただの暇つぶしから落語マニアまで、芸に対する関心度の幅はおそろしく広い。しかも毎日だ。その日によって客の傾向も全く違うだろう。勝負しようと思えばけっこう奥が深い場所なのではないか。
さん喬の二つ目時代を、私は旧池袋演芸場でよく観た。きちっとした楷書の芸で折り目正しく、いかにも本格派といった雰囲気があった。しかし、それを立川談志は著書『あなたも落語家になれる』の中で、「あまりに古い」といって名指しで批判した。同じ五代目柳家小さん門下のカリスマの批判に、さん喬もショックを受けたと思う。
今、さん喬の芸を古いと感じる人はいないだろう。さん喬の噺は、年月を経て大きく柔らかに膨らんできた。そして、現代を生きる我々に、確かに響いてくる。彼の『文七元結』はいい。左官の長兵衛が、吾妻橋で身を投げようとしている文七に、娘が身を売って作った金を遣る場面。談志は迷いに迷う、その葛藤を見せ場にしている。しかし、さん喬の長兵衛は小さくこう呟く。「おれも運のねえ男だなあ。」そして、あっさりと文七に金を遣ってしまうのだ。談志が葛藤なら、さん喬は諦念だ。どちらも分かっていながら自分に損な方を選んでしまう。その意味では両方とも「人間の業の肯定」に変わりない。さん喬は談志と違うやり方で現代に迫ったのだと思う。
談志の影響をストレートに受けたのは権太楼の方だろう。『らくだ』の紙屑屋の感情の吐露などは、まさにそれを感じさせる。一方で桂枝雀の影響も顕著だ。特にそれは『代書屋』『金明竹』などの滑稽噺に色濃く表れている。しかし、権太楼の偉いのは二人の影響を感じさせながら、出来上がった落語は紛れもなく権太楼のものになっているということである。むしろ、権太楼節として強烈な個性を放っていると言った方がいいかもしれない。
さん喬と権太楼の芸は対照的と言っていい。端正で色気のあるさん喬と豪放で男っぽい権太楼。この二人が「鈴本夏祭り」などでしのぎを削る様を観ることができるのは、この時代に立ち会える幸福を感じずにはいられない。新たな「文楽・志ん生」を、「志ん朝・談志」を、我々は目の前にしているのかもしれないのだ。
4 件のコメント:
寄席と独演会(あるいは二人会)、どちらも足を運びます。独演会ではどうかすると一期一会の名演に巡り合う幸せと出会うこともありますね。一方、寄席ではどうでしょう。名演との出会いがないわけではないと思いますが、むしろ、肩ひじ張らず日常の当たり前のありがたさをあらためて感じさせてくれる処ではないかなぁと思うのです。あぁ、どちらも今の自分にとってのオアシスですね。・・・ちょっと呑みすぎましたかね、休み前で・・・。
私の方はなかなか予定が立たないので、独演会はあまり行けません。ふらりと入ることができる寄席がどうしても多くなりますね。寄席はトリに向かっていく形態なので、名演にあたるとすればやはりトリでしょう。当たった時の嬉しさはひとしおで、さん喬・権太楼は名演率が高いと思います。
演者目線で言うと、寄席のような毎日の高座はいいですね。出てみたい。
独演会は自分の思うようにできる魅力があります。こっちもやってみたい。
急ぎはしませんが、いずれタイミングが合った時に日乗さんの高座を拝見できる日を楽しみにしています。
そうですね。うまくタイミングが合う時があるといいですね。その時のために日々精進いたします。
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