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2014年7月29日火曜日

風柳の根多帳⑤

前回の『らくだ』の続き。
正岡容が、『寄席囃子』という随筆の中で、『らくだ』について書いている。
それによると、『らくだ』の、いわゆる凄惨な演出の出所は、朝寝坊むらくにあるらしい。
屑屋がらくだの髪の毛を引っこ抜く場面。茶碗酒にその髪の毛が入っていて吐き出す場面(可楽や談志が演っていた)。らくだと間違えられて、火葬場の釜に入れられ、紅蓮の炎の中で願人坊主が立ち上がる場面(これは談志の鬼気迫る描写が忘れられない)。これらは皆、もとを辿れば、むらくの演出だったのである。
このむらくは、調べてみると、どうやら八代目。
最初、三代目柳家小さん門下で出発し、後に五代目春風亭柳枝門に転じた。出世名である小柳枝を襲名するも、師匠をしくじって名前を取り上げられる。その後上方で修業し、大正になって東京に戻った。関東大震災の前に、朝寝坊むらくを襲名する。
ちなみに、桂文楽が終生師と仰いだ、名人三代目三遊亭圓馬は、この人のひとつ前のむらくだった。
酔っ払いの噺を得意とし、「酔っぱらいのむらく」として売り出したが、昭和初年には寄席からも遠ざかり、昭和8年、不遇のうちに死んだ。しばらく死骸の引き取り手がなかったという。(まるで『らくだ』みたいだ。)
晩年、「おれの『らくだ』を覚えてくれ」と言って、五代目三遊亭圓生に無理矢理稽古した。
『らくだ』自体、三代目小さんが上方から持って来た噺だから、この噺が東京に定着する過程において、むらくが果たした功績は小さくなかったと思う。
してみると、立川談志の演出は、見事に過去を踏まえたものだったのだなあ。まさに「伝統を現代に」である。もしかしたら、談志も、この正岡の文章を読んだことがあったのかもしれないな。
そういえば、談志の文章の呼吸、正岡容に似た所がある。

さて、この間、ちょっと『らくだ』をさらってみたら、けっこうできた。
やってて少し気づいたことがある。
覚書程度に、書いてみる。
丁の目の半次は人を支配するのに長けた男。自分では動かず、屑屋を支配してやらせる。恐怖で人を動かすタイプだな。こういう奴、いるよ。実社会の方が、半次よりずっと巧妙だけどな。
半次と屑屋の立場の逆転は、単に屑屋が酔っ払ったからというんじゃ説得力に欠ける。屑屋には、半次を怯えさせる狂気があったのだ。屑屋の狂気を示す1シーンを入れたい。
こんなふうに、噺を作っていくのは楽しいなあ。
今なら、あの頃より、もうちょっとましな噺ができると思うけど、どうかなあ。


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