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2015年1月6日火曜日

古今亭志ん生 『心中時雨傘』

先日、妻子が買い物に行っている間、留守番をしながら、古今亭志ん生の『心中時雨傘』を聴いた。
昭和33年の録音。音源はポニーキャニオン。ということは、志ん生がニッポン放送の専属だった頃に録音されたものか。
三遊亭圓朝作と言われる人情噺。慶応年間にあった心中事件を題材にしたものだという。あらすじは次の通り。 

根津権現の宵祭りの夜、境内でどっこい屋をやっているお初が商いを終え、深夜、下谷稲荷町の家まで帰る途中、三人のごろつきにからまれる。あわや近くの稲荷の社に連れ込まれて暴行されようとする時、同じ町内に住む型付職人の金三郎がお初を救う。が、その際、ごろつきの一人が金三郎の殴った打ち所が悪く死んでしまう。
翌朝、殺しの罪でお初が奉行所にしょっぴかれる。他の二人が仲間の敵というので、奉行所に告発したのだ。それを知った金三郎は、自分が真犯人だと名乗り出る。調べが進むと、殺されたごろつきの日頃の所業が明らかになり、正当防衛も認められて、金三郎はお咎め無しとなる。そうして二人は金三郎の家主の仲人で、めでたく夫婦になる、というのが前篇。
後編はその後のお話。お初・金三郎は夫婦仲もよく、お初の母親にも孝行を尽くし、親子三人、つつましいながら幸せな日々を送っている。
ある年の暮、家主の勧めで夫婦二人酉の市の熊手売りをするのだが、その晩家が火事になってしまう。逃げ遅れた母親を救い出す際、金三郎は崩れ落ちた梁の下敷きになり、右肩の骨を砕かれた。翌年、母親が死に、金三郎は寝たきりに。稼ぎはお初一人の肩にかかる。金三郎の右腕は回復の見込みがなく悪化するばかり。金三郎は我が身のふがいなさに自ら死を決意。お初が懸命に翻意させようとするが、夫の意志は固い。それならばと、とうとう二人は心中することにした。
知人に暇乞いをして、最後の食事を天ぷら屋で済ませる。折からの時雨。相合傘で、母の葬られた日暮里の花見寺に入り、落ちていた矢立で差してきた傘に遺書を書くと、二人は母の墓前で、石見銀山ネズミ取りを飲み下して死ぬ。 

お初も金三郎も人間がよくて働き者で、なのに不幸な事故がもとで金三郎が働けなくなり、心中するまで追い詰められてしまう。社会保障なんて言葉もない時代。稼げなくなれば、あっけなく死へと追いやられる。哀しい噺だ。
それを、志ん生は淡々と演じる。ドラマチックな展開は、これっぽっちもない。日常の延長に死があるかのように、あわあわとお初と金三郎は死んでゆく。今の落語家に慣れた耳で聴くと、「演技力」が感じられず、物足りないかもしれない。だけど、そこには見事に「江戸の風」が吹いているのだな。
過剰な感情移入を避けた、抑制のきいた人物描写。根津遊郭の華やぎ。下谷稲荷町の裏長屋での人々の暮らし。江戸の空に浮かぶ冴え冴えとした月。稲荷の森の暗がり。夫婦最後の天ぷら屋での食事。時雨の中、相合傘で歩く死を決意した二人。静かに、しかし細やかな情愛を交わしながら迎える最期。
それらを紡ぎ出す志ん生の口跡に、私は明治の名人たちの面影を見る。
志賀直哉は「桂文楽がいいって言うけど、古今亭志ん生の方が昔の連中の風格を備えていて好きだな」と言っていたらしいが、この噺を聴くと、それが素直に頷ける。志ん生の人情噺は、彼が青春時代憧れた四代目橘家圓喬や初代三遊亭圓右へのオマージュなんだと思う。(少なくとも志ん生は、圓右の口調は取り入れていた。先代の古今亭甚語楼は楽屋で志ん生の噺を聴きながら、「圓右の真似じゃねえか」と言っていたという。)
談志はよく「志ん生の人情噺は酷い」と言っていたけど、この『心中時雨傘』に関してはその言は当たらないんじゃないかな。この味は、談志でも志ん朝でも出せないと思う。もちろん、育った環境も時代も違うものを比べるのはナンセンスだ。逆に志ん生には、談志のような『芝浜』も、志ん朝のような『文七元結』もできないだろう。しかし、私はこの噺の中に吹く江戸の風に、強く惹かれるのだ。
 晩秋の雨の夜、人形町末廣の志ん生独演会で『心中時雨傘』を聴く。想像しただけでも、うーん堪らんなあ。

4 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

あらすじをどうもありがとう。日曜日の朝、なんか調子悪いなあと思いながら、あれこれ探して偶然聞いた一席に、聞き入ってしまいました。、志ん朝師匠の心中時雨傘を聞いて見たいなあと。今切に願っているところです。

densuke さんのコメント...

コメントありがとうございます。
志ん生のこの噺、いいですよね。私は矢野誠一のエッセイで知りました。
志ん朝師、人情噺はほとんどやっていませんでしたが、70を過ぎたらこういうネタも演じていたかもしれません。早すぎる死が、本当に悔やまれます。老境の志ん朝を見てみたかった。

moonpapa さんのコメント...

ゴールデンウイーク(ステイホームウイーク?)、パソコンと向かい合って日乗さんのブログより「落語」のラベルをひたすら読み漁っていましたら、この志ん生の『心中時雨傘』にふと惹かれるものがありました。いわゆる一般的な志ん生のイメージとは結び付かなくて、youtubeで音源を探して聴いてみました。なるほどドラマチックな演出やくすぐりなどはなく、淡々と語られる悲しい物語に(しかもあの志ん生が訥々と語る)引き込まれ、締めの「…日暮里、花見寺に残る心中時雨傘の終わりでございます。」というフレーズと、語り終えたあとの送り手になんとも言えない感情が沸き起こりました。以前、彦六の正蔵師匠の『五月雨坊主』という噺を何かで読んだ時も胸にくるものがありましたが、滑稽噺だけでなくこういった人情の噺もたまに聞きたくなるものですね。最後にオチで締めるあっけらかんとした落語ももちろん面白くて好きですが、「文七元結」や「妾馬」・「柳田格之進」などの「…の一席でございました。」の締めのくだり、噺の世界から戻ってくる感があってけっこう好きなんですよ。いやぁ、落語っていいですね。(水野 晴郎風に)とっ散らかったコメントですみません。こどもの日の落語雑感でした。moonpapa

densuke さんのコメント...

コメントありがとうございます。
私は今日は志ん生の『黄金餅』を聴いていました。志ん生がかぶるとは偶然ですね。記事にしようと四苦八苦しています。あと何日かしたらアップできると思います。