この間、古今亭志ん朝の『締め込み』の記事を書いたら、moonpapaさんからコメントが来た。教えてもらった隅田川馬石の『締め込み』をYouTubeで見て、色々面白かったので、改めて記事にしてみる。
志ん朝の『締め込み』は、型としては父、志ん生のものだ。導入部で「間抜け泥」のくだりが入る。おかみさんの名前は「おみつ」。サゲまでは演らず、泥棒が「またちょくちょく伺います」と言ったのを受けて、「冗談言っちゃいけねえ」でサゲている。
志ん生のも聴いてみたが、志ん生は夫婦喧嘩の場面で、馴れ初めについては触れていない。仲裁に入った泥棒が、「俺が出なきゃ、夫婦別れをするところだったじゃねえか。お礼の一つでも言ったらどうだ」と、なかなか図々しいところをみせている。演出としてはドタバタ感が強く、笑いも多い。
志ん朝の方は、型は志ん生だが演出は文楽に近い。夫婦喧嘩の場面では、二人の馴れ初めをたっぷり語り、この二人が惚れ合っていることをしっかりと印象付けている。これがあるから、泥棒が仲裁の後で、亭主をいじる場面が生きてくる。
馬石は、志ん朝の兄、十代目金原亭馬生の弟子、五街道雲助の弟子である。源流をたどれば五代目古今亭志ん生だ。
しかし、馬石の型は、どちらかというと八代目桂文楽の方に近い。「間抜け泥」の場面はカットされ、いきなり泥棒が上がり込む場面から入る。おかみさんの名前は、文楽と同じ「お福」。夫婦喧嘩の場面のクライマックスに、お福さんが二人の馴れ初めを言い立てる所をもってくる。馬石の女は可愛らしい。端正な造りも黒門町だな。
ただ、文楽が志ん生同様、途中で切っているのに対し、馬石はきっちりサゲまで演っている。出処は柳家あたりか。
もう一人、古今亭右朝の『締め込み』を聴いてみる。1988年、右朝が真打に昇進したばかりの頃の音源である。
「いずれ天下を取る」と言われ将来を嘱望されただけあって、上手い。鮮やかな口調、滑らかな調子、それでいて志ん朝臭さを感じない、「右朝の語り口」になっている。53歳の死が本当に惜しまれる。
「間抜け泥」のくだりはないが、おかみさんの名前は古今亭系の「おみつ」。夫婦喧嘩の場面では馴れ初めには触れていない。かわりに、長屋を火事で焼け出され、亭主が人力車夫になって失敗するエピソードが挿入される。
右朝の『締め込み』のもうひとつの聴かせ所は、和解後、泥棒と酒を飲む場面だろう。泥棒の「親方みたいな人にもっと前に知り合っていたら、俺は泥棒になんかなっていなかった」という述懐、「何一つ持ち出されたものがあるわけじゃなし、この泥棒だって人間は悪くねえ」という亭主の台詞もいい。泥棒がただの狂言回しになっていない。きちんと主役級を演じている。サゲまで演る必然性が、ちゃんとある。
ここまで演者によって違うとは思わなかったな。それぞれ自分だけの噺に仕上げている。さすがプロの仕事だ。面白かった。
2 件のコメント:
「締め込み」「粗忽長屋」など・・・実際にはありえないだろという状況を、演者がうま~くまるめこんでサゲまで聴かせてしまう噺。大好きですね。演者による細かな演出の違いなど、このように文章にしていただけるとガサツな私にはたいへん参考になり、ありがたい思いです。文楽さんの「締め込み」、動画で観ましたが、所作やちょっとした表情がなんともいえないですね。
右朝さん。聞くところによると、昭和最後の真打ちだそうで、白酒さんの本にもチラホラ名前が窺えますが、志ん朝さんも期待していたお弟子さんだったそうで、御存命でないのが惜しいです。
あぁ、また、楽しみが増えました。ありがとうございます。moonpapa
右朝、久し振りに聴いたらいいですねえ。
もっと聴いておくんだった、と後悔しています。
また色々教えてください。いい刺激になります。
『締め込み』については、もうちょっと書きたいと思います。
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