徒然なるままに落語を聴く。先日コメントでmoonpapaさんが『紋三郎稲荷』について書いておられたので、せっかくだからこの機会に聴き比べをしてみる。
ネットで検索すると、あっという間に、二代目三遊亭円歌・六代目三遊亭圓生・五代目(当代)柳家小せんのが出てくる。便利な世の中だね。
『紋三郎稲荷』(円歌の型)のあらすじは次の通り。
常陸国笠間藩、牧野越中守家来、山崎平馬は参勤交代の折、風邪を引いて皆と一緒に出立することができなかった。ようやく二、三日遅れて江戸に旅立つ。幸手の松原で松戸からの帰り駕籠に乗る。八百文というところを、酒手を付けて一貫文にした。防寒のために割羽織の下に着込んでいた狐の胴服の尻尾が駕籠の外に出ていたことから、駕籠かきが平馬を紋三郎稲荷の眷属と思い込む。洒落っ気のある平馬はそのまま狐なりすます。松戸では紹介されて本陣に入った。主人は笠間稲荷を熱心に信心していることから、平馬を手厚く歓待する。やがては近所の者も次の間に集まってお賽銭を投げ込む始末。夜中、酔いから覚めた平馬は、後ろめたくなって七つの鐘とともに本陣から逐電した。その時、庭の隅に祀られていた稲荷の祠から狐が姿を現し、平馬の後ろ姿を見送りながら、「近頃化かすのは人間に敵わない」
もともとこの噺は二代目円歌の得意ネタ。まずは円歌を聴いてみた。
口演時間は15分足らず。円歌らしく明るく賑やか、軽い小品に仕上がっている。
びくびくする駕籠かきと洒脱な平馬とのやりとりが楽しい。
圓生の方は『圓生百席』からの音源か。客無しのスタジオ録音。マクラをたっぷり振って35分。噺自体は20分ほどである。
円歌に比べ、一人一人の登場人物の骨格をしっかりさせた重厚な造りになっている。
平馬が勤番となって江戸へ行くことになったが、風邪を引いて同僚より二、三日遅れて旅立つ。その時に病み上がりの身体を用心して狐の胴服を着込むということを、導入部で仕込んでいる。丁寧な構成である。
平馬が駕籠に乗るのは取手(とって)の渡しを渡った所。ちなみに円歌は幸手(さって)の松原。圓生は、「取手(とりで)は昔〝とって〟と言っていた」というけれど、取手という地名は「砦(とりで)」に由来するので、〝とって〟という読みはないと思うのだが、どうなのだろう。ただ、笠間から幸手を通って松戸へ行くのは、水戸街道を上って取手に行くより、かなり遠回りになる。圓生の型の方が合理的である。
小せんのは圓生の型。現在はこれがスタンダードなんだろうな。当代の小せん、寄席で聴いたことがあるが、改めて聴くと上手いね。きちっとした楷書の芸だ。
さて、この『紋三郎稲荷』に関しては、ひとつの不幸なエピソードがある。春風亭一柳著『噺の咄の話のはなし』にあるのがそれだ。
一柳がまだ圓生門下で好生を名乗っていた頃の話。二つ目になったばかりの好生は、大幹部の円歌に着物のたたみ方が気に入られ、目をかけてもらっていた。ある時「稽古においで」と言われ、『紋三郎稲荷』を教わる。ようやく高座にかけてよいという許しを得た頃、師圓生が自分の前で『紋三郎稲荷』をやってみろと言った。やってみると、圓生は「それでは丸で駄目だ」と言う。そして古い速記本を取り出すと、それを読みながら、噺をすっかり直してしまった。それは円歌から教えられた原型をとどめぬほどであった。
「あれはだいたいうちのお師匠さん(四代目橘家圓蔵)がやっていたもので、その弟子の円玉さんのを私は聞いて知っている。円歌さんは、その円玉さんに教わってやっているんで、私がやるぶんには一向差しつかえがない」
結局、好生は圓生版『紋三郎稲荷』を覚え直さざるを得なくなった。
加えて圓生は好生に若手勉強会で『紋三郎稲荷』をかけるように命じる。悪いことは重なるもので、その場に円歌がいた。円歌は自分が教えた噺の出来を楽しみにして、好生が出る若手勉強会に足を運んだのだ。
噺を聴いた後、円歌は怒りをにじませて好生に言った。
「お前はセコだよ。私が教えてやった噺をめちゃめちゃにして・・・。第一、円生君だってセコすぎる。弟子に教えたものを師匠がとって放送に出すなんて・・・」
以後好生は、それまで呼ばれていた円歌のトリ席に、二度と呼ばれることはなくなった。
完全主義者の圓生にとって、円歌の『紋三郎稲荷』は穴だらけだったのだろう。しかし、それは二人の向いている方向が違っていたからに他ならない。円歌は円歌で楽しいし、圓生は圓生で聴きごたえがある。しかし、圓生には自分の価値観以外のものは認められない。そしてその価値観を弟子にも求める。悪気がない、というよりも信念に基づいているだけに厄介だ。もうひとつ、自分より芸が劣る円歌が香盤で上にいる、という意識も影響していたと思う。だからこそ、円歌の噺が「まるで駄目だ」となるのである。その間で翻弄された好生は本当に不憫だなあ。
物置で見つけてきた昔の絵葉書から。 昭和初期の笠間稲荷神社拝殿。 |
現在の拝殿。昭和30年代に再建されたもの。 |
2 件のコメント:
私も三者聴いてみました。圓歌さんと圓生さん、ずいぶん印象が違いますね。やはりそれぞれの個性というものでしょうか。二代目圓歌さんはあまり聴いたことがなかったのですが、陽気な感じでカチッとした落語会よりは寄席が似合いそうな気がしました。、圓生さん、人物が変わるときの言葉使いの妙といいますか、ある時は前のフレーズが言い終わるか終わらぬうちに畳みかけるように別の人物の言葉を続けて聴く者の意識を集中させたり、またある時は、ゆっくり間をとって話すことで登場人物の距離感を想像させたりと、さすがだなぁと。小せんさんは落ち着いた語り口で噺をきちんと聴かせてくれる安心感が感じられました。
他の方の評価はいざ知らず、当代の正蔵さんの「まめだ」、意外と好きなんです。(「松山鏡」や「鼓が滝」など民話風の噺が合う気がして)。正蔵さんのちょっとほのぼのとした「紋三郎稲荷」にも出会ってみたいもんです。
それから、この噺にまつわるエピソード、噺家さんの人となりを垣間見れて興味深く読ませていただきました。いろいろな文献をお持ちで、落語好きにはよだれものです。ありがとうございます。moonpapa
こちらこそ、『紋三郎稲荷』を聴くいいきっかけになりました。ありがとうございます。
圓生は上手いですよね。上手さだけだったら、文楽・志ん生を凌ぐんじゃないかと思います。(ただ、私は文楽・志ん生の方を取りますが)
今の正蔵はかわいいキャラが合いますね。寄席でよくやる『味噌豆』は好きですね。『まめだ』聴いてみたいな。音源探してみようかと思います。
前に志ん生の『紋三郎稲荷』を持っていると言いましたが、同じ円歌ネタの『三味線栗毛』の間違いでした。すみません。
コロナで引きこもりを余儀なくされていますが、いい機会なので、こういう時に落語を聴いておこうと思います。
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