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2023年12月16日土曜日

橘左近の訃報に接して

新聞に橘左近の訃報がでていた。

昭和9年(1934年)、長野県飯田市の生まれ。小学校の入学祝に父親から落語全集をもらったことがきっかけで落語にのめり込む。高校生の頃は日曜になると片道8時間半かけて新宿末広亭に通い詰めた。明治大学進学後は、志ん生、文楽、圓生などの名人芸に耽溺、特に志ん生は追っかけをするほどのファンだった。結核を病み、一時故郷で静養するが、治癒後は再び上京。昭和36年(1961年)、寄席文字の橘右近に入門、3年後に左近の名前をもらい、正式に寄席文字書きとなる。右近の後継者として、寄席文字、演芸研究の両方面で活躍した。

私が学生の時分は右近が存命中で、左近はその一番弟子、というイメージが強かった。何しろ寄席文字橘流創始者の右近の存在感は大きかった。

落語雑誌の寄席文字教室などは左近がやっていた。他に「圓生代々」とか「正蔵代々」のような名跡に関するコラムも連載していたと記憶している。

寄席文字というのは縁起物で、右肩上がりで、できるだけ隙間なく書くという決まりがある。かちっとした様式があるので、上手い字ほど誰が書いたのだか区別がつかなくなる。

私の当時の印象では、右近の字はのびやかでスケールが大きく、左近の字は几帳面で律儀な感じがした。あくまでイメージだが。

私は落研時代、広報企画部の仕事を担当し、寄席文字を書いていた。うちの落研は寄席文字もレベルが高く、2年上の雀窓さん、1年上の三代目紫雀さん、1年下ののん平くんはプロはだしの上手さだった。私は間に挟まれて、可もなく不可もなくというところだったな。

今の私の落語のボス、梅八さんは学生時代、橘右近に師事した。社会人になって寄席文字をアレンジした江戸文字梅八流を立ち上げ、江戸文字職人として活躍中である。橘流は基本的に直線を基調としているが、梅八流は曲線に味がある。橘流に学びながら、独自のものを生み出した。すごいと思う。

いささか脇道にずれた。左近の話に戻そう。

寄席文字の素晴らしさはもちろんだが、研究者としての功績も大きい。私が常に手元に置いている『古今東西落語家事典』、この記事の多くを左近が書いている。実証に裏打ちされたその記述に、私はたくさんのことを学んだ。共著者の都家歌六の落語家としての視点とは違う程のよい距離感もよかった。

左近の誕生日は1月2日、「書初め」の日だ。書家になる星の下に生まれたのかもしれない。

落語を好きになったきっかけが父から買ってもらった落語全集。落語にのめり込みながらも落語家にはならなかった。僭越な言い方だが、何となく親近感を覚えてしまう。私にとっては偉大なる先達であった。

令和5年12月12日、橘左近永眠。89歳。その日は師右近に橘流創設を勧めた八代目桂文楽の命日でもあった。


左近さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。


橘左近筆(「CDブック八代目桂文楽落語全集より)

同じく


橘右近筆・新宿末広亭のビラ

2 件のコメント:

耕作 さんのコメント...

ゴジラ俳優もなくなりましたね 合掌

densuke さんのコメント...

自分が青春時代に活躍した人が亡くなるのは寂しいですね。