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2025年6月5日木曜日

下館散歩①

平日の休みをもらえたので、せっかくだからお出かけをする。

筑西市下館。通過することはあったが、街を歩くのは27、8年振りになる。

駅前の市営駐車場に車を止めて歩き出す。いつものように予習はしない。行き当たりばったりに歩き始める。

駅前通りから一本外れた路地を行く。




突き当りを左に折れて坂を上り、台地の上に出る。交差点にはシブい商家。

個人でやっている美術サロンの前で、ご主人から声を掛けられた。

立ち話をしながら、下館の歴史を聞く。

平安中期、平将門の乱において、上舘、中館、下館という三つの城が築かれたのが、そもそもの初めらしい。

戦国時代は水谷(みずのや)氏がこの地を治め、常陸国の佐竹に、結城氏と連携して対抗した。下館城は、町の東を流れる五行川が堀代わりとなり、北側が湿地帯、要害の地にあった。

北の宇都宮、東の佐竹、南の下妻と周囲を敵に囲まれながら、下館の水谷氏はよく戦った。徳川の世になって、大阪の陣に手柄を立て備中高梁に栄転。あの、「天空の城」備中松山城の城主となった。ところが、後継ぎが早世し、お家断絶となる。その時、城の受け取りに行ったのが、赤穂浅野家の家老、大石内蔵助であった。浅野家は真壁、笠間で藩主を務めた。笠間には大石邸の跡もある。すぐ近くにいた者同士が、こういう巡り合わせになったのか。しかも、その後浅野家もお家断絶となり、城を引き渡すことになるのは「忠臣蔵」で周知のとおり。運命とは本当に皮肉なものだ。

明治になって水戸線が開通(常磐線の開通より早い)、下館にも駅ができた。駅ができたのは元の水田地帯。平地で土地が広い。街づくりには格好の土地だ。その後、明治末から大正にかけて真岡線、常総線が開通し、下館はターミナル駅となった。茂木、真岡の物資をはじめ、各地の物資が集積された。こうして、下館は県西随一の商都として栄えることになる。

美術サロンの御主人は、展示室を開けてくれた。ありがたく拝見する。板谷波山の香炉、昭和初期に結成された東陶会の名品の数々、現代の陶磁器、工芸品、絵画・・・。こじんまりとしてはいるが、心地よい空間。いいものを見せていただいた。小一時間ほどして、街歩きを再開する。

台地の上の、大町というもともとの中心街を歩く。やっぱり、シブい建物が多いな。







下館城跡。

お昼は下館ラーメンに決めていた。しかも発祥の店がある。

店の佇まいも私好み。ただ、開店時間にはあと30分ぐらいあった。しばらく歩いてから入ろうと思ってぶらぶらしていたが、そのうち、こんな店を見つけてしまった。

しかも、もう暖簾が出ているではありませんか。ああもうだめ。逡巡しながらも、ついつい入ってしまいましたよ。

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