古くさい小説が読みたくなって読んでみた。
有り体に言えば、若者が人妻に恋をして自分の恋心を縷々と述べる、貞淑な人妻は若者に好意をほのめかしながらも決して恋情に身を任せることはしない、若者苦悩する、といった話だ。
ナポレオン失脚後の王政復古時代、フランスの貴族社会が舞台。大時代的な台詞廻しが多く、最初は読みづらかった。
若者、フェリックスは、人妻モロソフ伯爵夫人に魅了され、彼女の住むアンドルの谷間に足繁く訪れる。夫モロソフ伯爵は人格破綻者、加えて病弱な二人の子どもを抱える夫人は、気高く清楚な、谷間に咲く百合そのものであった。
この夫人にフェリックスが言い寄る、言い寄る。やはり押してみるもんだなあ、夫人もまんざらではない雰囲気になってくる。ところが、貞淑な妻、母親でありたい夫人は、させそでさせない。
伯爵はとんでもない悪役として描かれているが、考えてみりゃ可哀想だよな。絶世の美女を妻にしながら、子どもを二人作った後は体を許してもらえないのだ。人格的に問題があったにしろ、そんな環境が彼の破綻を加速させたのは言うまでもない。
まあ夫人としても、美しい若者に、させそでさせない関係はそれなりに快いものだったのだろう。しかし、フェリックスが栄達を果たし、ダドレー夫人の強引な誘いに惑わされ恋仲になると、そうはいかなくなってくる。
このダドレー夫人の登場から、俄然面白くなってくるぞ。ダドレー夫人は、あらゆる意味でモロソフ夫人とは対照的な存在だ。自分の欲望に正直、夫や子どもなどほったらかしにしてフェリックスとの恋に生きる。高慢で淫乱、モロソフ伯爵夫人が純白の百合なら、ダドレー夫人は深紅の薔薇だ。そりゃあ男はやらしてくれる女の方に行くわなあ。フェリックスはダドレー夫人を悪く言っているけど、その道を選んだのは自分だもんな。ぐじぐじと言い訳をしているに過ぎないよ。多分フェリックス自身、それに気づいているに違いないけどね。
モロソフ夫人は貞淑であろうという精神とフェリックスと結ばれたい肉体との矛盾に引き裂かれ、やがて死の病に取り憑かれる。モロソフ夫人死の直前の肉の叫びから、目をそらそうとするフェリックスを、私は卑劣だと思う。結局、彼はモロソフ夫人を清純な檻の中に入れておきたかったのだ。男は情けないな。モロソフ夫人の娘マドレーヌから投げつけられる、「またご自分のこと、いつでもご自分のことばかり」という言葉が痛い。そうなんだ、男はいつでも自分のことばっかりなのかもしれない。苦労人バルザックらしく苦い味わいを残してくれる。これは絶対純愛小説ではないと思う。
しかも、この話をただの悲恋に終わらせない皮肉な結末をバルザックは用意するのだ。この親父、本当に一筋縄ではいかない男だなあ。
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