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2012年3月27日火曜日

快楽亭ブラック『立川談志の正体』

タイトルは五代目柳家つばめへのオマージュだろう。柳家つばめ、早すぎた創作落語家。彼の「佐藤栄作の正体」は、放送禁止になった。著者もまた先鋭的でラジカルな落語を自作自演している。
著者は二代目快楽亭ブラック。元立川流の落語家。(彼の立川流離脱の経緯も本書で詳しく書かれている。)
談志門下は、立川流旗揚げ以前の弟子と以後の弟子とでは毛色が違う。扱いも違う。本書でも、談春が「志の輔兄さんが長男で、私が次男、志らくは三男」と言っているのを取り上げて憤慨しているが、一般のファンも、実はそういうふうに思っているのではないか。旗揚げ以前の弟子が冷遇されていると、著者も認めているな。
冷遇された弟子の師匠論は味わい深い。三遊亭圓生門下の春風亭一柳、川柳川柳なんかそうだ。師匠の芸には惚れているが、人間性には強い違和感がある、その愛憎相克の有様が人間臭い。その距離感が、師匠を客観視させる。
「文藝春秋」の立川談春のエッセイや、「新潮45」の吉川潮の対談とは違う。信者の言葉ではない。しかし、屈折した愛情がそこにある。
恐らく、彼の談志観が実像に近いのだろう。金の亡者で(上納金制度にしても、話題作りなんかじゃなく、至ってマジだったのね。)、小心で、さびしんぼうで、根はやさしいくせに悪ぶって立川談志を演じる。談志の複雑な人間性が、余すところなく描かれる。
落語に関しても手放しの賛美はしない。「家元の『芝浜』がいいなんて奴は田舎者だ。」と切って捨てる。(私は「芝浜」で感動するけどね。)いいのは「鼠穴」「黄金餅」「富久」といった金に対する執着を描いた噺。「らくだ」のような屈折した恨みを持つ人間の噺もいい。「文七元結」などは根本から解釈が間違っている。「弥次郎」「饅頭怖い」のギャグセンスは素晴らしい。等々。「お前が言うな」的な見方はあるだろうが、考えには一本筋が通っており、ブラックのプロとしての見識が覗える。
談志は「落語とは業の肯定である」と説いた。そして、談志自身、金と権力への執着を隠そうともしなかった。その点では、談志は自らの業に忠実だったと言える。ただ、彼にはやさしさがあり含羞があり愛嬌があった。やはり、魅力的な人だったと思う。談志が政治家として大成しなくてよかった。落語協会の会長や三遊協会の会長にならなくてよかった。そうならないことで、彼は既成の落語家の枠に納まらない名人になったのだと思う。
これは、決して暴露本ではない。立川談志という複雑な魅力を持った人間を神格化させることへ、正面からNOを突きつけた本なのである。

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