3年になると、文学部ではゼミが必修となる。私は近代文学専攻のHゼミに入った。
1、2年のうちはあまり授業に出なかったが、クラスのコンパにはよく顔を出した。文学部は女の子が多いので、私としても嬉しかったのだ。
Hゼミには、顔なじみのクラスメイトがけっこういた。男では、同じ高校出身のI君、岐阜T君、先年亡くなったK君、女子では水戸出身のKさんや東北の付属校から来たSさん(彼女はガラモンと呼ばれていた。)などという面々だった。
それに、文学研究会所属の人たちが加わった。ゼミ長を務めたS君(小説『山の上大学文学部国文学科ゼミ対抗ソフトボール大会』の作者である)、深窓の令嬢の雰囲気を持つNさん、大学院生のAさんなどがいて、それぞれに個性的な人たちだった。
ゼミは楽しかった。文学少年でもあった私は、思い切り文学を語れる環境を得たことを喜んだ。
ある時、ゼミ員で学会の手伝いをした。その後、打ち上げに飲みに行った。H先生もご機嫌で、我々を寿司屋に連れて行ってくれた。そこですかさず岐阜T君が言う。「『小僧の神様』ですね。」
スノッブな冗談だ。だが、そういう雰囲気も私は好きだったのだ。
落語に関しても、文学部の人たちはいい客だった。
前にも書いたが、ゼミのコンパでは私の落語と、ジャズ研のDさん(美人である)のアカペラが定番だった。H先生などは、吉井勇とか久保田万太郎といった役回りだったのだろう。
当時の私は中原中也的生活に憧れ、安吾や太宰などの無頼派に耽溺し、マンガはつげ義春を愛好していた。およそ明るい志向ではない。落研では根暗な人で通っていた。(もう上級生だったから、あまり気を遣う必要もなかったし。)それが文学部のゼミに行くと、「しごく陽気な男でゼミでも冗談を言って周りの人を笑わせている」(『山の上大学…』より)という印象になるらしいから人間というのは、やはり相対的なものなんだろう。
でも、私はこういう自分の中の二つの部分を、楽しんで使い分けたと思う。どっちか一方というのも私としてはしんどかった。
二つの居場所があったのは、当時の私にとって幸運なことだったに違いない。
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