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2021年12月5日日曜日

八郷ドライブ、善光寺から有明の松、そして圓丈が逝った

朝、マフィン、スープ。地区のゴミ拾い。

妻と次男は義父の墓参りに牛久へ行った。

私は、長男がアルバイト先の会食に出る、というので八郷の山の方へ送って行く。(長男はアルバイトの往復でしか車を運転していない)

長男を降ろして、私は八郷盆地の北の方をドライブすることにする。

ドライブのお供は、この前100円で買った中古CDのママス&パパス。空気の乾いた冬の日によく似合う。


お山は紅葉。

国の重要文化財になっている善光寺楼門に行く。




奥の石段を上る。上には本堂らしき建物がある。ところが・・・。




映画『羅生門』のセットのように荒れ果てていた。ちょっと現実ではないみたい。立派なお堂だったと思われるのだが。(ネットで調べたら、特撮もののロケ地になったらしい)

「月光山」の額。

同じ敷地内に神社があった。



夢を見ているような気分で石段を下りる。


そろそろお昼。近くの蕎麦屋に入る。盛りせいろ、800円。本格派、旨し。



この辺りは、あの銘酒「渡舟」の酒米を作っている所だ。



恋瀬から有明の松へ。今はもう松は枯れてしまって、石碑だけがある。



その昔、難台山で合戦があった。難台山のお城は落ち、城主は討ち死に。城にいた婦女子は落城前に落ちて行った。山道を夜通し歩き、麓の松の大木の下で休んだ。その時の夜明けの空があまりに美しかったので、自分たちの行く末もそれにあやかりたいと思い、この松を「有明の松」と名付けたという。

あの山から娘たちは逃げて来たんだね。

この近くに高校の同級生がいて、よく遊びに来た。この辺りの風景が好きだった。

筑波山。


1時頃家に着く。妻と次男は2時頃、長男は3時頃帰って来た。

妻とテレビを見ながら「お疲れ生」の夕方ビール。『孤独のグルメ』の最後の方を見る。


引き続きぼんやりニュースを見ていたら、三遊亭圓丈の訃報を知る。76歳、まだ早いよなあ。『ぼくはグリコ少年だった』『悲しみは埼玉に向けて』『パニック・イン落語界』『夢地獄』・・・、ゴリゴリの古典派落研部員だった私にとって、彼の作る新作落語は衝撃だったな。彼の後には柳家喬太郎や三遊亭白鳥、林家彦いち等が続いた。彼がいなかったら、今のような新作落語は存在しなかっただろう。でも、圓丈は大御所然とすることなく、いつでも本気でウケようと、のたうち回っていた。ずっと彼は闘う落語家だった。圓丈師匠のご冥福を祈る。


夕食は、カスミの焼き鳥、千成亭の餃子とニラレバ炒めで燗酒。食後にアイリッシュウィスキー。


ネットを見て、圓丈が認知症だったということを知った。2019年5月の浅草演芸ホールで『強情灸』を演った時は、見台に台本を出していたが、そういう事情があったのか。この1年近く高座に出ていなかったという。

圓丈、もういないのか。寂しいなあ。

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