『猫の災難』についてもう少しだけ。
この噺で私は「みな好き会」の仲トリをとった。二つ目で対外発表会の仲トリは珍しい。これは当時真打が三代目松風亭紫雀さん一人しかいなかったからだ。
うちの落研では羽織を着ることができるのは真打だけだが、仲トリということで、この時だけ特別に、紫雀さんの羽織を借りて着た。
国文科の仲間も観に来てくれたが、評判は良かった。「お前の噺を聴いて、酒が飲みたくなった。」とW君は言ってくれた。
「みな好き会」が終わって間もなくのことだったと思う。落語評論家の山本益博が「学生の落語を聴いてみたい。」と言い、どこをどうしてそうなったかは知らないが、うちの落研に依頼が来た。そこで、紫雀さん、弥っ太君、そして私が行くことになった。
下北沢だったかなあ、とあるマンションの一室だった。私たちの前には漫才のコンビがネタを見せていて、随分きついことを言われていた。「おれらは見せてくれというから来たんで、頼んで見てもらう訳じゃないんだがなあ。」と私は思ったものだ。(だって、皆マジなんだもん。)
とにかく張りつめた空気の中、私たちは落語を演った。演目は、最初に弥っ太君が『鮑のし』、次に私が『猫の災難』、最後に紫雀さんが『寝床』だった。目の前には、あの山本益博の髭面がある。隣には神津友好がいたかな。3人とも、大体10分もせずに「もういいよ。」だったね。
皆、言われたことは「その落語で言いたいことは何か。」ということ。今思えば、立川流理論の走りだったかもしれない。
私は枕で使った「説得力」という言葉を誉めてもらった。「自分の言葉で喋っているのがいい。」とのことだった。その後、持論である「職人には職人の声がある。声での人物描写があるはずだ。」というようなことを言われた。私の声があまりどっしりとした声ではなかったからか。五代目柳家小さんの声こそが職人の声だと言っていたな。
私は『猫の災難』で何が言いたかったか。当時、山本益博は私の答えを待ってくれなかったけど、私はこう答えたかった。
「言いたいことは特にないけど、気持ちよく酔っ払いたい。」
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