少し時間があったので、ずっと行きたかった鎌足神社に行ってみる。
もちろん中大兄皇子とともに大化の改新で活躍した中臣鎌足ゆかりの神社。『大鏡』には、「鎌足のおとど、むまれ給へるは常陸国なれば・・・」という記述がある。その生誕の地に建てられたというのが、この鎌足神社である。
場所は、潮来から神宮橋を渡って、まっすぐ鹿島神宮の方へ向かう坂道の登り口、「鎌足神社」と看板が出ている小道を左折してちょっと行った辺り。少し分かりづらかったが、何とか辿り着く。
境内にあった石碑。 |
「大織冠藤原公古宅址碑」とある。 明治25年建立。 |
『藤氏家伝』では、鎌足出生の地は大和国高市郡藤原(奈良県橿原市)ということになっているが、あの藤原氏の始祖がここで生まれたと思うのも楽しいものだ。
近くに古刹、根本寺があるので、こちらにも行ってみる。
創建は推古天皇21年(612年)という。徳川幕府は寺領百石を給したが、幕末、元治甲子の乱の兵火によって、そのほとんどが灰燼に帰した。現在の本堂は昭和56年7月に落慶したものである。
貞享4年(1687年)8月、芭蕉は鹿島で月見をしようと思い立つ。深川の自宅から舟で行徳へ渡り、徒歩で利根川のほとり布佐に着いた時には日暮れになっていた。漁家で小休止した後夜舟に乗り、鹿島に至った。
翌日は昼頃からあいにくの雨。これでは中秋の名月を見るのは無理だと半ば諦めつつ、根本寺前和尚仏頂を尋ねて泊まり込む。(仏頂和尚は芭蕉が敬慕する禅の師であった。)
明け方、空が少し晴れたところで和尚が起こしてくれた。ここで芭蕉は「月はやし梢は雨を持(もち)ながら」、「寺に寐てまこと顔なる月見哉」と詠んだ。
写真を見て、句碑の上部が欠けている、と思ったら、空が映り込んでいたんだな。 震災の影響かと思ってしまいました。 |
私は車で行ったが、道が狭い。次は時間をかけてぶらぶら歩いてみよう。
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