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2019年2月6日水曜日

【雑談】文楽十八番『かんしゃく』

この間、次男と故柳家喜多八の『かんしゃく』を聴いた。
音源はNHKラジオの「真打競演」、15、6年前に録音したものだ。
喜多八得意の「虚弱体質」のマクラでどっかんどっかんウケている。スタジオいっぱいにおばちゃんたちの笑い声が響く。
ところが、噺に入ると、ぱたっと笑いが止まる。

『かんしゃく』という噺は明治の新作落語、作者は益田太郎冠者である。あらすじは次の通り。
癇癪持ちの旦那、家に帰るなり、家の様子が気に入らず怒鳴りまくる。やって来た客もいたたまれず帰ってしまう。「呼び戻せ」と無理を言われた奥さんはたまりかねて実家に帰るが、実家で父親に諭され、婚家に戻される。翌日、奥さんは父親の助言に従い、奉公人を使って用意万端整えて旦那を迎える。行き届いた対応に、ついに旦那はこう叫ぶ。「これでは俺が怒ることができんではないか!」

喜多八は上手い。しかし、気が入って真に迫れば迫るほど、客は自分が怒られているような気持ちになり、引いてしまうのだ。

『かんしゃく』は黒門町八代目桂文楽の持ちネタ。どこが違うんだろうと思い、CDを取り出して聴いてみた。
マクラはごくあっさりと振って、すぐ本題へ。冒頭の旦那が当たり散らす場面の後半から、くすくす笑いが広がり、旦那が釘を打とうとしてミカン箱から転がる辺りでは拍手が起きる。文楽の旦那はどこか漫画チックでユーモラス。爆笑こそないが、全体的に好意的な笑いに包まれている。自動車、扇風機、アイスクリームなどの小道具が、明治のハイカラを演出して楽しい。

春風亭小朝は著書『苦悩する落語』(2000年・光文社刊)でこの噺を取り上げた。以下に引用する。
   *    *    *
 もしも、この本を読んで下さっているあなたが、将来、噺家を夢見ている人ならば、文楽師匠の『かんしゃく』を徹底的に研究することを、おすすめします。
 黒門町のこの噺には、名人のありとあらゆる声の技が集約されていますから、じっくりとこれをお聴きになれば、落語が声の芸術であることがよくおわかりになるはずです。
(中略)
 ぶゥー、ぶゥー、ぶゥーッ(車の音です)。
「おヵァーい、おヵァーい、」
 の声の張りと伸ばし加減で、時代背景と屋敷の広さが想像できます。
 そのあとはもう腕のいいミキサーのように、変幻自在に声の出し入れをしながら、衝撃のカットアウトへとむかうわけです。
 敷地のせまいところにジェットコースターを造ろうと思えば、高低差を思いっきりつける以外に、お客様のハートを揺さぶることはできません。
『かんしゃく』は、わずか十三分の短い噺です。
 それゆえに、文楽師匠は極端なメリハリをつけ、時には穏やかに声を響かせ、また、ここというところでは、師匠十八番の〈ちりめんビブラート〉で聴き手の心を揺らします。
(声を制するものが落語を制す)
 あなたはそれを実感するはずです。
   *    *    *
小朝は文楽を「1/fの揺らぎの(声の)持ち主」と絶賛している。

もちろん、喜多八と文楽を単純に比較しているわけではない。時代も違うし客も違う。公開番組のお客と、文楽を聴きにお金を出して来ている客とでは、やっぱり違う。ほほえましい癇癪持ちも、見ようによっては「パワハラ常習者」だ。
『かんしゃく』は難しい噺だとつくづく思う。
この噺を写実で押しては駄目だ。ウケを待って間を取ればよけいに重たくなる。
文楽はリズムとテンポで軽やかに駆け抜ける。中盤の父親の諭しの場面があることで緩急も鮮やかにつく。「人を使うは苦を使う。使うんじゃあない、使われるんだ」「練って練って練りぬいて」などのフレーズのリズムも素晴らしい。
また、文楽自身が癇癪持ちだった。旦那の「おい、こらー、おい、こらー」や「ばかっ」は文楽そのものだったらしい。ここで文楽は自らを戯画化して笑っているのだ。この噺を文楽が演じる必然性がそこにある。

実は『かんしゃく』は、落研時代、私が最後に演じたネタ。その話は次の機会に譲る。


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