朝、パン、コーンスープ、手羽先、スクランブルエッグ。
妻は仕事。
午前中、長男とコーヒー。コーヒーの飲めない次男は、マスカットジュースを飲む。
梅雨の晴れ間、ちょっと暑くなる。
昼は子どもたちがじゃじゃ麵を作る。
『ヒトラーランド—ナチの台頭を目撃した人々』(アンドリュー・ナゴルスキ著/北村京子訳/作品社)、読了。「本書を読んでくれた日本の皆さんへ」というあとがきがある。
以下、一部を紹介する。
「ドイツで起こったことは、様々な状況と人格—とくにヒトラーのそれ—とが、特殊な形で組み合わさったことで生み出されたものであり、さらにはこうした恐ろしい事態を呼び込んだ国民性も関与しているという意見もある。しかし、日本の皆さんをはじめ、本書を手に取ってくださった読者の方々にはご自身で、そこに現代に当てはまる、より一般的などうかを判断していただければと思う。そしてもし教訓があるとするならば、そこにはすべての人々の共通する人間性が垣間見えてはいないだろうか。—あるいはひょっとすると、かつてのナチスドイツと同盟を組み、同国に劣らず、軍事力による領土の獲得と、〝劣った〟人種と国民の支配へと突き進んだ日本と、とくに似通った点がありはしないだろうか。
日本の皆さんはこうした疑問に対して、ほかの国よりも深い見識を持っているはずだ。しかし実際にそうであるかどうかについては、疑問を呈したくなる大きな理由がある。破滅的な被害をもたらした第二次世界大戦の悲劇から長い年月が過ぎたいま、日本社会はドイツ社会に比べて、戦時中にみずからが行なった行為の厳しい現実に向き合うことに対し、はるかに消極的だ。あの時代の現実から学ぶよりも、それを否定しようとする動きが、また中国や韓国などの国で日本軍が行なったひどい行ないを軽く見ようとする動きが、いまもあまりにも多く見受けられる。」
この本が刊行されたのは2014年だが、事態ははるかに悪化している。隣国への侮蔑と、権力に対する批判への攻撃や嘲笑がひどい。そしてそれらが現政権と深い親和性を持っていることに、私は脱力する。
1930年代、ナチスは選挙を経て合法的に権力を手にしたが、国民の大多数の支持を得ていたのではない。45%程度の、相対的第1位の支持を獲得したに過ぎない。ドイツの約半数の人々は「そんなことがあるはずはない」と思いながら、結局、ナチス一色に染め上げられてしまった。そして、一色に染め上げられながら、「全体主義も悪くない」と思い込まされてしまったのだ。
近所の居酒屋で地元の方々と飲み会。二次会は神立。
12時頃帰る。
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