録画していたジョン・レノンとオノ・ヨーコの番組を観る。
ジョンとヨーコの美しい物語。
1966年11月、ジョンとヨーコは出会い、やがて恋に落ちる。しかし、出会った直後のヨーコはジョンに援助を求め、自殺をほのめかすような手紙を送ったという。
ジョンは音楽の枠にとらわれないヨーコにインスパイアされ、ありのままの自分をさらけ出す表現に目覚めた。しかし、ジョンのバックで奇声を上げるヨーコがその名演を台無しにしていたことを、私は知っている。
ジョンとヨーコは周囲の非難にもめげず自分たちの愛をはぐくんだ。しかし、1973年、ヨーコはメイ・パンをパートナーとしてあてがいジョンをたたき出して別居し、自分は彼氏とよろしくやっていたという話もある。
息子ショーンが生まれてからヨーコはビジネスに、ジョンは主夫として家事に専念した。しかし、実はショーンの子守や食事を作るスタッフが存在した。
息子ショーンはジョンと同じ10月9日に生まれた。しかし、それは帝王切開によるもので、意図的なものであった。
ジョンが1980年にカムバックしたのは、ショーンの「パパはビートルズだったの?」と言われたのがきっかけだった。しかし、ポール・マッカートニーの『カミング・アップ』を聴いて触発されたからだ、という説もある。
色々つらつら並べたが、でも、私はこの番組を見て、ぼろぼろ泣いた。感動したのだ。
朝日新聞土曜版で「今こそ聴きたいジョン・レノンの歌声」という特集のランキングで堂々1位に輝いたのが『イマジン』である。
これこそヨーコがプロデュースした「愛と平和の戦士」ジョン・レノンの代名詞的楽曲だ。「心でそう思えば世界は平和になる、というのはあまりに絵空事ではないか」と批判する人もいる。むしろそう言った方が「ちゃんとものを知っている」というポジションを得ることができるだろう。
でも、今に至るまで、これだけの人の心をつかんでいるという事実は無視はできないよな。理想に向かうためには、まずはそうであれと思う、というのが大切なんだ。ジョンの歌声は圧倒的説得力をもって私たちに迫って来る。
ジョンとヨーコはお互いを必要としていたし愛していた。ジョンはヨーコと結ばれたことが、本当に幸せだったと思う。それでいいじゃないか。
ジョン・レノンが選び死ぬまで求め続けたものがオノ・ヨーコだったのである。ポール・マッカートニーも最後はそれを受け入れたんだよな。
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