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2023年11月9日木曜日

清志郎のライヴ

片岡たまきの『あの頃、忌野清志郎と』を読んで以来、通勤の車の中で、よく清志郎を聴いている。

2000年を過ぎた頃、清志郎のライヴを観に行ったことがある。当時同僚だった清志郎ファンのHさんに誘われたのだ。

そこは水戸のライヴハウスだった。オールスタンディング。大ホールでライヴをやるほどの集客力は、当時の清志郎にはなかったのだろう。寂しいことだが。

でも、そのライヴは最高だった。清志郎は全力だった。オープニングから「トランジスタラジオ」でとばす。武田真治のサックスがよかったなあ。「君が代」では「苔のむ~すまで」でムースを出して髪の毛に塗りたくる。「ポマードまでえ~」と言ってポマードも塗りたくる。このふざけ方のおかげで、この「君が代」は放送禁止となったのだ。かっけー。

清志郎にはプロの矜持があった。必ず客を満足して帰すぞ、という気迫があった。

この時の物販で、私は『夏の十字架』のCDを買う。このCDを聴くと、あのライヴを思い出す。

1曲目の「お元気ですかマーコさん?」には「武田君もいっしょに旅に出るのさ」というフレーズがある。「武田君」は武田真治のことだろう。「マーコさん」は片岡たまきのことだろうか。

「ライヴ・ハウス」、「偉くなったなライヴ・ハウス」と歌う。主戦場だったライヴ・ハウスに対する皮肉たっぷりな歌。これをライヴ・ハウスで歌うのだ。これが清志郎。

「君が代 LIVE」はあの時のライヴそのままの暴れっぷり。ムースもポマードも出てくる。つまりはあのサービスをどこでもやってくれていたんだ。

「プリプリベイビー」もいい。幼い娘を相手にエレキギター1本で「おっぱいプリプリ」なんて歌う。娘さんもノリノリ。これ、たぶん、ジョン・レノンが息子のドラム相手に歌った「ヤ・ヤ」のパロディーだよね。清志郎の作品には、こういうロックの文脈で聴くと面白いものが多い。

ラストの「誰も知らない」には当時の清志郎の心境がよく出ていると思う。「僕の作る歌を誰も知らない」「でもそれはいいことなのかもしれない/僕の歌には力がありすぎるから」だと言うんだな。確かにその頃、セールス的には厳しかったのだと思う。だけど、清志郎はちゃんと私たちの心を揺さぶる歌を歌っていたのだ。

あのライヴ、見といてよかった。Hさんに感謝しなきゃ。



 

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