1970年11月25日、三島由紀夫は陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地に立てこもり、割腹自殺を遂げた。
この事件は社会に大きな衝撃を与えた。
フォークソングにも三島を題材にした作品がある。そのうちの2作について語ってみたい。
まずは、遠藤賢司の「カレーライス」。1971年、遠藤の2枚目のアルバム、『満足できるかな』に収録された。
「ぼく」がテレビを見ていると、「誰かがお腹を切っちゃった」というニュースが流れる。しかし、「ぼく」が大きく心を動かされることはない。「うーん、痛いだろうにね」というささやかな疑問が呈されるだけである。「ぼく」にとっては、大義のために死ぬよりも、「きみ」が作るカレーライスを「猫」と待つことの方が大事なのだ。三島の死は、テレビの向こう側のことにしか過ぎないし、「痛いだろうに、何でお腹なんか切っちゃうんだろう」という程度にしか「ぼく」には響かない。
それを遠藤は呟くように歌う。「ぼく」と「きみ」と「猫」とのささやかな日常が大事、という「小さな物語」は、聴く者の共感を誘い、「カレーライス」は遠藤賢司の代表作となった。
もうひとつは、岡林信康の「まるで男のように」。1973年発表の『金色のライオン』というアルバムに収録されている。タイトル通り、ボブ・ディランの「女の如く」のアンサーソングであろう。
ここで岡林は、自らの女性性を押し隠し、男としての強さを強調する「あなた」の姿を戯画的に描く。それはたぶん、性的マイノリティである三島の心性のメタファーなのだろう。ただし、平野啓一郎の分析では、三島は異性愛を志向しながら同性にしか性的に身体が反応しないということに苦悩していたから、心根としては男性であった。(または、三島が幼少期病弱で祖母に溺愛され、女の子の中で女言葉で育てられたことを踏まえたものかもしれない)
「血の海に横たわりたいんでしょう 血の海じゃないと気がすまないのね/男らしい場所で 男らしい理由で ヨボヨボになってしまわないうちに」
これは、まさに三島の最期の場面だろう。そして岡林はこう続けるのだ。
「あなたもほんとうにたいへんね なんだか莫迦らしい気もするけれど」
岡林は遠藤のように突き放してはいない。むしろ三島に同情的である。確かに三島由紀夫は痛々しい。しかし、同情的ではあるが、岡林は決して三島に同化しようとはしない。注意深く、三島を拒んでいる。
三島は戦後の日本を、個人主義でばらばらになってしまったと、激しく嫌った。そして、ついには、憲法九条を破棄し、絶対者(天皇)のために身命を捧げる覚悟を持て、と主張するに至った。それを、我が身をもって実践したのが、市ヶ谷駐屯地での決起であり自決であった。
もちろん、それは広く支持を受けたわけではない。死の直前の自衛隊員に向けたアジテーションは不発に終わった。二人のフォークシンガーも三島の嫌った戦後日本の個人主義の側に立っている。
おそらく、皆、大日本帝国にはこりごりだったのだ(三島のいう絶対者、天皇は明治憲法下のそれとは別ものだったが、そんな区別は余人にはできないようもない)。戦前回帰など真っ平だったのだ。三島の個人的な信条に巻き込まれるのは大迷惑だったのだ。
思えば、むしろ健全だったのだろう。それほどまでに先の大戦が残した傷が深かったとも言える。
そして、戦後80年近くなり、昨今では戦前回帰と思われる言説をよく目にするようになった。彼らは三島のように戦後的価値観を否定し、日本国憲法第九条を破棄せよ、と言う。しかし、彼らは一旦事が起こったら自らの身命を捧げるとは言わない。「憲法第九条で戦争が防げるのなら、九条信者が最前線で念を送れ」などと言う。笑っちゃうよな。
三島は、ともかく自分の言葉通り自らの命を懸けて見せた。彼らに三島を利用する資格はない。
付記。岡林信康は近作『復活の朝』収録曲の中で、「お坊ちゃま気分は青年将校/ふんどしひとつで寒中水泳/お風邪を召して大騒ぎ」(「お坊ちゃまブルース」)と歌っている。岡林にとって、三島は依然として気になる存在であり、三島的なものは拒まなければならないものなのだろう。私もまた、そんな岡林に共感している。
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