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2015年9月6日日曜日

上野「じゅらく」のナポリタン


上野「じゅらく」のナポリタン。
行きの電車で、ずっと伊丹十三の『女たちよ!』というエッセイ集を読んでいた。その中の「(日本では)多くは、スパゲッティの名を借りた炒め饂飩の域を出ないのであります」なんていう文章をさんざ読んだ後、ナポリタンを頼むのだから、私も自虐的というか皮肉屋というか、でありますな。
そして、出てきたのがこれ。ピーマン、玉ねぎ、ベーコン、マッシュルームを炒め、目玉焼きとウィンナーソーセージをあしらった、昔ながらのナポリタン。で、これが「炒め饂飩」かというとさにあらず。きちんと麺に腰がある。アルデンテに茹でてあるのよ。絡めてあるのもケチャップというより、ちゃんとしたトマトソース。
伊丹さん、あなたがきちんと物申してくれたおかげで、日本の洋食もしっかりと進化していますよ。
これに粉チーズとタバスコをかけていただく。もちろん生ビールをのみながら。たまりませんな。旨し、でした。

ではアップで。

向こうっ側にあるのは、長男が食べているハンバーグオムライスです。

この横断歩道を渡った所に「じゅらく」があります。


西郷さんの銅像の下に「レストラン聚楽台」があった頃。
ここで息子に御飯食べさせながらビールを飲んでみたかった。

もう1枚。1998年当時の上野駅前です。






2015年9月3日木曜日

山の上大学への道

川崎のアパートから大学へ行くのには、まず南武線で登戸出る。
大学の最寄駅は小田急線向ヶ丘遊園駅だ。登戸からは一駅しかない。
だから、最初の内は電車賃を節約して登戸から歩いて大学へ行った。
ま、そのうち遊園までの定期を買ったけどね。
この間、炎天下に歩いた時は、その時を思い出して登戸から歩いたのだが、さすがにきつかったね。
では、その時撮った写真です。

登戸駅の辺りも大分きれいになったけど、この一角は昔のままだ。

この鰻屋さんも昔からある。

向ヶ丘遊園駅南口。

駅前にガッツポーズをとっているような裸婦像がありました。
日付を見ると学生時代にはあったみたい。覚えてないなあ。

何てことないどぶ川だけど懐かしい。

雀荘「平和」があった辺り。

踏切の向こうに「レストラン民衆」があった。
今も看板だけ、残っていた。

さて、ここから上り坂になっていきます。
セブンイレブンができたのね。
「心臓破りの坂」は大福さんのブログを見てください。

旧「森永食堂の上にある生田会館。

この奥に高山T君が最初に住んだ「西本荘」があった。
さらに行くとゼミ長のアパートがあったんじゃないかな。

2015年9月2日水曜日

鈴本演芸場 8月下席 昼の部(仲入りまで)



夏休み最後の土日。次男が風邪を引いた。このまま2日とも家にこもっているというのも長男が可哀そうだから、お父さん寄席にでも連れて行ってあげなよ、と妻が言う。
そこで、ありがたくお出かけをすることにした。 

11時過ぎに上野着。駅前のじゅらくで昼飯。長男は好物、デミグラスソースのハンバーグオムライス。私は生ビールでナポリタン。
ちょっと上野公園をぶらぶらして鈴本演芸場へ。2度目の「親子で寄席」である。 

前座は柳家あお馬、『金明竹』。小せんの弟子か。すっきりとした口調。この頃の前座さんは達者だね。上方弁の言い立てで中手が来ていた。
二つ目は柳家わさび。こちらはさん生の弟子。軽くて明るい。『饅頭怖い』、口調に特徴があって面白い。
ここで太神楽が入る。翁家勝丸。座っての高座。難しい芸になると緊張しているのが分かる。だが、喋りが楽しく、明るく素直な感じが好ましい。客に好感を持たせるってのも一つの武器だな。
ここで古今亭菊丸登場。もうベテランの域か。余裕たっぷりに『親子酒』を演じ、客を沸かせた。
お次は古今亭菊太楼。故圓菊門下が続く。落語協会HPに載せてる写真より大分太ったねえ。ネタは今や古今亭のお家芸『強情灸』。勢いのある高座だ。
漫才、ホームラン。東京漫才の中心的存在としての風格が出て来たね。勘太郎がヒーローものを、たにしが藤木孝「ツイストNO.1」を歌う歌う。自在に高座で遊ぶ感じが、ちょいと昭和のいる・こいるを彷彿とさせる。
待ってました、川柳川柳。ネタは言わずもがなの『ガーコン』。前でホームランがたっぷり歌ったのに触発されたか、川柳も軍歌を歌い倒す。今年は戦後70年の節目ということで、あの戦争について丁寧に触れていく。「何しろ勝ってたのは最初の半年だけ、後の4年はずーっと負けっぱなしだったの」「戦争中は言論の自由も人権も、まるでなかった。嫌な時代でしたな」… 開戦時、10歳だった人の言葉だけに重みがある。あの戦争を美しい物語にしちゃあいけない。
そして、終戦後のジャズのはじけっぷりたるや、口ベース、口トランペット、もう最高。この日は立ち上がって、田舎のお父つぁんの足踏み脱穀機、ガーコンの仕草もやってくれました。御年84というから恐れ入る。声量こそ落ちたものの、歌詞や台詞も淀みなく、口跡も確か。すごい爺さんだ。川柳を聴く幸せに、暫し浸る。
お次は三遊亭歌武蔵の代演で柳亭燕路、『粗忽の釘』。桂小文治さんとともに日暮里特選落語会のメンバー。先代は地味な学究肌。当代は明るく軽妙洒脱。この芝居は明るい芸風の人が多いね。
ここで色物が入る。音楽パフォーマンス、のだゆき。鍵盤ハーモニカで、「車のクラクション」や「救急車のサイレン、ドップラー効果付」、「コンビニの自動ドアが開いた時の音」なんてのを弾いたり、二本のリコーダーをいっぺんに吹いて『剣の舞』なんてのを演奏したりする。喋りも上手い。吹奏楽部の長男は、随分気に入っていた。
仲トリは橘家文左衛門。2001年9月真打昇進と時を同じくして、師匠文蔵が死去。その後大きな後ろ盾もなく、自らで道を切り拓いてきた。たくましく、ふてぶてしく、無頼の香りがある。ネタは『道灌』。この前座噺をしっかりと聴かせるんだな、これが。八つぁん、隠居、八の友だち、三人の登場人物が、生き生きと躍動する。しかも、この、『子褒め』みたいに受けるわけでもない噺で、きちんと笑いを取っている。大したもんだ。53歳、脂がのってきた。落語家としていちばんいい時期だね。来年秋には師匠の名前を継いで、三代目橘家文蔵を襲名するという。これからどんどん大きくなっていく人だと思いますよ。長男も、この人がいちばん面白かったと言っていました。

残念ながら今日はここまで。帰って皆で晩御飯を食べなきゃ、家に残った次男が可哀そうだ。
上野駅でお土産を買って帰る。楽しかったよ。今度は皆で行こうね。

西郷さんの銅像。
私は学生時代、ここで「兄ちゃんいい仕事あるよ」と声を掛けられました。

2015年8月29日土曜日

阿武隈SA エゴマ豚のスタミナ丼


磐越道、阿武隈サービスエリアのフードコート。エゴマ豚のスタミナ丼。
エゴマ豚とは、エゴマを餌にして育てた、福島のブランド豚。
あっさり目のタレで焼いてある。
柔らかくて旨し、でした。
妻と長男が食べたざるそばも、なかなか本格的でした。

ではアップで。


五百川パーキングエリアで食べた、白桃ソフトも美味しかったよ。

2015年8月24日月曜日

水戸散歩

ちょっと前、水戸で宴会があった。
少し早めに行って、ぶらぶら歩く。

東照宮の鳥居を右に入ったとこ。シブい家並みが続く。

今はやってないんでしょうなあ。中華そば、食べてみたかったっす。

味のある坂道。

南町、富士食堂。

ずらりと並んだサンプルがそそる。

こんなとこにボクシングジムが…。

お城みたいな造りです。

写真屋さん。頑張って営業中。

水戸芸術館のタワー。

シブいビルだ、と思ってよく見ると…。

レオタードショップがあった。残念ながら営業はしていないようだ。

素敵なフォントです。

このタバコ屋に八の字眉みたいな模様の猫がいて、TVでも取材されておりました。

1時間ほど歩いて銀杏坂のカフェに入り、ヱビスビールを飲む。
飲み会前のフライングの一杯はたまらないねえ。

2015年8月21日金曜日

喜多方 松食堂のラーメン


喜多方、松食堂のラーメン。600円。
メニューは至ってシンプル。ラーメン、ラーメン大盛、チャーシュー麺、チャーシュー麺大盛、以上。
女の人だけでやっているお店。客を待たせることもなく、手際がいい。きびきびと応対してくれる。
品物と代金は引き換えというパターン。
豚ガラベースの醤油味。自家製チャーシューが3枚。腰のある麺に、あっさり味のスープが絡む。旨かったねえ。これぞ喜多方ラーメンという一品。

店構えはこんな感じ。


シブくていいでしょ。

隣の坂内食堂は長蛇の列だ。


落語で言えば、柳家小三治を聴くか、さん喬を聴くか、といったところなんでしょうなあ。

2015年8月19日水曜日

家族6人、福島旅行②


ホテルを後にし、猪苗代湖畔を通る国道49号線に出る。
磐梯山を右手に、猪苗代湖を左手に眺めながら、会津若松方面に向かう。

30歳になった頃、猪苗代湖畔で一人キャンプをやったことを思い出す。
あの晩は雨で、閉まっていた管理小屋の庇の下でおでんを煮て酒を飲んだ。やがて雨が上がり、雲間から月が顔を出した。きらきらと光る湖面の、この世のものではないような美しさを忘れることができない。

さて、昼食は喜多方でラーメンを食べる予定だった。
前回来た時はラーメン会館みたいな所で食べたのだが(そこはそこでけっこう美味しかった)、父のリクエストで、今回は街のラーメン屋に行くことにする。
市営駐車場に車を止め、歩いて街中に向かう。母は市から借りた車いすに乗せる。
市役所の脇の小道を入ると、喜多方を代表する坂内食堂がある。
11時半だが、もはやかなりの行列ができている。


これじゃ母や子どもを連れて並ぶのは無理。
隣の松食堂に入る。うまいことすぐに座れた。
ラーメン600円也を6つ、すぐさま注文。待たされることもなく、ラーメンがやって来る。
いやあ見事。旨かった。写真は後日、「飲んだり食ったり」でアップします。

喜多方は古い町並みが残る。私としては1時間ぐらい写真を撮りながらぶらぶら歩きたいのだが、年寄り子ども連れの身では自分の趣味を優先させる訳にはいかない。
駐車場までちょこちょっと撮りながら車へ向かう。






最後に観光をしようと、会津若松へ戻り、鶴ヶ城へ行く。
会津は、昨年だったか、大河ドラマの『八重の桜』の舞台。鶴ヶ城付近にはそれ系の看板や展示が目立つ。
鶴ヶ城の天守閣の中は会津藩の歴史を展示している。この手のものを長男は、実に丁寧に見るが、今回は次男も興味を持ったらしく、けっこう時間をかけて見学して行った。
天守閣のてっぺんから母の車いすを押す父を探す。こちらから電話をすると、すぐ下の木陰から姿を現した。病後、随分怒りっぽくなった母を、生来短気な父がよく面倒を見ている。母も父を頼りにしているからこそ、父にしか大きな声を上げない。何だかんだ言って、うちの両親は仲が良いのだ。これは、私にとって(それほど大量にないと思われる)幸運の一つだろう。

会津藩は、幕末、薩長の討幕勢力と敵対し、戊辰戦争では官軍に激しく抗戦した。そのため、明治政府は、会津藩を下北半島の斗南へと移封する。極寒の地で彼らは塗炭の苦しみをなめた。
東京への電力供給のため原子力発電所が作られたのは、この福島県と、やはり戊辰戦争で官軍を苦しめた長岡藩のあった新潟県である。そして、福島では東日本大震災による原発事故で、15万人もの人々が帰る土地を失った。
我が国の首相は、「2018年まで頑張って、明治50年、100年、150年の区切りの年を、すべて山口県(つまり長州ですね)出身の首相で揃えたい」と言ったという。

久し振りに見た鶴ヶ城は、この辺りでよく見る、赤瓦の屋根に変わっていた。
明治政府の命令で、鶴ヶ城の建造物は天守閣を含み、ほとんどが取り壊された。(会津藩士の「悲愴感慨の心を消すために」という意図があったらしい)
鉄筋コンクリート製の天守閣が再建されたのは昭和40年。今年が再建50周年にあたる。



15年程前の鶴ヶ城の写真はこちら。



3時ごろ、会津若松を出て、家に着いたのが7時頃。スーパーカスミで買って来た寿司でビール、酒を飲む。