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2017年7月5日水曜日

福寿 五目そば

かすみがうら市水族館に行った後は、神立に出て昼飯にする。
ふと目についた中華屋に入った。


なかなかそそる店構えでしょ。
次男はココスがいいと言ったけど、個人経営の店が好きな長男がこちらを推した。

長男はチャーハン、次男はラーメン定食(半チャーハン付)、私は五目そばを頼む。
では五目そば820円也。




あんかけタイプ。イカ、エビ、たけのこ、きくらげ、しいたけ、野菜と具だくさん。肉は豚と牛と2種類が入る。胡麻油が香ばしい。
子どもたちのラーメンやチャーハンも、まさに「一目で分かる、旨いやつやん」。
ココスがいいと言っていた次男も、「また来よう」と喜んでおりました。
元かすみがうら市職員、アントキノ猪木お勧めの店とのこと。
「お父さんの見つけるお店は美味しいねえ」と株を上げさしてもらいました。

2017年7月4日火曜日

かすみがうら市水族館に行く

この前の日曜日。妻はお出かけ。うちの子たちは、放っておくとずっと家の中にいるので、外に連れ出す。
お兄ちゃんが調べものがあるというので、そんなに遠くへは行けない。かすみがうら市の水族館に行く。


小さい水族館だが、展示は充実している。何たって、タイオウグソクムシがいるのだ。この前見たときもそうだったが、この日もひっくり返って動きもしなかった。大丈夫か、ダイオウグソクムシ。(暗くて、写真はフラッシュなしでは撮れなかった。)
館内はほどほどのにぎわいだったが、割と評判だったのが、オオサンショウウオ。牛久市で捕獲されたものだという。


子どもたちは、鯉の餌(100円)を買って来て餌やり。ヌシのような巨大な鯉が群がってくるのは圧巻である。


大人料金310円。かなりリーズナブルではある。

霞ケ浦の堤防に出る。ここから見る霞ヶ浦は、広々していいなあ。



しばらく車で湖岸を走り、昼飯を食いに神立に向かう。
湖岸近くの集落にあった建物。何か醸造業をしていたと思われる。美しい。


2017年7月2日日曜日

休日の午前、『ジョンの魂』を聴く

朝、TVドラマ『ひよっこ』を観ていたら、茨城の兄ちゃんが「ビートルズっつーのは、自由に自分の思ったことを叫んでっから、いいんだ。『仕事休みてー』とか『好きだー』とか、な」と言っていた。
そして、その初期のビートルズの中心で叫んでいたのが、ジョン・レノンだったことに思い当たる。ジョンのシャウトが聴きたくなって、『ジョンの魂』をターンテーブルに載せ、針を落とした。物置から持って来た、昔買ったLPレコードだ。保存があまりよくなかったせいか、2回ほど音飛びがしたが、それでも圧倒されたな。

1970年発表。ビートルズ解散後の、ジョン・レノン初のソロアルバムである。
いわゆる「私小説」的な作品。スターとしての虚飾を剥ぎ取り、幼児期まで遡った苦悩や感情をありのままにさらけ出したロック史上に残る名作、と言われる。
ギター、ベース、ドラム、ピアノというシンプルな構成。しかもドラムはリンゴ・スター。リンゴの重厚なドラムが、このアルバムのサウンドの背骨となって、そこにジョンの奔放なギターが絡むのだから、堪らない。ジョンのボーカルが、甘く、鋭く、切なく響く。裏声やかすれ声も駆使し、改めて聞くと、ジョン・レノンがとてつもなく巧い歌手であることが分かる。
冒頭の『マザー』でジョンは、「母よ、私はあなたのものであったが、あなたは私のものではなかった」「父よ、あなたは私を捨てた、私はあなたを捨てなかったのに」と叫ぶ。しかし、ジョン自身も、妻シンシアと息子ジュリアンを捨てて、オノ・ヨーコに走ったのだ。全くどの口が言うのか、と思わざるを得ない。そこをジョンは圧倒的な歌唱でねじ伏せる。そして、そうか、ジョンは「火宅の人」であったのか、という新たな感慨が立ち上ってくる。
『ワーキング・クラス・ヒーロー』、『ラヴ』といった名曲や『リメンバー』や『ウェル・ウェル・ウェル』といったハードなロックもいいが、『ホールド・オン・ジョン』、『ルック・アット・ミー』などの小品もいい。楽曲の1つ1つが粒立っている。
そして、このアルバムのクライマックスをなす『ゴッド』。「神はひとつの概念である。私たちの苦痛を測るための。もう一度言おう。神はひとつの概念である。私たちの苦痛を測るための。」・・・突き放すようにジョンが歌い出す。ビリー・プレストンのピアノが素晴らしい。ラストは「私はビートルズを信じない」「夢は終わった」・・・まさにビートルズ神話にとどめを刺す。
だけど、よくよく考えると、録音はアビイロードスタジオ、ドラムはリンゴ・スター、ピアノに『レット・イット・ビー』セッションのゲストミュージシャン、ビリー・プレストンだ。ポーカルはジョン一人。ヨーコの声はバックコーラスにも入っていない(ここ重要)。まるでジョンによるビートルズの再現ともいえる演奏なのだ。
一発録りのようなシンプルな構成で、荒削りなように見えるが、実はかなり完成度の高いアルバムなのではないだろうか。
改めて思う。やっぱり、ジョン・レノンはカッコいい。

このアルバムジャケットも名作だと思う。

2017年6月28日水曜日

「こうや」 醤油ラーメンとチャーシュー丼


この前の休み。次男と妻がお出かけ。昼飯を食いに長男を連れ出す。
「何が食べたい?」と訊くと、「ラーメン」と答える。長男はラーメンが大好きなのだ。
では、たまにはチェーン店ではない所に行こう。寄る所があるので、そっち方向、かすみがうら市の「こうや」がいいぞ。
なかなかあっちの方で飯を食うことがないので、たまーにしか行かないが、「こうや」は開店したての頃から食べている。確かな味と穏やかなご主人の人柄で、たちまち人気店にのし上がった。
11時半過ぎ入店。カウンターはほぼいっぱい。座敷が空いていたので、そっちに行くことにする。
まずはその前に券売機で食券を買う。ここは基本の醤油ラーメンだな。長男も一番好きな醤油を選ぶ。飯も欲しいな、と思い、チャーシュー丼を押してみるが、ダメ。
「お父さん、『平日の夜限定』って書いてあるよ」と息子に指摘される。
食券を渡す時、そのやり取りを聞いていたのか、おかみさんが「チャーシュー丼できるそうですよ」と言ってくれた。目が合ったご主人が、にこっと笑ってくれる。
「ありがとうございます」と言って、現金310円を追加した。

で、出て参りました、醤油ラーメン、580円。

端正な佇まい。

アップね。

チャーシューが3枚も。

麺は中太。もちもちして旨い。

スープは豚骨と鶏ガラがベースで、魚介の風味が加わる。ネットでの情報だが、ご主人は小美玉にあった名店「いにしや」で修行されたとのことだ。
ご主人の人柄がにじみでる、誠実な味。旨し。

やがてチャーシュー丼が登場。



1つを長男と分けていただく。胡麻の香りが食欲をそそる。普段は小食の長男もぺろりと平らげた。

お腹いっぱい。美味しかった。
用事を済ませ、1時半過ぎ店の前を通ると、表に空席待ちのお客が数人。さすが人気店だねえ。





2017年6月27日火曜日

霞ケ浦サイクリング


ちょっと前の土曜日。次男と霞ケ浦の堤防までサイクリングをしてきた。
釣り人がけっこういたな。でっかいボラを釣り上げていた人がいた。
水のある風景は心が落ち着く。みんな霞ケ浦が好きなんだ。


堤防をしばらく走ると、次男がもう疲れたという。
私は別にスパルタ親父ではない。んじゃ、いい気分のまま帰ろうか。


栗の花が満開でした。
帰って、昼食はつけめん。旨し。シメに冷御飯をスープに入れてかっこむ。これもまた旨し。

2017年6月26日月曜日

井上井月とつげ義春

S君と伊那谷へ行くことになった時、私はひそかに心を躍らせた。それは、そこが井上井月ゆかりの地であったからだ。
私が井月の名を知ったのは、つげ義春の『蒸発』という漫画であった。初出は1986年12月の「COMIC ばく」。私はこれをリアルタイムで読んだ。 

この話は主人公「私」の友人、古書店店主の山井という男の紹介から始まる。
山井の経歴は、ただ伊那の高遠の出身らしいという以外は、詳しくは分からない。ふらりとこの町にやって来て、主人を亡くしたばかりの古書店の後家さんとできてしまい、ずるずるべったり、その店の主人となった。死んだ亭主の名前が「山井一郎」で、彼はその表札の名前に一本足して「山井二郎」を名乗った。
「どうせ私は帰るのだから・・・」「ほんのちょっとここに来ているだけですから」と時々口にする山井は、どうやら故郷に妻子を置いて蒸発して来たらしい。彼は「私」の「自分のすべてを捨てて蒸発するってのはなんだろう」という言葉に対し、「自分を『あってない』と観想するための具体的方法でしょう」と答える。
ある日、山井が「私」に『漂泊の俳人 井月全集』という本を貸してくれた。
井月と山井が二重写しに描かれていく。
井月は幕末から明治にかけての俳人。世に知られることなく、伊那谷で死んだ。
井月が伊那谷にやって来たのは安政5年、井月、36、7歳の頃。学識に優れ達筆で吟詠迅速神技の如し、相当の尊敬を受けたという。
伊那谷では定住せず、あちこちの俳諧趣味のある旦那衆の家を泊まり歩く。無類の酒好きですぐに泥酔し、脱糞失禁に及ぶことも少なくはなかった。
そのうちシラミはたかる、ヒゼンは病む、悪童どもからは「乞食井月」と馬鹿にされるようになった。
村人も彼を持て余すようになり、ある時、とうとう善光寺詣りに連れ出され、捨てられた。善光寺なら井月の故郷越後に近いので、そちらに帰るだろうと思われたのである。
しかし井月はまたふらりと伊那谷に舞い戻る。以前彼をもてなした旦那衆も、もうその頃には軒先で酒食を与え、家に上げようとはしなかった。
明治19年12月、枯田の中に糞まみれで倒れている井月が発見された。
あちこちたらい回しされた後、最も縁故の深かった俳友宅にかつぎこまれる。井月は納屋に寝かされ、そこで翌年の3月10日まで生き、死んだ。死ぬ間際、俳友たちは無理矢理彼に筆を握らせ辞世の句を書かせた。「何処やらに鶴の声聞くかすみかな」
ラストシーンで、「井月も山井も大馬鹿ものだよ・・・」と「私」はつぶやく。 

2012年には岩波文庫から『井月句集』が出た。参考編として「略伝」や「奇行逸話」などが付いていて、『蒸発』で使われたエピソードも多く含まれており、興味深い。
『芸術新潮』2014年1月号のインタビューでつげ義春は、「井月の句集が岩波文庫になる時、文章の依頼があったのですが、自分の井月像は俳人としての関心ではなく、あくまでも蒸発者の視点なので、それではまずいと思いお断りしてしまった。」と述べている。
つげ自身も蒸発志向があり、「蒸発旅日記」(『貧困旅行記』新潮文庫に収録)という文章も書いている。(これは名作。映画化もされた。)
つげ義春も今年で80歳か。妻を1999年に亡くし、一人で引きこもりの息子の面倒を見、目の具合もよくないという。もう新作は無理だろうな。でも、よく生き延びてくれた。落語を語らなくなった志ん生と同じで、もうそこにいてくれりゃいい。 

だらだらと新味のないことを書いたけど、もし、これで、ちょっとでも、つげ義春や井月を読んでみようか、と思ってくる人がいたら幸いです。

では伊那谷の風景を1枚。


2017年6月24日土曜日

豊崎自転車商会ラーメン事業部


土浦の旧水戸街道沿いにある自転車屋。右側にラーメン屋の暖簾が揺れているのが分かるだろうか。
実はこのラーメン屋、自転車屋のおじさんとおばさんがやっている店なのだ。
二つの店は中で行き来ができるようになっていて、ラーメン屋の暖簾をくぐると、自転車屋で店番をしている二人がやって来て、注文を取りラーメンを作ってくれる。
ラーメン屋には店名はなく、地元の人は「豊崎自転車商会ラーメン事業部」と呼んでいる。
前を通りかかったのは午後3時過ぎ。ちょうど小腹が減っていたので、せっかくの機会だし、ラーメンの一杯でも、と寄ってみることにした。
話には聞いていたが、入るのは初めて。入るとテーブルが二つ。10人も入ればいっぱいになってしまう。一つのテーブルには先客がいて、餃子をつまんでいる。おじさんとの会話を聞くと近所の人のようだ。
おじさんに「ラーメンひとつ」と告げると、おばさんがラーメンを作ってくれる。
で、やって来ました、ラーメン400円。



見事に昔ながらのラーメン。おやつとしてもいけますな。また散歩の途中にいいかもね。