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2017年8月10日木曜日

ハワイアンズに行って来た


今年の夏休みのお出かけは、春に沖縄に行ったので1泊旅行はなしね、という我が家の財政担当の鶴の一声により、日帰りと決定。次男が行きたがっていたスパリゾート・ハワイアンズに行くことにした。
私が子供の頃は常磐ハワイアンセンターと言った。常磐炭鉱が下火になって、地元雇用の創出として建てられた観光施設だということを、私は映画『フラガール』で知った。
昔は常磐線とバスを乗り継いで遥々やって来た。3時間は優にかかったろう。父も母も、幼い私と妹を連れ、へとへとになりながら、それでもたまの小旅行に胸を躍らせていたに違いない。
朝7時に家を出て、9時には福島県いわき市のハワイアンズに着いた。
何年か前、小学校の子ども会で来た妻と次男は慣れた様子でプールサイドの一角に我が家の拠点を作った。
平日だが、夏休みとあって家族連れや若いカップルでごった返している。ただ、客のほとんどがNHKドラマ『ひよっこ』並みに訛っているのが微笑ましい。
流れるプールでぷかぷか流され、回数券を無駄にするまいとせっせとウォータースライダーに乗り、フラダンスやファイアーショーを観て、お昼にはせっかくのハワイだからとロコモコを食べ(旨かったよ)、たっぷり5時間遊びました。プールが大好きな次男も、学校の水泳の授業が大嫌いな長男も、存分に楽しんでくれたようだ。
お土産を買って3時過ぎハワイアンズを出る。

せっかくだからと塩屋崎灯台へと向かう。
「フレッシュひたちのブルーは塩屋崎の海を意味しているんだぞ」と豆知識を披露しながら車を走らせる。
塩屋崎に着いたのは4時。灯台は断崖絶壁の上にあった。駐車場から急な石段が続く。それを見て、妻と次男はあっさりと「車で待つ」と言った。せっかくだからと、長男と私が石段を上る。
見学時間は4時まで。門は固く閉じられていた。


しかし、白亜の灯台も、断崖絶壁から見る海も美しかったな。




駐車場には美空ひばりの歌碑がある。




美空ひばりの晩年、病気療養復帰後第1弾のシングルが、塩屋崎を歌った『みだれ髪』だということで、この歌碑が建ったという。
昭和の歌姫、歌謡界の女王ひばりは、1989年6月24日、52歳でこの世を去った。時は昭和から平成になったばかり。戦後の復興からその歌声で時代を支えて来た人は、昭和の終焉とともに舞台を下りて行った。ちなみに美空ひばりは私の母と同年の生まれである。

ちょっとだけ付近をぶらついて帰途に就く。
カーナビが当てにならないほど道が変わっていて、やたらと更地が多い。もしかしたら、と思ってみたら、やはり東日本大震災による津波で甚大な被害を受けていたんだな。
あの年に小学校に入った次男が今はもう中1。時は過ぎたが、本当に復興は道半ばなのだと思う。


2017年8月6日日曜日

反戦歌を特集してみる

時代がこんな雰囲気だからこそ、反戦歌。
私の好きな歌を並べてみる。

○ボブ・ディラン『風に吹かれて』
反戦歌の象徴みたいな歌。最初聴いた時は、あまりのシンプルさに、なぜにこれが名曲、と思ったりしたけど、じわじわきますな。この曲、ハーモニカで弾くとしみじみしますよ。

○サイモンとガーファンクル『スカボロー・フェア/詠唱』
マザーグースの元歌に、ポール・サイモン、オリジナルの反戦歌がカウンターメロディーで歌われる。高校の時に聴いて衝撃を受けた。メロディーは美しいが、歌詞はすごい。

○かぐや姫『あの人の手紙』
戦死した恋人の霊が彼女のもとに一晩だけ帰ってくるという詞。マイナーコードのハードな曲調がいい。

○長谷川きよし『悲しい兵隊』
たぶん知る人は少ないだろうが、これぞ名曲。彼の代表作、『別れのサンバ』『黒の舟歌』『灰色の瞳』と比べても、私個人では、こちらを上位に置く。実はこの曲を紹介したくて反戦歌特集を組んでみたのだ。

○吉田拓郎『いつも見ていたHIROSHIMA』
1995年、高山T君と尾道を旅した時、ちょうど8月6日で、地元のFMからこの曲が流れてきた。原爆記念日、快晴の瀬戸内海を左手に車を走らせながら聴くこの曲は、特別な、まさに特別な感じがしたのだよ。

○加川良『教訓Ⅰ』
日本の反戦歌と言えばこれ。「あおくなって尻込みなさい 逃げなさい隠れなさい」・・・「戦わないで逃げよう」という画期的なメッセージ。今だったら「日本から出てけ」と言われそうだ。ということは、今の方が怖いか。

○ジョン・レノン『ハッピー・クリスマス』
「あなたが望めば戦争は終わる」・・・絵空事かもしれないけど、そっからしか始まんないもんな。思想や国境や宗教だけではなく、「経済」の見地から戦争を始めたいと思っている人たちもいるらしい。気をつけなきゃな。

「歌に政治を持ち込むな」という言葉を最近よく聞くようになった。しかし、そこには、そう言うことで政治的なメッセージを封じ込めたいという意図が透けて見える。
言いたいことは言えばいいし、歌いたいことは歌えばいい。優れた歌はそれがただのアジテーションに終わってはいないし、狭い範囲にしか届かないメッセージにはなっていない。普遍的な価値を持つ、人の心を揺さぶるものが、こうしてしっかり残っているのだと思うのだ。


2017年8月1日火曜日

八海くんちのマンガ

以前、大福さんが、「落語のテープを借りるなら八海さん」とブログに書いていた。
八海くんは当時、ダブルカセットを持っていて、ばんばんダビングしていたのに加え、ラジオの落語番組をかたっぱしから録音していたので、そのコレクションは瞬く間に増えていった。新ネタを仕込むために、皆、八海くんのコレクションのお世話になった。

ふと私が八海くんで思い出したのは、「マンガを読むなら八海の所」であった。
彼は凝り性で、マンガ雑誌もばんばん買っていた。少年誌では、「ジャンプ」「マガジン」「サンデー」は毎週。当時は青年誌が若者向けに新雑誌を売り出した頃で、「ビッグコミック スピリッツ」とか「ヤングジャンプ」なんてところも、八海くんはカバーしていたし、もちろん「ビッグコミック オリジナル」も「ビッグコミック」も毎号買っていた。まあその頃主だったマンガ雑誌のほとんどが、八海くんのアパートにそろっていたと言っていい。
そして、私たちが大学生活を送っていた1980年代初頭と言えば、マンガが一番元気な頃だった。
ジャンプでは江口寿史が主戦場として活躍していたし(だいぶ壊れかけていたけれど)、ちばあきおの『プレイボール』も面白かった。鳥山あきらが『Dr.スランプ』をひっさげて登場してきたのは衝撃的だったな。
マガジンでは何と言っても小林まこと。『1、2の三四郎』は柔道編も読みごたえはあったが、プロレス編になると、超ど級の面白さだった。私が4年の時に1年生につけた芸名「牛車(うっしゃー)」と「乱頭(らんとう)」はここから取っている。
サンデーは高橋留美子の『うる星やつら』が看板だったな。村上もとかの剣道マンガで、『修羅の剣』という読みきりの後、修羅と六三四のライバル物語、『六三四(むさし)の剣』の連載が始まった時は鳥肌が立った。こんな画期的な連載の始め方を、私たちはそれまでに体験したことがなかった。
「ビッグコミック スピリッツ」では高橋留美子の『めぞん一刻』が大ヒットした。私としては、いしかわじゅんの『約束の地』の面白さに度肝を抜かれたな。ただ一般的な人気はなかったようだ。この後、いしかわの活躍の場はマイナー誌へと戻っていく。
「ヤングジャンプ」は『キャンパスクロッキー』とか『ネコじゃないもん』とか『いとしのエリー』とか、今思えばイタい話が多かったなあ。その中では『キャンパスクロッキー』が等身大で切なくてよかった。八海くんもこれが好きで単行本をそろえていたと思う。
「ビッグコミック オリジナル」は、西岸良平『三丁目の夕日』、水島新司『あぶさん』、ジョージ秋山『浮浪雲』の三枚看板。『あぶさん』も『浮浪雲』も、後年主人公がどんどん偉くなっていっちゃったけど、この頃はまだまだ元気で楽しかったな。私は弘兼憲史の『人間交差点』が好きだったんだけど、あれはビッグコミック オリジナル」だっけ?「ビッグコミック」だっけ?
こうして作品名を挙げていくと、八海くんのアパートで、熱心にマンガを読みふけった日々を思い出す。

当時、私が買っていたマンガ雑誌は「マンガ奇想天外』。吾妻ひでおやいしかわじゅん、高野文子、近藤ようこ、なんてところに熱狂していた。そして何と言っても好きだったのは、巨匠つげ義春。こう並べてみると、ぐっとマイナーに傾いていくなあ。



2017年7月27日木曜日

北浦湖畔

この間、珍しく休日出勤した時、北浦湖畔を車で走ってみた。


旧大洋村の辺り。シブい建物。

なぜここに「東北サファリパーク」の看板が。

鹿嶋市に入った所で、北浦大橋を行方市白浜側に渡り、湖岸を北上する。


北浦が大きく湾状になっている境川河口の辺り。



旧北浦村辺りの蓮の花。

これも旧北浦村。シブいお店。


2017年7月24日月曜日

よしのや ラーメンセット


神立駅前、よしのや。ラーメンセット、850円。
長男と水族館へ行った帰り、この前行った福寿の「ラーメン定食」があまりに旨そうだったので、行ってみるが、無情にも臨時休業。
では、というので長年気になっていた、よしのやに行く。
蕎麦もラーメンも定食も、という店。ずーっとこの神立駅前に暖簾を出している。
蕎麦屋に来たら、もりか、とも思ったのだが、腹が減っていたのと、「ラーメン定食」の気分になっていたので、これをチョイスした。
ラーメンにミニ肉丼、これにサラダ、冷奴、お新香に、もずくまで付いてくるじゃありませんか。栄養バランスもいいねえ。これで850円はお値打ちですな。

では、ラーメンのアップね。


昔ながらの中華そば。ナルトが2枚と見せかけて、実はもう1枚、スープに沈んでいるのである。スープはもうちょっと澄んでいる方が好みだが、充分旨かった。


普通、ラーメンセットでは半チャーハンが定番だが、ここはミニ肉丼。優しいお味。旨し。

お店は老夫婦で切り盛りしてる。
店内の雰囲気も、私好みだ。


店の入り口には、ショーケースに食品サンプルが並ぶ。



店構えも文句なし。正しい駅前食堂である。

2017年7月23日日曜日

かすみがうら市 歩崎

今日は妻と次男がお出かけ。
昼頃、長男と出かける。
もう1回、かすみがうら市水族館に行きたいというので、連れて行く。けっこう客が入っていたな。規模の割には展示も豊富で楽しめる。



久し振りに近くの歩崎観音に行ってみる。




この辺りは旧出島村。
多分、霞ケ浦に半島状に突き出した地形に由来した名前だと思う。
歩崎観音はその霞ケ浦を望む高台にある。その眺望は「茨城百景」にも指定されている。
ここから見る霞ヶ浦は広い。

この湖畔は、昭和30年代までは、浮島・天王崎・桃浦と並ぶ湖水浴場だった。

茨城百景の碑。

土浦藩が建てた常夜灯。

映画『米』の撮影記念の碑。
南田洋子がロケに来た時の写真が家にある。

昼は神立駅前のよしのやで食べる。

なかなかシブい店構え。
詳しくは後日「飲んだり食ったり」で紹介します。

今日は雨が降ったりやんだり。猛暑もさすがに中休みといったところだったね。



2017年7月22日土曜日

夕姫さんと楓さん

落研には女子部員もいる。
私たちの代には、夕姫さんと楓さんと2人いた。2人とも途中でやめることなく、無事落研部員として卒業した。

女子部員ということでいえば、私たちが1年の時の4年生こそ3人の女性の先輩がいたものの、2代上は女子部員はゼロ。(実は1人Tさんという方がいて、写真を見せていただいたが、アグネス・チャンに似た美人だった。彼女は私たちが入学する前にやめていた。)1つ上の代は美恋さんだけ。(この代は男子部員も風神さん1人。2人はお雛様コンビと呼ばれていた。)
下の代も同様で、1つ下は2人いたが、結局、露漫さんだけが残った。2つ下は風°鈴(プリン)さん1人しか入らなかったし、その下は4人入ったが、やはり1人しか残らなかったと記憶している。

そんなわけで、私たちの代は、夕姫さんと楓さんが2大アイドルとして君臨していたのだ。
そして、この2人の個性が対照的だったのも面白い。明るく太陽のような夕姫さんと、クールで繊細な楓さんは、当時の2大アイドル、松田聖子と中森明菜のようだった。(先日、知ったことだが、初め楓さんは真打名を「あき菜」にするつもりでいたが、中森明菜の登場で、「わか菜」にしたのだという。)
落語でいえば、夕姫さんは『饅頭怖い』や『松竹梅』を得意とし、はじけた面白さがあったし、楓さんは『初天神』や『金明竹』で、いかにもかわいらしい子供や与太郎を描き出した。2人とも、とても楽しそうに落語を演じていた。よく稽古して上手かったと思う。
この2人が、共に最後までやめなかったのは大きい。2人の絆が、私たちが想像できないほどのものであったことに間違いはない。

この前のOB会の日は、昼間2人で上野の美術館を観、会の後は楓さんは夕姫さんの家に泊まったという。あの濃い4年間を過ごした女同士、積もる話でいくら時間があっても足りなかっただろう。そういう機会が持てたことが、お節介なようだが、私としても嬉しい。

また会いましょう。皆、お互い時を重ねていい具合に大人になった。こんなふうに齢を取るのも悪くないな。

ちなみに夕姫さんと楓さん、生年月日も同じ。しかも元日。すごいよねえ。