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2018年12月5日水曜日

土浦市、旧新治村地域の火の見櫓 ~ 火の見櫓20~

この間、旧新治村をぶらぶらしていた時、火の見櫓を見つけた。
まずは高岡集落にあったもの。
香取神社が目に留まり、車を止めたら目に入ってきた。
すごいな、俺。まるで火の見櫓ハンターみたい。

香取神社からのアングル。


足元には石仏があった。

アップで。



次は旧常陸藤沢駅近く。
丁字路で左右確認をしていたら目に入ってきた。またしても、すごいな、俺。

左右確認で見たアングル。
1回反対方向に曲がってしまい、戻って来た。




また見つけたら載せます。

2018年12月2日日曜日

桂文楽 黒門町へ 再検証


大分前だが、桂文楽の記事で『黒門町へ』という記事を書いた。
これは、文楽は三番目の妻との結婚によって黒門町に居を構えた、というものであった。
資料としたのは、柳家小満んの『べけんや わが師、桂文楽』で、「そして翌年の大正十三年には、横浜の芸者さんと黒門町のお宅で、三度目の所帯を持った」と、しっかり書いてある。
ただ、異説はある。『対談落語芸談2』(川戸貞吉編 昭和60年 弘文出版刊)での雷門福助の証言である。
この中で福助は、文楽の二番目の妻、日本橋(江戸橋トモ)の旅館丸勘のおかみ、鵜飼富貴の次に、雑司ヶ谷のお寺の離れで所帯を持った女を三番目の妻としたうえで次のように言っている。

福助 三番目の女の人は誰だったか知らないけど、それから後に文楽師匠のかみさんになった五人目、六人目の女は知ってるんですがね。
川戸 ほーう。
福助 五人目は富士見町の待合のかみさんをかいて、今の黒門町 — 「黒門町黒門町」ッてみんないいますけど、あれァ自分の家じゃァないんですよ。あれァ死んだ音曲師のしゃっくりのかしくてえ人がいたン。
川戸 ええ。
福助 その人の家なんですよ。かしくさんが死んで、そこへ黒門町が飛び込んで、かみさんをかいて、そこで夫婦で一緒に暮らしてたんですよ。それが四番目ぐらいのタレですよね。
川戸 ははあ…。
福助 それで黒門町へ住んでるうちにかみさんも死んじゃった。で、今度(こんだ)五番目の女が、富士見町のおかみさん。
(中略)そのおかみさんと話が出来て、待合へ長いこと入り込んでいたン。そのうちに待合をやめて「黒門町へ越そう」ッていって、黒門町へ越したのが、これですよ。(と写真を出す)

文の家かしく。本名吉岡力蔵。万延元年7月生まれ、大正1231日没。笠間稲荷にある睦会の奉納額にも名前が見える人である。


文楽が丸勘のおかみと別れたのは関東大震災がきっかけだから大正12年。震災が91日だから、その頃にはかしくはもう死んでいる。
福助の言う「富士見町の待合のかみさん」が、「長屋の淀君」といわれ、文楽と長く連れ添った寿江夫人のことだろう。寿江夫人と文楽との結婚は、大正14年。「ひーさん」こと樋口由恵の仲人で神田明神で式を挙げ、講武所の「花屋」という料亭で披露宴をしたという。(ウィキペディアでは三番目の妻しんと別れたのは昭和3年、寿江夫人との結婚を昭和15年としている。出典は明らかではない。戸籍がそうならそう書いてほしいところだが。)
すると、文楽が黒門町に越したのは大正14年頃(ウィキペディアの記載だと昭和15年か)になる。で、福助が出した写真が『対談落語芸談2』に掲載されているのだが、それを見ると、文楽は明らかに老境に入っているし(大正14年当時、文楽は33歳。昭和15年でも48歳だ)、寿江夫人は膝にスピッツを抱いている。この犬は現文楽など戦後に弟子入りした人たちの話題に上る「チイちゃん」であろう。私にはこの写真が戦後に撮られたものとしか思えなかった。


CDブック『八代目桂文楽』の解説本にある年譜でも、「大正十三年 横浜の芸者(しん)と三度目の結婚。/大正十四年 しんと別れ、寿江と四度目の結婚。」と書かれてもおり、福助の話に今一つ確信も得られなかったので、私はいわば正史に沿って記事を書いたつもりだった。
いずれにしても、文楽の結婚生活が落ち着いたのは寿江夫人以降。それまでの文楽の女性関係は複雑を極め、正確なところは分からないだろう。雷門福助の話は時系列での混乱が見られたので、私は記事にはしなかったのだが、当時を知る人の証言として、やはり重要だったと思う。もしかしたら、かしくの妻との一件は文楽にとって封印したい過去で、弟子などには改編して話していたという推測もできるかもしれない。

とりあえず、福助説とウィキペディア説をまとめると、以下のようになる。(※印はウィキペディアにおける記載より)
・関東大震災で丸勘が被災、鵜飼富貴と別れる。(大正12年)
・別の女(横浜の芸者「しん」か?)と雑司ヶ谷の寺の離れで所帯を持つ。(大正13年)
  ※武本志んとの夫婦関係は大正13年から昭和3年まで。
・文の家かしく未亡人の住む黒門町の家に入り込み、夫婦となる。
  ※時期不明。
・かしく未亡人死後、富士見町の待合のおかみ(寿江)と関係を持ち、長期間待合に入り込んでいたが、やがて待合を廃業し黒門町に移る。
  ※岸寿江との結婚は昭和15年。

ちなみに2015年刊の『文藝別冊八代目桂文楽』の年譜では、CDブック『八代目桂文楽』の解説本と同様、三度目の結婚(しんと思われる)を大正13年、四度目の結婚(寿江と思われる)を大正14年にしている。



2018年12月1日土曜日

寒くない師走

昨日は午後から振替で早く帰る。
コーヒー豆が切れていたので買いに行く。ついでに石岡の街を少しだけ歩く。
小春日和。気持ちのいい晴天だった。

ここ、最近コマーシャルで使われているよね。



アマゾンで頼んでいた、山本祥三の『東京風物画集』が来る。
早速淹れたコーヒーを飲みながら見る。
鶏のささ身のチーズ焼き、大根の煮物で燗酒。寝酒にアイリッシュウィスキー。

今日は車検を済ませたミニを取りに行く。
帰りにQ’Tに寄る。腕時計を修理に出し、リブロで『谷口ジロー・描くよろこび』を買う。
昼はインドカレーのサイノでサイノセット。マトンと豆のカレーを選ぶ。マトンは辛口。旨し。お土産にドーナツを買う。
少し回り道をして旧新治村の辺りをぶらぶらする。

高岡の辺り。香取神社。

神社の隣に薬師堂がある。



藤沢に入る。

関東鉄道筑波線藤沢駅の跡。
今はサイクリングロードとして整備されている。


八坂神社境内。


国道125号線の旧道。


帰るとミー太郎がにゃーにゃー鳴く。にゃーにゃー鳴くが近寄っては来ない。子どもたちも「鳴き声で帰って来たのが分かったよ」と言う。
ごろごろしながら、ビートルズ『アビイ・ロード』のB面を聴く。秋から冬に向かって行く、こういう季節に『アビイ・ロード』はよく合う。
2時近くなって妻が仕事から帰る。おやつに皆でドーナツを食べる。
夕方、食パンをちぎったのに鶏のささ身を混ぜて、ミー太郎にやる。家の中から見ていると、辺りをきょろきょろ警戒しながら食べている。あんなにびくびくしなくてもよかろうに、と思う。
今夜は妻が女子会なので送迎。おでんで御飯を食べる。
今日も小春日和で暖かかった。もう師走なんだけどね。

2018年11月30日金曜日

市丸小川店 ランチの天丼


市丸小川店の天丼。
たまーに天丼が食いたくなる。そういう時にはここ。
鉾田の天ぷらの老舗、市丸の支店。開店して20年ぐらいにはなるか。
海老2本、鱚、ピーマン、茄子、さつまいもが載って、感動の600円(ランチ20食限定)。今回は私で完売でありました。
わしわし食う。旨し。この頃、揚げ物は胃がもたれるんだけど、大丈夫だったな。
ではもう1枚、アップで。ケータイだから、それなりの画像ですが。


2018年11月26日月曜日

3連休

3連休も、もう終わり。
初日は前回書いた通り、バスツアー。
私は首都高の景色が好き。
特に小菅から箱崎までの首都高6号線がいい。下町の風景をたっぷり堪能する。

荒川放水路を渡る。

この辺りから隅田川沿いを行く。

浅草吾妻橋。

羽横線もいいなあ。

多摩川を渡り川崎に入る。

やがて京浜工業地帯へ。


工場萌え。
2日目。長男のピアノの送迎の合間に恋瀬川の堤防を歩く。

愛郷橋。

恋瀬川河口から霞ケ浦を望む。

筑波山。

高浜の船溜まりは水門の向こうにある。
3日目は車検のためミニをディーラーに預ける。
代車はクーパーS。


ここ数日、家に猫が居ついている。トラ柄の子猫だ。
人の顔を見てにゃーにゃー鳴くくせに、近づくと逃げてしまう。それでいて、放っておくと、また何かを訴えるように鳴き始めるのである。
とりあえず、私の古い飯茶碗に残り物を入れておいた。するときれいに食べる。
段ボール箱にタオルを敷いて家の前に置いてみると、そこがお気に入りになったみたいで、もぐりこんで昼寝なんかしている。
オスかメスかは分からないが、私たちはミー太郎と呼ぶことにした。
居心地がよかったら、好きなだけいておくれ。



2018年11月24日土曜日

横浜バスツアー

懸賞で横浜へのバスツアーが当たったので、親子4人で参加する。
当たったのは1名なので、3人分は有料だけど。

石岡駅を朝の8時に出発。
天気は快晴。東京に近づく間、ずっと窓外には富士山がきれいに見えた。


渋滞もなく10時半には横浜へ着く。
関帝廟で記念写真を撮って、すぐに昼食へと向かう。




昼食は四五六菜館。麻婆豆腐、白身魚のチリソース煮、コーンスープ、チャーハン、手毬餃子、鶏肉カシューナッツ炒め、杏仁豆腐の充実のラインナップ。

麻婆豆腐が辛い。
旨いけど、妻や子は食べられなかった。

ビールを飲みたかったけど、そういう雰囲気ではありませんでした。

11時には昼食終了。食べ終えた者から自由行動に入る。
私たちは中華街をぶらぶら歩く。
途中、江戸清の豚まんを買って食べ歩き。


1個500円を二つ買って半分ずつ食べる。
旨し。


山下公園で海を眺める。風は冷たいが、日差しは暖かい。



山下公園でシーバスに乗り赤レンガ倉庫へ。約10分のクルーズ。



赤レンガ倉庫はクリスマスの準備をしていた。
3連休の初日だから人も多い。けっこう疲れた。



ツアー最後のシメは、市内某所にあるジュエリー工房見学。どうやらここがこのツアーのスポンサーらしく、立ち寄るのは必須みたい。
肩こり、冷え性に効く、遠赤外線ネックレスの説明を聞く。まあいくら熱心に説明されても20万円するネックレスはとても買えないわなあ。
子どもたちはスーパー炭素にハマったらしく大喜びだった。
6時半に石岡着。晩飯を買って7時には家に帰る。
忙しかったけど、楽しい1日でした。