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2019年11月10日日曜日

行方から潮来へ

先日、土浦から潮来に回る。
途中、行方市玉造の道の駅で一休み。霞ケ浦を見ながらコーヒーを飲む。

霞ケ浦大橋のたもと。


船溜まりに灯台があった。


行方市麻生を少しだけ歩く。もはや大分暗い。







牛堀に入った時は、とっぷり日が暮れていた。
その昔、土浦から出ていた定期船の船着き場があった辺りを歩く。


檀一雄『火宅の人』に出てきた旅館のあったのはこの辺りではないか。


2019年11月6日水曜日

風柳の根多帳⑪『棒鱈』

落研の頃の持ちネタに『棒鱈』がある。こんな噺だ。

料理屋で兄貴分と飲んでいた酒癖の悪い江戸っ子が、隣の座敷で田舎侍がドジな料理の頼み方をしたり唄を歌ったりするのに腹を立てて絡む。やがて始まる大喧嘩。折しも「鱈もどき」という料理を作るのに胡椒の粉を振っていた板前が駆けつけ二人を止める。ところが胡椒の粉を振り撒いてしまい、皆、くしゃみが止まらなくなって喧嘩はうやむやになる。サゲは「二階の喧嘩、どうなった?」「今、胡椒(故障)が入った」

「棒鱈」とは干鱈のこと。俗語で「まぬけ、酔っ払い、野暮天」のことをいう。
サゲの「故障」は「物事が滞る」という意味。

私の学生時代、柳家さん喬が得意にしていた。当時、彼は二つ目だったが、その上手さは際立っており、この『棒鱈』はべらぼうに面白かった。
この間、柳家さん喬・喬太郎共著の本を立ち読みしていたら、喬太郎が「師匠(さん喬)の『棒鱈』と大師匠(五代目小さん)の『猫の災難』は聖域」と言っていた。両方持ちネタにしてしまったのは申し訳ないが、とても共感できた。

私はさん喬のテープで覚えた。しかし、耳で聞いただけでは限界があったなあ。特に田舎侍が歌う唄。最後のは「利休」だとばっかり思っていた。歌詞もよく分からず、いい加減にやった。自信が持てなかったからか、校内寄席で一回かけた切りだった。
卒業後、後輩の女の子から「『棒鱈』を稽古してるんですけど、歌の文句がよく分からないんです。教えてください」という電話がかかってきた。
ちゃんと答えてあげられなかったのを、今も後悔している。

ところが、何年か前、『近代はやり唄集』(岩波文庫)を買ったら、あの唄があったのである。タイトルは『琉球節(りきゅうぶし)』。田舎侍が歌っていた部分はこんな歌詞だった。
「琉球へおじゃるなら/草鞋はいておじゃれ/琉球は石原こいし原」
これで長年の胸のつかえがとれた。
そこからいろいろ考えた。
『琉球節』を歌うところをみると、この侍は薩摩の者か。
この唄の出典、『古今流行音曲惣まくり』は明治24年刊。ということはこの噺の成立は明治時代。官憲(特に薩摩士族)が権勢をふるう中、江戸っ子の憂さ晴らしのためにできたとも考えられる。官憲そのままではまずいので、江戸時代の侍にした。訛りも、もろ薩摩弁というのではなく、ほのかに九州弁をにおわせる落語国の言葉にした。
酒癖の悪い江戸っ子の絡みに田舎者蔑視を感じるのがこの噺の難だが、そう考えれば江戸っ子の気持ちも分からないではない。敗者のやっかみならば共感できる。
おっ、これはできるかな。
サゲが分かりづらいので、マクラで仕込むか。サゲを言ってお客がもにょっとするのも気の毒だ。野暮かもしれないがそうしよう。
で、きのこ寄席で演っちゃった。けっこうウケたよ。学生の頃より、色々考えた分よくなったんじゃないかなあ。年を取るのも悪くない、とまた思った。

十年以上前、ラジオで柳家さん喬の『棒鱈』を久し振りに聴いた。(この音はテープに録ってある。)何とまあこれが鹿児島での公開録音。もし意識してこのネタを出したのだとしたら、さん喬、意外とブラックか?

2019年11月3日日曜日

南千住慕情

この間、南千住を歩いた時の写真をもう少し、載せてみる。














千住宿は日本橋を起点とした奥州街道・日光街道の一つ目の宿場町である。水戸街道への分岐点でもあり、交通の要衝として栄えた。宿場は隅田川を挟んで現在の北千住が本宿、南千住が下宿と呼ばれた。
五街道の一つ目の宿場、品川(東海道)、新宿(甲州街道)、板橋(中山道)は千住も含めて、それぞれ遊郭としても知られている。これらを総称して四宿といい、落語では『四宿の屁』という噺が残っている。
千住遊郭の跡は北千住にあるようだ。落語『藁人形』の舞台はこちらの方かもしれない。ただ南千住の「コツ通り」にも飯盛り女を置いた旅館が立ち並び、たいそうな賑わいであったという。
コツの語源になった小塚原には江戸時代の刑場があった。安政の大獄における吉田松陰、橋本佐内らもここで処刑された。常磐線、南千住・三河島間の車窓からは「首切り地蔵」が見える。
南千住といえば、昭和の時代にはプロ野球東京オリオンズのホームグラウンド、東京スタジアムがあった。
物置にこんな本があったのを思い出して持って来た。




「下町の球場」、「光の球場」といわれた東京スタジアム。しばし在りし日の姿に思いを馳せておりました。

2019年10月31日木曜日

龍ヶ崎を歩く

先日、龍ヶ崎の街を歩いた。
茨城県南部の古い町だ。かつてはこの地域の商業の中心として栄え、関東鉄道龍ヶ崎線の龍ヶ崎駅から東に街並みが続く。ただ、地方都市の宿命か、旧市街は見事に寂れている。

車を駅前の駐車場に置いて、だらだらと東へ歩く。
この日は雨。この頃、雨の街歩きが多いなあ。




関東鉄道龍ヶ崎線。常磐線佐貫駅から龍ヶ崎駅を結ぶ、4.5㎞のローカル私鉄。佐貫と龍ヶ崎の間には入地駅、一駅があるのみである。一度乗ってみたい。

駅前には米薬師堂がある。早速お参り。



女人講の奉納額。

いよいよ街並みを愛でつつ歩く。





 




 
 
 

 
 

街なかには八坂神社がある。

 

 

元は商家があったのだろう。ぽつんと蔵だけが残っていた。


 


かつては伊達藩の領地だったようだ。

元横綱稀勢の里。龍ヶ崎市の小中学校を卒業した。
1時間程歩いて駅に戻る。



車に乗って稲敷方面に向かうが、この辺りにもいい感じの建物を見つけたので、ちょっと車を止めて写真を撮る。

 
看板建築。




この日は大部分にシャッターが下りていた。
名物の龍ヶ崎コロッケを買い食いしたかったけど、それらしきお店はなかったなあ。
また今度、ゆっくり歩いてみたい。