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2020年5月25日月曜日

昭和のパンフレット

物置で発掘したものシリーズ。
信州旅行のパンフレット。多分、祖父か父かが行ったんだろうな。
まずは旅館のパンフレット。


宿泊代が1200円、弁当代が120円。時代だねえ。


お次は観光バスのかな。

 



旅行も行きたいねえ。

2020年5月24日日曜日

久々に真鍋を歩く。

先日、ちょっとだけ土浦市真鍋の街を歩く。
旧水戸街道の宿場町。大分減ったとはいえ、古い町並みが残る。
街歩きも本当に久しぶり。楽しい。


昔の生糸業者の建物。本社は長野県にある。

この敷地内にある土蔵。













関東鉄道筑波線新真鍋駅跡。
今、線路跡はは「つくばりんりんロード」という自転車専用道路になっている。

コメダ珈琲でひと休み。たっぷりブレンドコーヒーを飲む。
早くコロナが収束して、思う存分街歩きがしたいなあ。

2020年5月21日木曜日

昭和の絵葉書

物置で発掘した昭和の絵葉書。
コロナでどこへも行けないので、せめて気分だけでも。ついでに、タイムトラベルもしてみよう。

酸ヶ湯温泉

小樽

阿寒国立公園 池の湯

逗子海岸

裏面には「横須賀鎮守府検閲済」とある。

京都 四条大橋

金閣寺 消失前

京都 八坂神社

平安神宮

甲子園球場

通天閣と新世界

大阪城天守閣

道頓堀

伊香保温泉
今日はここまで。

2020年5月15日金曜日

『黄金餅』あれこれ②

保田武宏『志ん生の昭和』は、志ん生が演じた演目を克明に追っている。
昭和7年11月下席上野鈴本、落語睦会の興行に、古今亭志ん馬時代の志ん生は出演した。演目は『風呂敷』『替り目』『肥がめ』『鰻の幇間』『大工調べ』『たいこ腹』『夫婦喧嘩』『若旦那』『らくだ』『山岡角兵衛』の十席。『風呂敷』『替り目』『大工調べ』など、後の十八番もあって興味深い。なお志ん生の代名詞といわれる『火焔太鼓』は、昭和93月中席、人形町末広での落語睦会「若手三十分会」の八日目に演じられたのが、記録としては最も古い。この頃から志ん生はやっと売れ出してくる。

ちなみに桂文楽は、志ん生と共演した昭和7年、9年の興行で、『心眼』『寝床』『つるつる』『船徳』『素人鰻』『按摩の炬燵』『明烏』『厩火事』『よかちょろ』『締め込み』『穴泥』『干物箱』を高座にかけた。晩年のネタと変わりない。昭和初期には、既に彼の持ちネタが固まっていたことが分かる。

志ん生の『黄金餅』のもっとも古い記録は、昭和261126日のNHKラジオ出演である。戦前戦中に演じられた記録はない。
そうか、志ん生の『黄金餅』は、戦争を経て出来上がったものだったのか。
志ん生は三遊亭圓生とともに満州で終戦を迎えた。満州ではソ連参戦の直前、関東軍が南に逃げたことから、一般人が取り残され悲惨なことになった。特に満蒙開拓団などは現地民の耕地を取り上げて運営していたので、日本の敗戦を機に暴動が起こり、多くの集団自決を生んだ。
志ん生たちは満芸の世話になっており、そこまでのことはなくてすんだ。しかし、ソ連軍の進駐が始まると、街には略奪や強姦が横行するようになる。それを目の当たりにした志ん生は、生きているのが嫌になり、ウォッカ七本を一気に飲んで自殺を図った。運よく一命を取り留めたものの、志ん生にとってこの体験はまさに地獄であったろう。『黄金餅』での乾いたユーモアは、この地獄をくぐり抜けて辿り着いたものだったに違いない。
志ん生の『黄金餅』は、圓朝版では芝にあった貧乏長屋を下谷山崎町とし、下谷から麻布の寺までの道中付を加えている。貧乏寺の和尚のぶっ飛び具合、読経の出鱈目さ、「麻布絶口釜無村の木蓮寺」という絶妙のネーミング、どれもこれも見事だ。(『火焔太鼓』もそうだが)これは志ん生による新作といっていいのかもしれない。(結城昌治『志ん生一代』では、圓朝の原作を品川の圓蔵(四代目)が面白おかしく改作したと言っている。昭和7年11月の共演者、柳亭芝楽(後の七代目春風亭柳枝)が三日目に『黄金餅』を演じているが、彼の『黄金餅』がどのようなものであったか。)

最後に立川談志の昭和44年版道中付を紹介しよう。

「今流に言うと、そうですね、今のちょうど車坂、あれを出まして上野に参ります。右を見ますと上野駅だ。ガードをくぐりまして、右に西郷さん、左に京成百貨店がある。真っ直ぐに、左は赤札堂、右に鈴本だ。昼席に談志トリを右に見ながら真っ直ぐに、赤札堂、カメイ堂と通りまして、上野の広小路へかかります。左に松坂屋、右に風月堂、真っ直ぐ行きますと黒門町、文楽、今輔が住んでまさァね。今の上野一丁目。あれから末広町にかかって参りまして、蔵前通りを渡りますってえと、秋葉原へかかると電器屋が並ぶ。山田照明、ヤマギワ電器を左右に見ながら真っ直ぐに、左に肉の万世がありまして、左の方に交通博物館、渡って須田町、角に万惣という、今、ビルになりまして、右にちょっぴり倉庫の入り口が、昔懐かしい立花亭の址だ。真っ直ぐに行きまして、神田のガードをくぐりまして、鍛冶町、今川橋にかかりまして、あれから室町に参りまして、右に三越、左に山本山がある。真っ直ぐに参りまして日本橋を渡りますてえと、東急百貨店、昔の白木屋があります。渡りまして、左は高島屋、通り三丁目、ブリヂストンから銀座八丁へ取り掛かります。四丁目へかかって参りますと、尾張町、右の方に木村屋、角に服部だ。角を渡りまして、左にライオン、右に三愛があります。真っ直ぐに行きますてえと、左の方に松坂屋。新橋に渡らずに右に切れますと、右が福富太郎のハリウッドというキャバレーがある。あれェ行きまして、土橋をへかかるてえと右にショーボートだ。フードセンターの下をくぐりまして、新橋をくぐって真っ直ぐに、NHK、今の佐久間町でございます。今、西新橋一丁目とか申します。左に切れまして、右に愛宕山、NHKの昔を右に見ながら、突き当たると東京プリンス、ちょいと前を右に曲がると神谷町へ出ます。神谷町から飯倉へ出まして、坂を上がって麻布の永坂を下りまして十番へ出ます。十番を右に行きますてえと二ノ橋だ。二ノ橋を上がります。仙台坂を上がってちょうど今の麻布のプリンス辺りが、その昔の麻布絶口釜無村の木蓮寺とくるんだが・・・。」

「『黄金餅』の現在を歩く」というの、色んな人がやっている。やっぱり一度やりたくなるよなあ。本ブログとしては、夢三亭大福さんの記事をリンクしておきます。

2020年5月13日水曜日

今日の日記

母の通夜、告別式、滞りなく終わる。

朝、昨日の残りのお握り、わかめスープ。
お墓に行ってお線香をあげる。



通夜葬儀についての諸々の整理。
昼はパスタ。
漱石『三四郎』を読む。少し身体を休める。
夕食は餃子、フキの煮物でビール、酒。
食後に妻と白ワイン。
寝しなにアイリッシュウィスキー。

昼寝の時うつらうつらしながら母の夢を見る。
親には敵わないな。人が死ぬということまで、きちんと教えてくれた。

2020年5月9日土曜日

MY MUMMY'S DEAD

お母ちゃんが死んだ
とても信じられない
あれから何年も経ったけど
お母ちゃんが死んだ
このつらさを説明することなんてできないよ
誰にも言えなかった
お母ちゃんが死んだ
(ジョン・レノン「母の死」)

昨夜、母が亡くなりました。
働き者の、鰻が好きなひとでした。
家族皆で見送ることができました。

2020年5月6日水曜日

『黄金餅』あれこれ


物置から『落語名人大全』という本を見つけて持って来た。講談社スーパー文庫のシリーズ。1995年刊。明治・大正・昭和の名人上手の速記を集めたものだ。
中に、三遊亭圓朝の『黄金餅』があった。『黄金餅』といえば、五代目古今亭志ん生の十八番。圓朝作の原型はどういうものだったのだろう、ということで読んでみる。

基本的に私たちが聴きなれた志ん生版とストーリーはそのまま、「貯め込んだ金を飲み込んで死んだ坊主を焼き場へ運び、焼いた骨の中から金を拾い出して、それを元手に餅屋を開くというおよそ不道徳な噺」(保田武宏『志ん生の昭和』より)に変わりはない。しかし細部は大分違う。
まず、圓朝はマクラで、この噺は芝の金杉橋にあった餅屋「黄金餅」の由来を語るということを予告する。
舞台は芝の将監殿橋近くの貧民窟。餅を飲んで死ぬ坊主の名前は源八。主人公は金山寺の金兵衛、これは変わらない。
買って来てやった餅を源八が食うのを、金兵衛が隣からのぞく場面で金兵衛はこんなことを言う。
「(前略)ぜんたいあの坊主はたいへんに吝(けち)で金を溜めるやつだということを聞いているが、ああいうやつはきっとものを食う時にボーと火かなにか燃え上がるにちげえねえ。一番見たいもんだな、食い物から火の燃えるところを。(後略)」
「爪に火を点す」という慣用句は知っているが、「食い物から火が上がる」というのは聞いたことがないな。明治の頃はそんな言い回しがあったのだろうか。
寺は麻布の三軒家にある貧窮山難渋寺。道中付はない。和尚はまともだな。きちんと引導を渡す。戒名も「安妄養空信士(あんもうようくうしんじ)」と付けてくれる。
随分、金兵衛さんが丁寧だな。当時の「・・・でげす」調が多用される。圓朝の芸風と言われる「柔らかな、しんみりとした、いわゆる〝締めてかかる〟たぐい」(岡本綺堂)、「あまり高くない、静かな調子でシトシトと話し出す」(岡鬼太郎)感じが想像される。

こうなると志ん生の『黄金餅』を聴きたくなる。早速、ポニー・キャニオン「古今亭志ん生名演集(一)」のCDを取り出してきた。
志ん生は噺に入ると、いきなり「下谷山崎町に・・・」と語り出す。山崎町は明治になって万年町と名を変えた。『最暗黒の東京探訪記』というルポルタージュにも出てくる、東京三大スラム街のひとつである。志ん生は神田の生まれだが、すぐに一家は浅草に転居し、学校へ上がる頃には下谷北稲荷町に住んでいた。万年町とは目と鼻の先である。志ん生の口から発せられたこの地名ひとつで、社会の底辺に生きる者たちの匂いが濃厚に立ち上る。
坊主の名は西念。主人公は金山寺味噌を売る金兵衛さん。寺は麻布絶口釜無村の木蓮寺。ここの和尚がすごい。べろべろに酔っ払って「金魚~、金魚~、出目金魚~」と経を読む。
圓朝版に比べ、一人一人の人物が厚みを増している。最下層に生きる人間のやりきれなさ、したたかさが、明るくあっけらかんと描き出される。志ん生自身の「赤貧洗うが如き」経験が、余すところなく活かされているのだと思う。ただ面白おかしいだけではない。底流に、底冷えのする凄みと乾いた叙情が漂う。(五代目三遊亭圓楽は、「志ん生の芸かこころか寒月夜」という句詠んでいる。)
中でもこの噺を「志ん生オリジナル」にしているのは、下谷山崎町から麻布絶口釜無村の木蓮寺に向かう道中付だ。一時、講釈をやった経験が効いている。低迷時代の回り道だったが、ここでも志ん生は転んでもただでは起きていない。
金兵衛が黄金餅の店を出すのは目黒。圓朝版の芝金杉橋からはちょっと距離がある。

返す刀で立川談志の『黄金餅』も聴いてみる。1969年(昭和44年)の「談志ひとり会」の高座。
型は志ん生そのまま。下谷山崎町は「今の下車坂町の辺り」と解説、昔、この町がスラムだったことを強調する。
道中付は志ん生版をやった後、それを現代版にして演じなおす。談志の才気がほとばしる。昭和40年代の東京が活写されていて楽しい。「風月堂と松坂屋の間をまっすぐに、風月堂の裏は古今亭今輔、桂文楽が住む黒門町だ」などのくだりは談志の美学を感じる。
リズムもテンポも良く淀みない。間も的確。上手い。文句はない。ただ、達者に演じているが上っ面を撫でている感じ。30代の談志に、志ん生のような深みを求めるのは酷だろう。
私が談志をよく聴いたのは昭和50年代の後半、迫力は随分増していた。しかし今思えば、そこに描き出されていたのは、人間の凄みというより金銭への執着だったような気がする。

改めて聴くと、やっぱり志ん生は凄いな。
平凡社のコロナ・ブックス『日本を知る105章』という本に、土門拳が志ん生を撮った写真がある。多分、古今亭圓菊の真打昇進披露興行での高座のもの。緞帳は下がっている。斜め後ろからのアングル。志ん生は顔を横に向けている。その切れ長の目が怖い。当時、志ん生は底抜けに明るい爆笑派という評価を得ていたが、土門のカメラはそれとは違う志ん生の本質をえぐり出している。