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2024年2月7日水曜日

セイコマの弁当

コンビニの弁当を時々食べる。

セブンイレブン、ファミリーマート、ローソンなどのメジャーな所には小洒落たのがたくさん置いてある。旨そうなんだが、私は何となくセイコーマートを選んでしまう。

セイコーマート、我々は「セイコマ」と呼んでいる(一般的には「セコマ」らしいが)。北海道由来の店だが、茨城ではよく見る。ネットで調べると、地元北海度を除けば、ダントツに多いらしい。大洗と室蘭や苫小牧を結ぶフェリーの存在とか、酒販売の強さゆえ酒屋からの転向が多かったとか、諸説あるようだ。

私が愛用しているのは通勤途中にあるお店。弁当なんか手作り感満載。他のコンビニに比べて安いのがうれしい。

この日は「ほたてご飯弁当」を選んだ。ホタテの炊き込みご飯に鶏の照り焼きがついて500円しないのだ。



旨かったよ。それほどびっくりするほどじゃなかったけどね、

北海道には落研の同輩八海くんや、国文科のゼミ長だったSくんがいる。セイコマの弁当を食べながら、彼らのことを思い出す。あの、北の大地に思いを馳せるのである。


セイコマでは、一年中「北海道フェア」をやっている。

 

2024年2月4日日曜日

立春

朝、御飯、けんちん汁、ウィンナーソーセージ入りスクランブルエッグ、海苔の佃煮。

今月から、うちの一門のボス、梅八さんの生まれ故郷、千葉県神崎町で落語会が始まる。

初回の今日は、早めの集合。10時前に家を出る。クルマドの風景。





小雨。寒い。

会場は神崎町旧役場裏の公民館。

旧神崎町役場

30人ほどのお客様。よく笑ってくださる。私はトリで『時そば』。楽しく演ることができた。これから毎月第一日曜、午後1時半から3時まで。どうぞ御贔屓の程、よろしくお願い申し上げます。

五時ごろ帰宅。妻と夕方ビール。

夕食は鶏塩鍋、焼き鳥で酒。白菊酒造の純米吟醸「紅梅一輪」、旨し。

立春ではあったが、寒い一日だった。明日は午後から雪の予報。どうなることやら。


2024年2月3日土曜日

節分

朝、トースト、コーンスープ、チキンナゲット、スクランブルエッグ。

妻は仕事。朝方、冷え込むがいい天気。

早くも梅が咲き始める。

日向の水仙。

サッチモ、ビリー・ホリデイ、アート・ブレイキーを聴く。

『遠野物語』を読んでいて、ふと思い立ち『ひどい民話を語る会』(京極夏彦・多田克己・村上健司・黒史郎/角川書店)を読む。2020年に初版で買っていたのだが、なかなか読み進められなかった。やっと今日読了。読んでみると面白い。また、ぽつぽつ拾い読みをしていこうと思う。

昼は父が買って来た、カスミのカツ重弁当。

午後は豆ちゃんの蚤取りの薬を買いに行ったり灯油を買いに行ったり。

今日は節分。風呂に入って息子たちと豆を撒く。うちでは豆撒きは神事である。

夕食は、けんちん汁、恵方巻でビール、酒。食後に赤ワイン。

寝しなにボウモア。




2024年2月2日金曜日

名古屋 山田屋のカツカレー丼

名古屋市市政資料館の隣にある山田屋。ここで名物カツカレー丼を食う。



カレーは和風だしのあんかけ。優しい味だが、思ったほど甘くはない。たぶんカレーうどんにはこれが載ってくるんだろうな。カツも注文を受けてから揚げてくれる。旨し。

そして、店内がすばらしい。




一朝一夕ではできない、長い年月を経た味わいがある。食事には、場の雰囲気、接客などが大きく影響する。食は、いわば総合芸術なのである。

店の外観もすばらしい。



どうです? たまんないでしょ?

11時に入店したが、食べ終わって出てくる時には行列ができていた。さすが人気店だな。

ネットの情報では十三代目中村勘三郎が愛したという。昭和5年創業の老舗である。いい経験をさせてもらった。高山T君、ありがとう。


名古屋市市政資料館は、元名古屋高等裁判所だった。名張毒ぶどう酒事件の審議の舞台になったのはここだったんだ。


 

2024年1月28日日曜日

久し振りの石岡散歩

朝、トースト、コーンスープ、チキンナゲット、スクランブルエッグ。

先日、妻が熱を出したと言ったけど、実はコロナだった。療養期間を終え、やっと昨日仕事に行ったのだった。

午前中、久し振りに石岡の街を歩く。

能登の地震では古い日本家屋が倒壊し、多くの犠牲者が出た。古い街並みもどんどんなくなっていくのだと思う。それも仕方のないことなのだ。

石岡の街並みを撮る。オリンパス・ペンを持っていったのだが、この前の旅行でバッテリー切れ。スマホを使った。スマホのカメラもなかなか撮り味がある。便利な時代になったな。

まずは金比羅様から。

クロンボは外せない。



石岡の街中では唯一の酒蔵、府中誉。


タイルに赤い格子。

石岡版「忠犬ハチ公」が映画化された。私はこの犬をこの目で見ております。











バードランドがひっそり閉店したと、馬笑さんからお聞きした。忘年会帰りに「カンパリソーダとフライドポテト」をキメたのが最後になったか。私たちの青春の店がなくなったのは寂しいが、長年楽しませていただいたことにを深く感謝したい。マスター、ママ、お疲れさまでした。


モリコービルを撮っていたら、若いお兄さんに「このビルの1階、貸物件ですけど、どうですか?」と声を掛けられた。私が物心ついた頃には既にあったから、少なくとも築60年ぐらいはなっている。「壊すのもったいないから使ってほしいんですよ」とのこと。まあ私は無理だけど、石岡の街のためにも誰か手を挙げて欲しい。


昼は妻のリクエストでちゃんぽん。旨し。

午後は灯油を買いに行ったりゴミ収集所の掃除をしたり。

皆で「世界の果てまでイッテQ」の録画を見る。

おやつに妻の快気祝いで生クリームどら焼き。

夕方ビールにヱビスを飲む。旨し。

夕食はおでんで燗酒。こんにゃくを温め、高山T君にもらった味噌ダレ「つけてみそたべてみそ」をかけて食べる。旨し。食後にボウモア。

この前、正楽の作品を1枚ももらっていない、と書いた。実は一楽を名乗っていた頃の彼の作品をもらったことを思い出した。学生の頃、新宿末広亭で2年先輩の梅之助さんが「藤娘」を注文したのを、「伝助、お前にやるよ」と言ってくださったのだ。その藤娘は後に自分の「真打ノート」に貼った。紙切りでもらったのは、他には大須演芸場で大東両にきってもらった「イチロー」だ。こちらはスケッチブックに貼った。考えてみると、両方お宝だが、今はどこにあるのか分からない。

2024年1月27日土曜日

クルマドの風景 みほ落語会

朝、御飯、味噌汁、ベーコンエッグ、納豆。

みほ落語会。クルマドの風景を撮りながら行く。クルマドは同じルートでも、止まるタイミング、季節、天候で全然違う。まさに一期一会。荒木経惟はえらい。・・・荒木も篠山紀信が死んで、さぞかしがっかりしているだろうな。




 昼はヨークベニマルのぶっかけそばと納豆巻き。

今日は『時そば』を演る。ちょっとマクラがくどかったかな。お客がいつもより多い。反応もよく楽しくできた。

クルマドの風景を撮りながら帰る。一日中いい天気。穏やかな休みだったな。



夕食はおでんで燗酒。八海山特別本醸造、旨し。食後に赤ワイン。寝しなにボウモア。

2024年1月26日金曜日

三代目林家正楽を悼む

三代目林家正楽の訃報を知る。

21日、自宅で倒れているところを家族が発見し、死亡が確認されたという。前々日まで寄席に出演していた。

当代一の紙切りの名人である。

白紙にハサミ一本で様々な形を切り抜く。下書きなし。その場で注文を受けて切る。切る形も人物や風景など多岐にわたる。

師匠先代正楽は埼玉県春日部の出身で訛りが強く噺家を諦め紙切りとなった。それだけに土の匂いのする素朴な味の高座だった。

それに対して当代は洒脱だった。飄々と高座に現れ、体を揺らしながら鮮やかに紙を切った。切った作品は黒い台紙に載せて見せるのがお約束だったが、正楽はオーバーヘッドプロジェクターで高座背面の板戸に映し出して見せるという新機軸を開発した。

「どうして体を揺らしているかというと、・・・揺らさずに切ると・・・暗くなります」

「何でも切ります。この間、何でも切りますと言うと、お客様が立って、ここまでお出でになって、おせんべいの袋を差し出し、『ここを切ってくれ』と言われたことがありました」

定番のギャグが懐かしい。 

注文の中には難題も多い(特に池袋演芸場・・・)。それでも紙切りの芸人さんは断ることはない。いつか、朝ドラのタイトルを注文した客がいた。正楽はこのドラマを知らなかったようで、思案した挙句、テレビを見る家族の姿を切った。こういう引き出しを持っているのも、毎日寄席に出て様々な客と丁々発止の勝負をしているからなんだろう。

五代目小さんが存命中だったか、「柳家小さん」という注文が入った。正楽は小さんの横顔を切った。それは輪郭だけであったにもかかわらず誰が見ても小さんそのものであった。客席からため息が漏れ、私もすげえなと思った。

師匠の二代目が落語家からの転向であったのに対し、三代目は紙切り一筋の高座人生だった。小正楽から三代目正楽を襲名した時は、東京の定席4軒で披露目を行いトリをとった。色物の芸人が定席でトリをとるのは異例のことで、まして紙切りでは後にも先にもこの三代目林家正楽しかいない。

紙切りの第一人者として数々の賞を受けたが、一貫して寄席をホームグラウンドにしてきた。高座では矢継ぎ早に注文が殺到し、私なんか注文する隙などなかった。一枚も彼の作品はもらっていない。それでもいいや。あの高座姿はありありと目に浮かぶ。長い間楽しませていただいたことを感謝したい。

享年76歳。あまりにも急だった。合掌。ご冥福をお祈り申し上げます。