今はもう出ていないが、かつて月刊『太陽』という雑誌があった。1998年12月号、特集は「そばを極める」だったが、ここにあった古今亭志ん朝の談話がいい。本にもなっていないし、もったいないので、ここで一部を紹介することにする。タイトルは『ささやかな道楽』である。
「あたしは、こういうそばじゃなきゃ駄目ってのはないんです。丼ものを置いてある店なんて何がうまいもんかとおっしゃる方もいますけどね。万人に好かれるように味付けをしてきちっとやってたら、まずかろうはずがないんですよ。
時と場合によっては、腰の強いしっかりしたそばは食べたくない…なんてこともある。風邪ぎみなのを酒の勢いで治そうてんで、前の晩にわっと飲んで二日酔いで目を覚ます。なにか胃にやさしいものをなんて思いながら、バス停の前にあるようなごく普通のそば屋に入って、卵とじとか、餡かけなんかを頼む。するとね、つなぎの多い腰の強くないそばなんですが、胃にやさしくて、とてつもなくうまいと思うんです。」
ね、いいでしょう。志ん朝の声が聞こえるようだ。ここで、志ん朝は自らの志向するものについても語っている。「ごく普通のそば屋」で、「万人に好かれるように味付けをきちっとしてやる」のが好き。志ん朝の世間での評価はまぎれもなく名人であったが、自身はあくまで「普通の芸人」であろうとした。名人と奉られるよりも、芸人仲間との気楽な交友を彼は好んだという。
話題はそばが好きになったきっかけを経て、そばの旨いシチュエーションに及んでいく。
「今日一日仕事がないてえと、朝は納豆と魚の開きなんかでもってすまして、カメラをぶらさげて出かける。ずいぶん歩くんです。途中そば屋に寄ってね、映画の一本も観て、いっぱい飲んで帰って来るってのが楽しみなんですよ。なにが一番いいかっていうと、朝のうちに今日はどんなそばを、どこそこのそば屋で食べようって考えるのが楽しい。ささやかな道楽なんですよ。
暖簾をくぐりますとね、やっぱり最初はビール。それから酒にするか、あれば焼酎をもらう。肴は店によって違いますが、室町砂場だったら玉子焼きに酢の物、連雀町の藪なら合鴨とねぎの合焼き。それにぬき。浅草なら並木藪蕎麦のそば味噌がいい。そば味噌だけで十分ですよ。それと尾張屋で玉子豆腐と、あればそら豆、ここのは、ゆで加減が性に合っているんでしょうか、うまいと思いますね。」
うーん、今すぐそば屋に行きたくなるな。
この後、自分でそば屋のネタを使って創作するという話になる。これがまた旨そうなんだ。決して贅を尽くしているわけではないが、そそられる。まさに「ささやかな道楽」だ。
そして、こう締める。
「妙なこだわりがなくて、きちっとそばや丼ものを食べさしてくれる。そんな店がやっぱりいいんです。」
志ん朝もそういう芸人であろうとしたのだろう。これはもう芸談と言ってもいいんじゃないかなと思う。
もし志ん朝の談話集なんて本が出たら、是非とも載せて欲しい文章です。誰かそういう本、作ってくれないかなあ。
2 件のコメント:
志ん朝の話をもっと聞きたいです。
古今亭志ん朝、お好きですか。
そういえば、この頃、志ん朝のことを書いていませんでした。
ご期待に沿えるよう頑張ります。
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