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2022年6月4日土曜日

6月になった

朝、御飯、味噌汁、チキンナゲット、納豆。

次男は学校の文化祭。入学してからすぐコロナ禍が襲い、やっと3年生で初めての一般公開の文化祭ができた。とはいえ、家族限定2名まで、という制限付きだが。

7時集合だというので、6時頃には駅に送る。

妻は仕事。長男は実験の解析やレポートにかかりきり。理系の学生って大変なんだな。コーヒーを淹れてやる。

もう6月。外を見てみたら紫陽花が咲いていた。


 チャーリー・パーカーを聴きながら新聞を切り抜く。

物置から『ドキュメント人物昭和史 青バットのポンちゃん大下弘 伝説に彩られた天才打者の実像』(桑原稲敏著)を持って来て読む。

昼は冷凍チャーハンとカップラーメン。

午後、長男はアルバイトに行く。入れ替りに妻が帰って来る。

ガソリンを入れに行く。いい天気。


妻とおやつにアイスを食べる。

夕方、次男が帰る。妻と夕方ビール。

夕食はよだれ鶏、ポテトサラダ、茄子焼きで酒。茄子焼きは夏の味だなあ。生姜をのせて醤油をかけて食う。旨し。

食後は妻と赤ワイン。アイリッシュウィスキーを飲む。

2022年5月29日日曜日

何もしない休日

昨日の日記。

朝、御飯、味噌汁、目玉焼き、ウィンナーソーセージ、納豆。

妻は一日仕事。次男は文化祭の準備だと言って学校へ行く。

長男にコーヒーを淹れて、セロニアス・モンクを聴きながら飲む。

一週間分の新聞を見て、目ぼしい記事を切り抜く。

昼は、長男とラーメンを作って食べる。

長男は午後からバイトに行く。留守番。

辺見じゅん『大下弘 虹の生涯』読了。

夕食をカスミに買いに行く。ビールを飲みながら、夕食の支度をする。

夕食は、豚の味噌漬け、マカロニサラダ、イカの唐揚げ、冷奴、春雨炒めで酒。

食後に妻と缶のチューハイレモン。

風呂に入って、寝しなにアイリッシュウィスキー。


今日の日記。

朝、パン、牛乳、卵とウィンナーソーセージの炒めもの。

布団を干す。

昨日、図書館でもらってきた『いったい、この国はどうなってしまったのか!』(魚住昭・斎藤貴男)を読む。2003年の刊行。彼らが危惧したものが、今、まさに目の前で繰り広げられている。

昼はざるうどん。

次男と本屋。帰りにハートランドビールを買って来る。

妻と夕方ビール。

夕食は、父が買って来た刺身、天ぷらと妻が茹でたそら豆で酒。酒は、この間住職が持って来てくれた「酔鶴」。旨し。

今日は今年初の真夏日となった。




何もしない休日だったな。ゆっくりしたよ。

2022年5月27日金曜日

三代目林家九蔵襲名騒動からの、彦六批判記事を読んだ

前回の記事を書くのに参考にしようと、ネットで「正蔵 襲名問題」で検索したら、林家九蔵襲名問題の記事が続々と出てきた。

笑点メンバーの三遊亭好楽は、もとは八代目正蔵門下で九蔵を名乗っていた。師匠の死後に五代目圓楽門に移り、三遊亭好楽となった。

好楽は、2018年、弟子、好の助の真打昇進に際し、思い入れのある林家九蔵を襲名させようとする。八代目正蔵門下で、同じ笑点メンバーの林家木久扇の了承を得、九蔵襲名を公表し、配り物も用意した。そこで当代正蔵から待ったがかかった。林家を名乗るからには、林家の止め名である正蔵の承認が必要である、ということだ。正蔵及び海老名家との話し合いの結果、結局この襲名は実現しなかった。

八代目正蔵は、自分の名跡が一代限りの借り物であるところから、弟子が真打になる時には林家以外の亭号にした。惣領弟子に五代目春風亭柳朝を襲名させた時には、春風亭の総本山、六代目柳橋にきちんと了解を得ている。そう考えれば、好楽のやり方はいかにも脇が甘い。

 

この騒動で、彦六の八代目正蔵について、とばっちりのようなとんでもない記事が書かれていたのを見つけた。さすがに落語ファンは相手にしなかっただろうが、これを見つけた若い人に真に受けられても嫌なので、ここできちんと批判させていただく。

 

これはリアルライブというサイトに載った、「三代目・林家九蔵襲名騒動で噴出した海老名家「積年の怨念」」(週刊実話 2018.3.24)という記事である。

まずは、この記事では、正蔵側が九蔵襲名を許さなかった理由として、次の証言を挙げている。

 

「好楽の師匠で八代目・林家正蔵を一代限りで襲名した彦六さんへのわだかまりがあるんです」(事情を知る演芸関係者)

 

ここで言う八代目正蔵襲名のいきさつはこうだ。

 

「権力志向が強かった彦六さんは、五代目・柳家小さんの名を弟弟子の九代目・柳家小三治に取られたことから、当時、空き名跡だった林家正蔵を一代限りの約束で海老名家から譲ってもらったとの話が伝わっています」(ラジオ落語番組関係者)

 

さらっと「権力志向が強かった彦六さん」と書いているが、私たちが知る彦六ほど「権力志向」と程遠い人はいなかったと思う。何しろ、六代目圓生に請われるまま、香盤順を譲ったくらい。共産党支持者であったこともよく知られている。

次のエピソードはもっとすごい。

 

「九代目・正蔵が、懇意にしているビートたけしに、彦六さんが根岸の海老名家に来て、日本刀を突き付けて名跡を迫ったというエピソードを語ったことがある。彦六さんは浅草の稲荷町に住んでいたことで“稲荷町の師匠”として親しまれていましたが、一方で喧嘩っ早いことから“トンガリの師匠”と呼ばれていましたからね。かなり強引だったことは間違いない」(落語雑誌編集者)

 

実名を出してまことしやかに語っているが、真偽のほどは疑わしい。五代目小さん襲名の話を進めていた、八代目桂文楽を、馬楽だった彦六を贔屓にしていた山春という親分が、日本刀だかピストルだかで脅したという噂はあったが、彦六が海老名家に日本刀持って行ったなどという話は聞いたことがない。

まさか、あの謙虚な九代目が、こんなことを言うとは、にわかには信じられない。

「トンガリ」の解釈も間違っている。あれは「正義感が強く頑固一徹で周囲との摩擦を生みやすい」ということで、ただの「喧嘩っ早い」とは違うのだ。

襲名のいきさつは、前回紹介した『笑伝 林家三平』の記述とまるで違う。同じ海老名家目線であるにも関わらず、である。

 

「三平さんはテレビで大ブレークして落語界に貢献しましたが、彦六さんは、名跡を返して三平に正蔵を継がせるべきだという周囲の声に耳を貸さず、返上したのは三平さんが亡くなった後だった。三平さんの妻、香葉子さんは、そんな彦六さんをいまだ許していないんです」(噺家関係者)

 

「彦六さんは、名跡を返して三平に正蔵を継がせるべきだという周囲の声に耳を貸さず、」はひどいよなあ。

山本進の『図説 落語の歴史』の中のコラムでは「律儀で知られた正蔵は、生前弟子が真打になるとき、必ず林家以外の名跡を継がせることにしていた。また、三平が売り出してからは、何度か正蔵の名前を返そうとしたこともあるらしい」と書いてある。三平は、芸風が違うから、と言ってその申し出を辞退したと言われている。

 

証言は、皆、見事に「関係者」。名前を出して証言している人は一人もいない。ちょっと、この記事を書いた人と、その関係者を名乗る人、一人一人に会って真偽を確かめたい。もし、これが事実なら、私の中の八代目正蔵、彦六像が根底から覆されてしまうなあ。

2022年5月25日水曜日

先代遺族から見た八代目正蔵襲名

 かなり前だが「襲名考2」という記事を書いた。五代目柳家小さん襲名問題で、小さん襲名を争った蝶花楼馬楽に、小さんに匹敵する名前を、ということで八代目林家正蔵を襲名させた経緯を書いた。

私は、この二人の襲名を評価する者である。五代目小さんは名人三代目小さんを彷彿とさせる芸と人間の大きさで柳家の隆盛を築いた。八代目正蔵は、三遊一朝譲りの怪談噺、人情噺で、この名跡を本来の芸風に戻した。それはまさに天の配材と言っても過言ではないと私は思っている。

しかし、名跡を譲った七代目正蔵の遺族の視点も存在する。彼ら側の描写が、神津友好著『笑伝 林家三平』にある。それを引用しよう。

 

 世間的には一件落着の襲名騒動であったが、三平の父正蔵が亡くなってまだ一周忌にもならぬうちに、先代の門人でもなんでもない他人の馬楽が林家正蔵八代目を名乗る。

 襲名は借用で、一代限り。将来林家三平が正蔵を名乗るべきときにはいつにても返名するという一札が七代目未亡人、歌の手もとに差し出された。まず異様で強引な解決法だが、五代目小さん襲名をめぐっての争いを無事におさめるためには、他に手がなかった。

 落語界の、ときの長老五代目柳亭左楽までがのり出し、桂文楽と対立する馬楽、それを後押しする浅草の親分山春との間に入って、「まあ一つ、不服だろうが正蔵襲名で納得してもらいたい」「五代目(左楽)に頭を下げられたんじゃ、もう・・・」と頑固一徹の馬楽も折れた。

 そして、そのとばっちりが、身よりたよりもなく心細い母子二人暮らしの三平一家にふりかかり、正蔵の名を貸すことに否も応もなく、一門としての勢力もなく、財力もない足もとにつけこまれて、名跡をとりあげられてしまった。

(中略)

 一代を売った芸名は残された遺族の財産でもある。それを襲名する弟子なり縁故の芸人は、故人の一家なり未亡人なりの暮らしの立つようにしてゆく責任を負う。しかし一代限りの正蔵名跡借りは名前を貸しただけのことであった。

 

理屈から言えば、七代目正蔵襲名自体、協会の分裂騒動がもとで、柳家小三治を名乗る落語家が二人出来てしまい、先に小三治を名乗っていた方が、空き名跡だった林家正蔵を襲名した、といういきさつがある。七代目もやはり「先代の門人でもない他人」だった。八代目が正統な後継者でないとすれば、七代目も同じようなものではないかと、どうしても思ってしまう。

でも、人間は感情の生き物だ。七代目の遺族、海老名家の気持ちも分かる。私の考えとしては、名跡は落語界のもので家のものではないということに変わりはない。ただ、一方で、今まで私は海老名家に対しずいぶん厳しい見方をしていたのだな、という思いも新たにした。

前出の「襲名考2」という記事の中で、私は、三平の死後、八代目が名跡を返しに行った時、七代目夫人が「ずいぶん遅くなりました」と言ったというエピソードを引いた。以前何かで読んで強烈に記憶に残った言葉だったので、それを書くのにためらいはなかったが、最近、quinquinさんからのコメントで、七代目夫人が「こんなに大きな名前にしていただきまして、本当にありがとうございました」と言ったと、八代目正蔵(彦六)の娘さんが証言していることを知った。

私が引いたエピソードは第三者のもので、出典は今では思い出せない。どう考えても、彦六の娘さんの証言の方が事実に近いだろう。自分の不明を恥じたいと思う。

七代目夫人としてみれば、我が子三平が正蔵を襲名せずに逝ってしまった(三平自身が正蔵襲名を断っていたという話もある)失意の中で、言いたいことは山ほどあったろう。しかし、七代目正蔵の妻として、三平の母として、誠実に対応したい。「こんなに大きな名前にしていただきまして、本当にありがとうございました」という言葉は、そんな夫人の矜持が言わせたのだと思う。

そして、その言葉通り、襲名当時のわだかまりを越え、正蔵の名で芸術祭賞や紫綬褒章など数々の栄誉に輝いた八代目に、夫人が感謝の念を抱いていたとすれば、それもまた素晴らしいことである。

2022年5月22日日曜日

土日の日記

昨日の日記。

朝、御飯、味噌汁、ハムステーキ、納豆。

福の家一門の落語会に出演する。ネタは『猫の災難』。いいお客様。噺の中で、いい酒が飲めた。

夜は妻の女子会の送迎。夕食は御飯、味噌汁、冷しゃぶ、さつま揚げ。


今日の日記。

朝、トースト、牛乳、チキンナゲット。

先日、時計が止まってしまったので、つくばのQ’tへ行く。


昼は、インドカレーの店、サイノでランチ。

アイスチャイ。

ナンの下にはライスがある。

豆のカレー。

日替わりのカレー、トマトチキンカレー。

帰りに、山がきれいだったので、土浦市(旧新治村)大志戸で寄り道。




おやつに、お土産に買って来たドーナツを食べる。

夕方、お寺の住職が来て、父と一緒に飲む。父の昔話を住職と聞く。父の実家の先祖は平勝重という平家の武士だったという。忘れないうちに書いておく。


物置から『大下弘・虹の生涯』(辺見じゅん著)を持って来て読む。

2022年5月19日木曜日

土浦ラーメン

土浦ラーメン。川海老つけめん、950円。

霞ケ浦産天然川海老と土浦の老舗柴崎醤油のコラボレーション。




 霞ケ浦産川海老といえば、かつての土浦の名店、小櫻のエビマコ(川海老の卵)を使ったラーメンを思い出す。

こちらはエビマコこそないが、海老の香りと醤油のコクが絶妙のハーモニーを奏でる。旨し。

人気ナンバーワンの鶏白湯ラーメンも旨いよ。

2022年5月14日土曜日

涸沼北岸

今日は休日出勤。午後、休みをもらって涸沼の北岸を通って帰る。

まずは宮前で車を停める。


白鳥がすぐ近くを泳いで行く。

船溜まり。

芝崎神社。宮前の地名はこれに由来するのだろうか。


こちらは親沢公園。キャンプ場にもなっていて、けっこうお客が来ていたよ。



この筑波山の向こうに夕日が沈むのだ。


 

ビル・エバンス・トリオのCDを聴きながら帰る。ビル・エバンスのピアノ、スコット・ラファロのベース、ポール・モチアンのドラム(NHK・FM「ジャズ・トゥナイト」の大友良英ふうに)。エバンスのトリオは対話だ。ピアノとベースとドラムが絶妙に響き合う。ゴンチチのどっちかが、「エバンスの右手の撥ねがたまりませんなあ」と言っていたが、まさにそう。おれはエバンスのピアノが好きだったんだなあ、と再認識する。


妻と夕方、ハートランドビールを飲む。

夕食はモツ炒め、お好み焼き風オムレツで酒。食後に妻とワイン。

寝しなにアイリッシュウィスキー。