先日、那珂市(旧瓜連町)の静神社にお参りした。
妻が東京に行った時、上野の清水寺でおみくじを引いたところ「凶」が出た。験直しをしたいというので、GW、常陸大宮の久慈川に行った帰りに寄ってみたのだ。何と言っても「常陸の国二之宮、ということは県内ナンバー2のパワースポットなんだぞ」という私の言葉が、妻をその気にさせたらしい。
妻が静神社で引いたおみくじは「末吉」。着実にワンランクアップという結果となった。
さて、静神社についてである。
創建は皇紀元年、神武天皇即位の年だ。これは鹿島神宮の創建の年でもある。そう、この神社は鹿島・香取両神宮と深い関りを持つ。
鹿島・香取の神は、出雲の国譲り神話で大きな役割を果たした神だ。つまり大和朝廷の全国平定の原動力になったと言ってもいい。
常陸の国創設が大化の改新の直後。中央集権化の最前線がこの常陸の国であったことは間違いない。鹿島・香取はまさにその軍事拠点であった。
その昔、現在の県北地域に星神香々背男(ほしがみかがせお)という国つ神がいて、鹿島・香取の神をもってしてもなかなか服従しない強敵であった。それを健葉槌命(たけはづちのみこと)の助力によって征伐することができた。
その健葉槌命を祀るのが静神社である。鹿島神宮の拝殿前には高房社という社があり、神宮参拝の際には、まず、ここを拝むのが作法とされている。その高房社の祭神が健葉槌命。ということは、常陸の国平定の最前線が静神社であり、その功績を讃えての作法がそれなのだろう。
そして、健葉槌命が星神香々背男を征伐したとされる、現在の日立市石名坂の近くには大甕神社がある。
大甕神社の祭神は健葉槌命と星神香々背男。この神社は、出雲大社や諏訪大社のように、征服された国つ神の魂鎮めのためのものではないか。事実、この神社の御神体は拝殿の裏にそびえる岩山で、ここに星神香々背男の魂が封じ込められているという。
香々背男征伐の際、石名坂には雷断石という巨石があり、健葉槌命がそれを足で蹴ると三つに割れて、現在の東海村と日立市河原子と笠間市に飛んで行った。それぞれ、そこには、石神、石崎、石井という「石」にちなんだ地名がついている。笠間市には石井神社というのがあり、祭神は健葉槌命だ。この伝承が創設に深く関わっていると見て間違いはなかろう。
2016年11月に行った時の石井神社。
今は鳥居は新しくなっている。 |
結論。静神社の神は、鹿島神の常陸平定に大きく貢献した武神であった。だからこその「常陸二之宮」なのだ。
ここでは武神としての健葉槌命にスポットを当てたが、一般的にこの神様は、天照大神に仕えて機織りをしたという、織物の神様として知られている。『常陸風土記』にも、ここは静織(しどり)の里と呼ばれ、初めて倭文織(しずおり)を織った地だという記述がある。それが「静神社」という名称のいわれとなったのだろう。
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