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2024年9月3日火曜日

祖母と関東大震災

9月になった。

9月1日は101年前に関東大震災があった日だ。 

私の祖母は、当時、浅草にいた。大正8年に祖母は最初の夫と結婚して上京した。21歳の春だった。祖母の戸籍謄本には「大正八年参月拾壱日*****ト婚姻届出 同日東京市浅草区長三浦八十次受附」という記載がある。三浦は大正8年3月から大正12年2月まで区長を務めた。その三浦の後任が、小説『羊の怒る時』の作者、江馬修の兄で、震災処理に奮闘した江馬建である。

祖母が浅草で暮らし始めて4年目の秋、震災で浅草は火の海と化した。吉村昭の『関東大震災』によれば、浅草区の98.2%が焼失した。家屋の倒壊から逃れ避難した人々も、四方から襲いかかる業火で焼け死んだ。本所区横網町被服廠跡で3万8千名、浅草区田中小学校敷地内で1081名、浅草区吉原公園で490名が犠牲となった。

いつだったか、晩酌をやりながら「よく生き残ったね」と言ったら、父が「ばあちゃんは、上野に逃げたから助かったんだ」と教えてくれた。

その後、祖母は離婚して故郷へ帰った。そして祖父の後妻として再婚する。祖父の実家に、祖母の弟が婿養子に入ったのが縁になったらしい。

戦後、祖父の実家から父が養子に来たので、私と祖父には血のつながりはあるけれど、祖母とは血のつながりはない。それでも、祖母は私のことをとても可愛がってくれたし、私も祖母のことは大好きだった。

浅草で震災に遭って助かったのは、上野に逃げた人たちだった。祖母は紙一重で生き延びた。私の「大好きなおばあちゃん」は、様々な偶然が重なって私の前に現れたのだ。


2019年5月の浅草の風景。





もちろん、関東大震災は災害としての側面以外に、デマに踊らされた群衆が虐殺に走ったという側面がある。それについては、後日改めて書いてみたい。

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