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2024年12月8日日曜日

義父の命日、ジョン・レノンの命日

昨日の日記。

朝、御飯、味噌汁、チキンナゲット、海苔の佃煮。

朝イチで床屋に行く。


紅葉はそろそろ終わりかな。もはや12月が紅葉シーズンになってしまったような気がする。


小川温泉に行く。けっこう入浴客がいる。いいお湯。百里基地の航空祭があり、上空は自衛隊機が飛び交う。

昼はチキンラーメン。

タイヤ交換、猫の蚤取り、地区の会議などをこなす。

夕食は鰻丼、吸い物、里芋の煮物で燗酒。食後にアイリッシュウィスキー。


今日の日記。

朝、トースト、スープ、ウィンナーソーセージ。

義父の命日が日曜日と重なったので、皆でお墓参りをすることになる。レポートがたまっている次男は、お留守番。

よく晴れた。牛久大仏の空は雲ひとつない。


義父は7年前の今日、未明に旅立った。日付が変わった頃、病院から呼び出されて行った妻から連絡があった。長男の高校受験が間近に迫っていた。見舞いに行った時に長男から志望校を聞いて、義父は喜んでいた。義父の葬儀の間、長男はずっと泣いていた。合格の報告は遺影にすることになった。

義母が予約してくれたお店で、皆で食事。義父の話、妻や義妹の小さい頃の話、思い出話に花が咲く。

食後、義妹一家とはそこで別れ、私たちは牛久シャトーに向かう。義母、妻、それぞれのお使い物を買う。

牛久シャトーも、何だかんだで久しぶり。



妻の実家でお茶をご馳走になって帰る。15時頃、到着。

妻と夕方ビール。

夕食は鍋、栃尾油揚げ、義母の鶏レバー煮、里芋の煮物で燗酒。

食後にアイリッシュウィスキー。


今日はジョン・レノンの命日でもある。

私がフォローしている、ビートルズファンの方のXの投稿で、ジョンの死が確認された時、病院の院内放送で「オール・マイ・ラヴィング」が流れていたということが呟かれていた。これは、私も何かで読んだことがある。ジョンが最期に聴いたのが、この、盟友ポールの歌声と自分の演奏であったと信じたい、とこの方は言っていた。

「オール・マイ・ラヴィング」は、ビートルズ2枚目のアルバム『ウィズ・ザ・ビートルズ』に収録されている。ビートルズのアルバムがCD化された時、いちばん最初に買ったのが、これだった。ビートルズの4人が黒のタートルネックを着た、ハーフシャドウのジャケット写真が印象的なアルバムである。

私はこのアルバムで、ヴォーカリストとしてのジョン・レノンに衝撃を受けた。オープニングの「イット・ウォント・ビー・ロング」。「イエ―」と言えば「シー・ラヴズ・ユー」だが、「イエッ」と畳みかける小気味よさは、それに勝るとも劣らぬものだった。

「プリーズ・ミスター・ポストマン」「ユー・リアリー・ゴッタ・ホールド・オン・ミー」「マネー」。カバー曲であるだけに歌手ジョンの素晴らしさが際立つ。

そして、「オール・マイ・ラヴィング」。ヴォーカルはポール。ポールらしいキャッチ―な曲である。CDはそれぞれの楽器の音がひとつひとつ区別されて聞こえてくる。これで気づいた。ジョンのリズムギターがすごい。リードギターのソロ演奏ではなく、リズムギターで聴く者を感動させる。すごい。ライヴでジョンはこの曲ではコーラスには入らず、演奏に集中していたという。

私は初期のビートルズのすごさ、ジョン・レノンのすごさを、このアルバムで知った。

ちなみに、このアルバムで高山T君は「ナット・ア・セカンド・タイム」が好きだと言っていたな。これもジョンの作品だ。

夕方、『ジョン・レノン・アンソロジー』のダコタ編を聴いた。ジョンは40歳になって2ヶ月で死んだから、その多くは30代の音源か。本当に若かったんだなあ。ジョンはこれを歌っている時、自分が間もなく死ぬなんて考えもしなかったんだろう。そう思うと切なくなってきた。

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