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2025年8月25日月曜日

越の国漫遊記② 燕は川の町

高山T君と私は、ともに古い建造物が好きだが、彼は近代建築を特に好む。今回もそれらを中心にリストアップしていた。

まずは燕市中央通りにある、日本基督教団燕協会だった。

瀟洒な洋館。そして、また、この付近にシブい街並みが続くのだ。

おお、これは雁木ではないか。豪雪地帯で建物の庇を長く張り出すことによって、その下に通路を確保するというものだ。道路も融雪装置が完備されている。そのためか、路面は一様に鉄錆色をしていた。



トタンの錆もいい味がでるんだよねえ。


燕市といえば金属加工で有名だが、調べてみると、もともと信濃川の支流、中ノ口川の舟運で栄えた町らしい。特に古い街並みを観光資源として意識しているようには見えないけれど、大事にしてもらいたいなあ。

車で中ノ口川沿いを少し走って、同市水道町の燕市総合文化会館へ。この敷地内には、元浄水場排水塔があるのである。高さ35メートル、5階建て。

昭和13年(1938年)に着工。竣工は昭和16年だった。日中戦争が始まっており、物資の確保には苦労したという。昭和39年(1964年)に浄水場は移転し、跡地に総合文化会館が建てられた。塔は地域のシンボルとして親しまれ、平成25年(2013年)登録有形文化財に指定された。


水道施設も高山T君の大好物。「バベルの塔」ではないが、塔には人の心を惹きつける魔力がある。

裏手に回ると、ここにもシブい建物発見。



今度は車で燕市吉田ふれあいセンターへ。ここでの高山T君のお目当ては、登録有形文化財、今井家住宅。地域を代表する旧家で、家庭薬会社や銀行を経営した。

明治中期の建築である。

旧今井銀行。1920年の建築。

「香林堂」は、家庭薬会社の名前。

旧銀行の入り口上部。

そして、ここの町並みがシブいのだ。



雁木もある。





吉田町は平成の大合併で燕市となった。もともとは西川の舟運で栄えた町。今もJR越後線とJR弥彦線が交わる交通の要衝である。西川はふれあいセンターの裏手を流れている。水量たっぷりのいい川だ。

市名「燕」は、古くは「津波目」と書いたらしい。「津」には港、「目」には中心地という意味がある。まさに燕は水運の町だったのだなあ。



車の中で、昔の時代劇「水戸黄門」の話になる。

「そう言えば、黄門様は『越後のちりめん問屋の隠居、光右衛門』と名乗っていたなあ」
「ひととおり大暴れしないと印籠を出さなかった」
「徳川光圀は若い頃は無頼派で、辻斬りをやっていたという説もあるし、家老を自分の手で切り殺しもしたよ。ただの好好爺ではないぞ」
「格さん役だった里見浩太朗が黄門役をやったよね」
「あれも内部昇格というのかね」

まあくだらない話をしていたよ。

高山T君に「この記事のタイトルを考えてくれ」と言ったところ、「越の国 光右衛門漫遊記」という案が来た。少し長いので、このようにしました。しばらくの間、お付き合いの程を。

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