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2026年7月5日日曜日

私の車遍歴

 車を買い換えた。乗っていたミニがオイル漏れをしていて、次の車検ではエンジンを下ろして修理しないと通らないと言われていた。エアコンもガス漏れで利かず、もうこれまでかな、と思ったのである。もっと乗り続けたかったんだけどね。


では、ここで私が乗った車を振り返ってみよう。

就職して初めて乗った車が、ホンダ・シティEタイプ。シティの中ではいちばん安いグレードだった。エアコンもついていなかったが、それだけに燃費はよく、リッタ21キロを誇った。

唯一残っている写真がこれだ。フェンダーミラーが時代を感じさせますなあ。もちろん、マニュアルですよ。

この車は、父が乗って事故を起こし、廃車となった。


次に乗ったのは、ホンダ・シビックシャトルのリアルタイム4WD。給料をためて、初めていちばん上のグレードの車を買った。もちろん、エアコンもついている。マニュアルの5速。電動サンルーフもついていて、運転していて楽しかった、

職場の同僚にそそのかされて、アルミホイルを履き、カーオーディオもいいのを買った。スピーカーはJBL。贅沢したよね。

空前のスキーブームで、私もこの車でよくスキーに行った。雪道でのポテンシャルの高さは群を抜く。

この車は10年ぐらい乗って、友だちに譲ったが、半年ぐらいで彼の父親が事故を起こして廃車となった。


そして、1992年、私はローバー・ミニに乗る。1300㏄が出た時の最初のモデル。私はいちばん安いのを、店頭に出ているそのままの形で買った。4速マニュアル、エアコンなし。ラジオさえついていなかった。

この車を買って間もなく、妻と付き合い始めた。その頃、妻は埼玉県の熊谷に住んでおり、私はこの車で、片道3時間かけて会いに行った。

結局、この車には22年間乗った。屋根の塗装が剥げてきたので、塗りなおした。同じ色では違和感があるというので白にしたら、ツートンになってカッコよくなったよ。


私の母は、この車が嫌いで、2014年に「金を出すから別の車を買え」と言ってきた。老いた母に、私も抗う術はなく、買い換えることにした。お互い歩み寄った結果、BMWミニでよい、ということになる。母の目には、BMWミニはフツーの車に見えたらしい。

妻が主に乗る車は、トヨタ・スターレット、ホンダ・ストリート、トヨタ・ノアと、いずれもオートマ車だったが、ここで初めて私は日常的にオートマに乗ることになった。

前のミニが、トラブルを直しながら完成に近づき、最後には至って快調だったのに対し、新しいミニは、最初は快調で次第次第にトラブルが多くなっていった。

それでも、好きな車だったよ。5ナンバー最後のミニだった。次のモデルチェンジで、ミニは全車種3ナンバーとなり、その後、どんどん大きくなっていった。もはや、今は「ミニ」とは言えない。ミニがかろうじて「ミニ」だった車に私は12年も乗ることができたのだ。

納車に行く前のミニ。長い間、ありがとう。


4台乗ってエアコンがついているのが2台、3台はマニュアル車。少数派だよな。新しい車は国産の軽でございます。

田舎なので、車がなくては生きてはいけない。生活必需品なんだけど、随分高くなったなあ。


夕食は妹夫婦からいただきのものの鰻で燗酒。旨し。

畑のトマトも立派になった。

2026年7月4日土曜日

コミュニティーのイベント、それから合歓の花

朝、トースト、チキンナゲット、紅茶。

今日は地区のコミュニティーのイベントがある。私は役員として参加。曇り空。かえって暑くなくていい。お年寄りから子どもまで、たくさん来てくださる。

片付けをして、12時過ぎ解散。

昼は、サッポロ一番塩ラーメンを作って食べる。

畑に行って、茄子を取って来る。

夕方、ビールを飲みたくなった。明日は雨だというから、その前に草刈りをやろうと思い立つ。労働の後の方がビールは旨い。いそいそと草刈り機のエンジンをかける。

燃料が尽きたらやめようと思っていたのだが、1回だけでは物足りず、もう1回満タンにしてやる。

草刈りは、生き物の命をとることだから、あまり好きではなかった。でも、草たちは強い。あとからあとから生えてくる。空き家の荒れっぷりを見ると、草刈りはやんなきゃなと思う。

結局、「いたちごっこ」なんだよな。草を刈る。また生える。また草を刈る。この繰り返し。人生はそんなもんだ。1回整えたらそれでいいというわけにはいかない。整えたものは必ず崩れる。エントロピーは増大するのだ。崩れたら整える。崩れたら整える。その繰り返しが人生なんだな。勉強になるなあ。

2時間やって終了。妻が、風呂に入れと言うので、入る。風呂上がりに夕方ビール。旨し。

夕食はピザ、スープ、とうもろこしで赤ワイン。ピザに使った、じゃがいも、茄子、バジルはすべて自家製。いいねえ。旨し。

摘んできたパセリとバジル。見た目もいいでしょ。

寝しなにジェイムソン。


イベントからの帰り道、合歓の花がきれいだった。


合歓の花といえば、松尾芭蕉『奥の細道』の象潟での一句、「象潟や雨に西施がねぶの花」を思い出す。芭蕉は「松嶋は笑ふが如く、象潟はうらむがごとし。寂しさに悲しみをくはえて、地勢魂をなやますに似たり」と書いた。

私は30年前、高山T君と象潟を旅した。もちろん、この『奥の細道』を意識してのルートだった。芭蕉は象潟に舟を浮かべたが、その後大地震によって地面が隆起し、今は陸地となった。


これはその時の写真。田圃の中にぽつんぽつんとある丘は、その昔、島だったという。

象潟はその時も寂しげだった。

2026年7月2日木曜日

7月になった

今日は少しばかり野暮用があり、午後から休みをもらう。

朝から雨。一時は激しく降った。

13時30分頃、帰宅。眠くてたまらなかったので、30分ほど昼寝。

野暮用を済ませ、絵を描きながらLPレコードを聴く。針圧を強くしたせいか、友部正人『大阪へやって来た』『また見つけたよ』もストレスなく聴くことができた。

夕方ビール。雨は上がった。

夕食は、妹夫婦からのいただきものの肉をしゃぶしゃぶにして食べる。


 旨し。酒は牛久からのいただきもの、白龍。新潟の酒。旨し。

食後にジェイムソン。これまた旨し。



7月になった。2026年も後半戦かあ。早いなあ。

朝日新聞に掲載されていた連載小説、柚木麻子の『あおぞら』が完結した。

終戦後の戦後民主主義草創期、女性たちが自らの権利を勝ち取っていく物語。シングルマザー立子が、戦争で息子を亡くした魚屋の弥生に助けられ、大学教授の娘秀子とともに保育園を立ち上げる。立子、秀子の成長譚でもあるが、柚木は一人ひとりの登場人物の人生を丁寧に拾いあげながら物語を紡いでいく。ああ、三人称の小説という構造が、見事に生かされているなあ。

また、この日本の男性優位社会で、いかに女性が割を食ってきたか、改めて思い知らされた。それにしても、この女性たちの、何としなやかで愚直で強く美しいことよ。一方で弱さ醜さもきちんと描かれる。すごいよ、柚木麻子。

新聞の連載小説を読むようになったのは、夏目漱石の『こころ』復刻版以来。だから、50代になってからか。今では毎朝のお楽しみになっている。もっと早く読み始めるんだったなあ。

2026年6月28日日曜日

水無月祓

 朝、パン、スパム卵炒め、紅茶。

細々したことをやり、NHK『自然百景』『小さな旅』『ディアにっぽん』を観ながら、コーヒーを淹れて飲む。『ディアにっぽん』は水俣の92歳の漁師の話。妻には水俣病で49歳の時先立たれ、自身も水俣病に苦しむ。しかし、彼はそのことについて話すのを拒む。番組後半になって、安全宣言の出ないうちに漁に出て、ヤミで魚を売ったことを告白する。賠償金の請求をしたら、チッソに勤めていた親戚から絶縁されたという話もあった。やりきれない話だが、時折挿入される水俣の海のシーンが美しい。

モーツァルトのCDを聴きながら、新聞のまとめ読み。

『力道山未亡人』読了。結婚して半年で夫を失い、莫大な負債と相続税に苦しみながら、魑魅魍魎がうごめく興行の世界を懸命に泳ぎ切る田中敬子。すごいなあ。図書館で借りなければ、まず読まなかっただろうな。やっぱり図書館はえらい。

昼食は妻が作った和風パスタ。旨し。

午後は用足しに出かける。

カスミでウィスキーを買ってくる。奮発してジェイムソンを買ったら、ミニボトルがおまけに付いてきた。ラッキー。

村社の前を通ったら、茅の輪くぐりが出ていたので、お参りをする。

そういえば、先日、「水無月祓」のお札が回ってきたなあ。今日も梅雨空、雨が降ったりやんだりだ。

妻と夕方ビール。義母からいただいた、アサヒスーパードライを飲む。旨し。

夕食は、長男の誕生祝。焼き鳥、コブサラダで酒。酒は甥からもらった純米吟醸。旨いねえ。ケーキもまた旨し。

食後にカティーサーク。


夜になって雨が強くなる。

猫は、ずーっと寝ておったよ。


少し経つが、蜃気楼龍玉が亡くなった。真打になったばかりの頃に、池袋演芸場で観た。ネタは『強情灸』。第一印象は「鯔背なあんちゃん」だった。その後、圓朝ものの怪談噺を得意にするようになる。師匠である人間国宝、五街道雲助のその部分を、しっかり受け継いだのだな。いい鉱脈を見つけたな、と思ったよ。きちんと聴かないうちに逝ってしまった。返す返すも残念だ。享年53歳か。若い、若過ぎるよ。これからが楽しみな落語家だった。

三代目蜃気楼龍玉師匠のご冥福をお祈り申し上げます。

2026年6月27日土曜日

台風が二つまとめてやってきた

朝、御飯、味噌汁、ウィンナーソーセージ、昨夜の残りのスパムチャンプルー、納豆。

細々したことをやり、『風、薫る』2回分を観ながらコーヒーを淹れて飲む。

妻は仕事に行った。

今日はみほ落語会の日だったが、台風接近のため、昨日のうちに中止になった。

昨夜はけっこう強い雨が降っていたのだが、朝には上がっていた。台風8号は通り過ぎたらしい。ただ、台風7号がその後を追うようにやって来て、午後には最接近するという。

というわけで、ずっと家にいることにする。

カセットテープで友部正人のアルバム『6月の雨の夜チルチルミチルは』を聴く。

表題作は友部の自死した友人に捧げた歌だということを、私はYouTubeのコメント欄で知った。

「6月の雨の夜チルチルミチルは/からの鳥かごさげて死の国へ旅立った」というからには、心中をしたのであろう。しかも「半ズボンはいたチルチルは/二人の子どものお父さん」で「そのチルチルに誘われて/ミチルは生まれた町を出た」のだから、その男は妻でない女と、妻と子どもを残して死んだのだろう。その男はクズなのかもしれない。でも、その男にとっては、妻や子どもを残してもまでも、どうしても死ななければならなかったのだろう。残された妻や子どもを思うと、切ない。同時にその男もつらかったのだろうと思う。道連れになった女も悲しい。人が生きていくのは悲しい。

長男と図書館に行く。

昼は次男が作った焼きそば。旨し。

午後は、図書館で借りてきた『力道山未亡人』(細田昌志・小学館・2024年刊)を読む。

力道山夫人、百田(旧姓田中)敬子の物語。結婚して半年後、夫、力道山はやくざとの諍いで腹部を刺され、その1週間後に死ぬ。22歳で未亡人になった彼女は、やむを得ず夫の事業を引き継ぎ、波瀾万丈の人生を歩む。力道山は裏社会との関わりの強い人物だったから、当然、彼女もそういったことに巻き込まれざるを得ない。否応なしにそういう渦に巻き込まれてしまう人が、この世にはいるのだ。

夕方、地区のコミュニティーの会議。

夕食は、酢豚風豚肉とズッキーニの炒めもの、じゃがいも挽肉炒め、焼き茄子でビール、酒。

豆ちゃんはテレビの猫を食い入るように見る。

食後はカティーサーク。妻は白ワインを飲む。


台風は予想よりも南の進路をとった。おかげで、この辺りは大して雨も降らず、強風も吹かなかった。

それでも、同じ日に二つの台風が通過するなんて、めったにないことだ。今までの経験則が通用しない世界が、やってきたのかもしれない。




2026年6月21日日曜日

君原公民館の落語会(3回目)

 朝、パン、ハッシュドポテト、紅茶。朝から雨。

細々したことをやって、コーヒーを淹れ、NHK『自然百景』『小さな旅』『ディアにっぽん』を観ながら飲む。

妻は義妹母子とのお買い物に出かける。

今日は、阿見町君原公民館での福の家一門会。9時40分に家を出る。

クルマドの風景

10時半過ぎ、君原公民館到着。会場作りを手伝う。


君原公民館外観。近くに塙城址があるためか、どことなく城を思わせる。


昼食は、職員の方が作ってくださった。筍御飯、おつゆ、自家製コロッケ、ローストチキン、ふきの煮物、わらびの煮物、セロリツナマヨ和え、ほうれん草のおひたし、お新香。充実のラインナップ。筍もコロッケのじゃがいもも、わらびも、この辺で穫れたもの。

全景

メインディッシュ

小鉢群

筍御飯

おつゆ

旨かったなあ。残さず食べたよ。私はセロリが苦手だが、このツナマヨ和えは食べることができた。むしろ、美味しくいただけた。もうお腹いっぱい。ごちそうさまでした。

13時30分開演。今日はW杯日本代表対チュニジア戦があるにも関わらず、たくさんのお客様がご来場くださる。


耕作さん『寄合酒』、梅八さん『ちりとてちん』、ともちゃんさん『応挙の幽霊』に、ねぎおやじさんの弾き語り、梅八さんの江戸文字講座を挟んで、トリは私の『猫の災難』。落語は全部、酒の噺。こんなこと寄席ではできない。アマチュアならではのご愛敬だ。うちの一門は皆、酒好きなので、こういうことがしばしば起きる。

君原での落語会は3回目。私は、いずれもトリで『代書屋』『時そば』をかけた。今回は、ちょっと長い噺をという梅八さんからのリクエストで『猫の災難』にした。お客様には喜んでいただけたようだ。うれしい。

16時終演。片付け。17時解散。18時帰宅。

夕食は手巻き寿司で、ビール、燗酒。父の日ということで、ハートランドビールを買ってくれた。ハートランドは旨いなあ。味にうるさい次男も、これは旨いと言っていたよ。酒は松盛の燗。これまた旨し。

刺身は、鰹、鯵、盛り合わせ。茨城では「通は鰹にはにんにく」だが、私はこの頃、生姜がお気に入り。生姜の爽やかな辛さが好き。

寝しなにカティーサーク。


毎年、庭に桔梗が咲いていたのだが、今年はその辺りを父が刈り払ってしまったので、咲きそうもない。寂しい。君原公民館で桔梗が咲いているのをみつけた。写真を載せておく。


2026年6月20日土曜日

梅雨寒の土曜日

朝、御飯、味噌汁、ウィンナーソーセージ、スクランブルエッグ、納豆。

細々したことをやり、コーヒーを淹れて飲む。『風、薫る』総集編を観る。

妻は仕事。

空はどんより曇り空だ。雨が降らないうちに色々やっておこう。灯油を買ってボイラーに入れる。精米してくる。

そこへ甥夫婦が来た。甥の所では、先月、第一子が誕生した。1か月検診が終わり、早速、見せに来てくれた。ありがとう。かわいい女の子。

甥はこの子に、2月に亡くなった双子の兄から一字とって名前を付けた。父親似だな。ということは、亡くなった甥にも似ているのか。

甥たちは父を連れて食事に行った。父の孫は5人全て男だったが、ひ孫は今のところ皆、女。こんなところで帳尻が合うのかねえ。

昼は、次男が作ったざるラーメン。私と次男は担々麺味、長男はごまだれ。旨かった。


『特攻』(太平洋戦争研究会編・森山康平著/河出文庫)、読了。

特攻という作戦が、どんな経緯で生まれたか。どんな局面で、どんな規模で行われ、どれほどの兵が死んだのか。膨大な事実が積み上げられる。読み進みにつれ、気持ちが暗くなる。怒りさえわいてくる。

著者による「文庫本のためのあとがき」を引用する。私が何か言うより、その方が伝わることが多いだろう。

 特攻の時代からすでに六十年が過ぎた。(※この本は2007年に文庫化された)ふたたび特攻を強いるような時代が来るとは思いたくない。しかし、特攻隊員の遺書を読んで、その究極の自己犠牲の精神を、個々の隊員の自発的な愛国心の発露としてだけ受け取り、単純に称賛したり感動したりすることで終わるようでは、「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることにないようにすることを決意し」(日本国憲法前文)たことを貫けるのかどうか、疑問なしとしない。政府とはいつの世も、そのような自発的な愛国心を強要するものなのである。

 特攻ほど権力の強制を露わにする戦い方はなかった。ただ、それを強制と感じさせないほど、大日本帝国の愛国心教育(天皇信仰教育と言い換えても間違いではない)は”徹底かつ苛烈”であり、ほとんど信じがたい”大きな成果”をあげた。

 この本を書きながら私はそういうことを思っていた。

それから約20年、国政政党が「特攻隊員を称賛する」選挙ポスターを作り、「憲法改正の時は来た」と総理大臣が叫ぶ世の中になってしまった。


妻と夕方ビール。

夕食は、自家製コロッケ、手羽先、水餃子で燗酒。妻の友だちから、じゃがいもをたくさんいただいたので、妻がコロッケを作ってくれた。これが旨い。ソースなしでもいける。

寝しなにカティーサーク。雨音を聞きながら飲む。


ブローティガン『西瓜糖の日々』は読了、『アメリカの鱒釣り』にとりかかる。

『アメリカの鱒釣り』と豆ちゃん。


 蓮の花が咲き始めた。清楚な花だよねえ。「蓮は泥より出でて泥に染まらず」。「泥中の蓮」とも申します。そうはなれないと思うけど、憧れますなあ。