小林信彦『名人 志ん生、そして志ん朝』読了。2003年1月、朝日出版社から刊行された。私が持っているのは、その初版本である。
小林は戦前の東京日本橋生まれ。生家は和菓子屋。隣町には人形町末廣があり、まさに落語の世界の中で育った。うらやましい生い立ち。
2001年10月1日、古今亭志ん朝が亡くなった。その死に衝撃を受けた作家が、思いの丈を書き綴ったのが、この本だ。東京落語に対する、志ん生・志ん朝の二代にわたる名人への、筆者の思いがほとばしっている。
ただ、その思いがいささか断定的に普遍化される。
小林にとって、「〈東京の落語〉とは、江戸弁を駆使して一つの世界を創り出すもの」。だから、江戸弁を母語にしない演者の落語に厳しい。
ぼくの大学時代には、学生の落語研究会、いわゆるオチケンなどというものはなかった。
地方から出てきた学生が、オチケンに入ると、まず、方言、訛りを抜かなければならない。その上で、東京言葉とはいわないまでも、標準語を習得する。落語のどこがすばらしいのか、よくわからないから、理屈を考える。
すべてが無理なのである。その挙句、談志が言ったといわれる〈落語は人間の業を描くもの〉というテーゼにしがみつく。
こんな一節を読むと、茨城県出身の落研OBで、60過ぎてまだ落語をやっている私は、深く傷つく。特に「落語のどこがすばらしいのか、よくわからない」というところが痛い。そりゃあ、東京下町で生まれ育った人たちと私とでは、落語を喋るバックボーンが決定的に違う。それでも、落語が好きなのだ。それを「落語のどこがすばらしいのか、よくわからない」と言われてしまうと、立つ瀬がないではないか。
立川談志にはもっと手厳しいぞ。
志ん朝さんの不幸は、なんたって、ライヴァルがいないことである。ライヴァルがいないのは、芸の世界では、どうも良くない。良くないけれども、これは仕方がないですな。〈志ん生になったつもり〉の自称天才はいるとしても、実質がともなわない。
名前を出さないだけ、「歯牙にもかけない」感がいや増す。談志が読んで激怒したというが、無理もない。こういうの、書かない方が粋だと思うけど、書かずにはいられなかったんだろうな。
小林は、志ん朝の「これからはおかしい噺、ギャグの多い噺に力を入れてゆきたい」という言葉を高く評価している。大向こうをうならせる人情噺より、笑いに軸足を置く姿勢を重んじるということは、大衆の芸である落語の本質を理解しているということでもある。「笑い」に注視する小林もまた、落語に対する嗅覚は確かなのだと思う。
歯切れのいい語り口。断定的なもの言いも小気味いい。何より、私の大好きな古今亭志ん朝を、ここまで好きでいてくれた人がいることが、正直、うれしかったよ。
代表作の「オヨヨ」シリーズは読んだことないけど、漱石『坊ちゃん』のアナーザーサイドストーリー『うらなり』は面白く読んだ。物置に『天才伝説 横山やすし』があったな。あれも読んでみよう。
東京っ子であることに誇りを持った、いささか偏屈で頑固な爺さん。どこか可愛らしくもある。東京日本橋の商家に生まれ、あの昭和30年代の落語黄金時代を体験した。そんな生き方を、私もしてみたかった。詮無いことだけどね。
享年93歳。大往生と言っていい。ご冥福を祈りたい。















