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2026年3月21日土曜日

石岡を散歩する

朝、御飯、味噌汁、ハムステーキ、納豆。

コーヒーを淹れて、『ばけばけ』総集編を観ながら飲む。

妻は仕事に行った。

息子たちが土浦に遊びに行くというので、車で駅まで送る。

私はついでに石岡を散歩することにする。中町駐車場に車を止め、歩き始める。

よく晴れて暖かい。国分寺の方へ足を向ける。早咲きの桜が咲き始めたようだ。


こぶしも満開。

東京庵でお昼にする。


親子そば。700円。

食後の運動にもうひと歩き。光線が素晴らしい。



回り道をしてガソリンを入れ、13時頃帰る。

ラフカディオ・ハーン『怪談』読了。随分前に読んだのの再読。やっぱり朝ドラの影響は大きいな。怪異を題材としながら静かな文体。異界は日常と地続きにある。平井呈一の訳が、またいいんだよね。ちょっと漱石の『夢十夜』を思い出す。

大相撲は優勝を争う三人が全て敗れ、関脇霧島の優勝が決まる。「荒れる春場所」らしい結果になった。高安は7連敗で負け越し。そんなところも高安らしい。

夕食は、ホットプレートで鶏肉、牛肉、イカ、ホタテ、フランクフルトソーセージなどを焼きながら、ビール、剣菱の燗を飲む。旨し。シメは息子たちが買ってきたクーロンヌのメロンパン。大きさもちょうどいいし、甘くもない。ちょっと一般的なメロンパンとは違う。旨かったよ。

食後、妻は白ワイン、私はティーチャーズを飲む。

寝しなにボウモア。


日米首脳会談のことはもういいや。「世界に平和と繁栄をもたらすことができるのはドナルドだけ」か。真っ先に戦争を始めたのは誰だよ。彼女の言っていることが日本国民の総意ではないということは言っておく。

2026年3月20日金曜日

彼岸の中日、甥の法要

彼岸の中日。

朝、ぼた餅、吸い物、目玉焼き、ウィンナーソーセージ。お彼岸だというので、父がぼた餅を作った。うちのぼた餅は、もち米を炊いてこし餡をのせる。久し振りに食べた。旨し。

一家で墓参りに行く。けっこうな雨。



そのまま、かすみがうら市のお寺へ。甥の四十九日法要がある。

父の指図で30分前にお寺に着く。どうやら一番乗りらしい。間もなく妹たちも来るだろうと、駐車場の車内で待つが、なかなか来ない。日にちを間違えたか、不安になる。直前に無事、全員集合。

滞りなく法要が執り行われる。浄土真宗は自由な感じがするな。


甥の葬儀の時、三親等だからてっきり忌引きが適用されると思っていた。ところが、職場の規定を見ると、忌引きは三親等の尊属まで認められ、卑属は適用外だということが分かった。どうも、制度と感情が釣り合わなくて困った。親(尊属)の兄弟姉妹と兄弟姉妹の子(卑属)で引かれる線。「尊」と「卑」という言葉で切り分ける法規。私たちが生きている社会はそういう仕組みになっているのか。

法要後は、神立の喜作で会食。逝去から、とりあえず今日で一区切り。美味しい料理、美味しいお酒で、甥の思い出話に花が咲く。和やかな宴席。それでも家族の悲しみは深い。妹は未だに眠りが浅いという。

15時解散。もう雨は上がった。家に帰って、とろとろ眠る。

夕方、お寺から拝みに来る。これを棚経と言うらしい。住職の息子がお経を上げてくれる。うちの長男のひとつ上。中学校の先輩だ。この前結婚したという。随分大人になったなあ。

妻と夕方ビール。

夕食は、インスタントの味噌汁に珍味を焙って剣菱の燗。次男も飲む。腹も減っていないが、飲みながらまあまあ食べてしまう。

寝しなに普段使いのティーチャーズ。


31年前の今日、地下鉄サリン事件が起きた。朝、NHK-BSでドキュメンタリーをやっていたので、思わず見入ってしまった。その中で、実行犯と同じ大学の研究室にいた人の言葉が心に残る。

「人の脳には限界がある。人知を超えた真実に迫ろうとした時、神秘主義者の入り込む隙が生まれる」

「彼と自分を隔てる壁は極めて薄い。自分が彼になっていたとしても、不思議はない」

長男の心にも響くものがあったのかもしれない。


諸行は無常であり、エントロピーは増大する。私にできるのは、この時この時を大切に生きることしかないな。間違ってばかりいるけれど。

2026年3月15日日曜日

土日の日記

昨日の日記。

朝、御飯、味噌汁、ウィンナーソーセージ、スクランブルエッグ、納豆。

『ばけばけ』の総集編を観ながら、コーヒーを淹れて飲む。錦織さんの退場に思わず涙する。後でNHK ONEで本編も観ちゃったよ。

妻は仕事。私は灯油を買いに行く。この間まで、18ℓで2000円ぐらいだったのが、2580円になっている。アメリカさんのせいだよ。

昼は次男が作ったマルちゃん正麵醤油味。ちゃんとキャベツにハムが入っている。旨し。

午後は細かい絵を描く。

妻と夕方ビール。大相撲春場所は綱取りに挑戦している安青錦が痛恨の4敗目を喫した。今場所は相手にもぐらせてもらえない。相当研究されているようだ。でも、今までが順調すぎたんだ。壁は今のうちに当たっていた方がいい。横綱になってからではきついからなあ。

夕食はホットプレートでお好み焼き。燗酒を飲む。珍味もホットプレートにのせて焼いてみた。これが燗酒にまたよく合うんだな。旨し。

食後に妻と白ワイン。寝しなにボウモアを飲む。


今日の日記。

朝、マフィン、紅茶。鶯の声を聞く。

NHK『自然百景』を観ながら、コーヒーを淹れて飲む。

ニュースを見ていたら、アメリカの大統領が、「ホルムズ海峡を使う国は護衛艦を出すことになるだろう」と述べたそうだ。日本も名指しされたらしい。護衛艦を出せば、攻撃目標になるだろうし、攻撃されたら戦闘になるだろう。戦争はもう廊下の奥に立っているのかもしれない。

昼は、次男と妻が作った、ニラ挽肉炒め丼。旨いねえ。

午後、妻と長男とで市の生涯学習センターで行われるピアノコンサートに行く。ショパンの『ノクターン遺作』、ベートーヴェン『月光』、リスト『ラ・カンパネラ』などを堪能。後半はソプラノとピアノの共演で『トゥーランドット・誰も寝てはならぬ』などが演奏された。すべて生音。贅沢な時間だった。戦争なんかやめてしまえ、と思った。

大相撲は横綱大関全敗となった。1敗同士の関脇対決、高安・霧島戦は、熱戦の末、霧島の勝ち。両者とも力を出し切った、名勝負だった。

妻と次男で夕方ビール。

夕食は鶏つくね、ポテトサラダ、麩チャンプルーで燗酒。旨し。

食後にボウモア。

この前撮った、沖洲からの霞ケ浦。

2026年3月14日土曜日

大利根紀行⑤ 銚子観光、旅の終わり

8時30分、チェックアウト。

高山T君のリクエストで、近代歴史建築を見に行くことにする。

旧公正會舘。1926年(大正15年)4月竣工。ヤマサ醤油の15代目当主、濱口儀兵衛が中心となって設立した財団法人公正會によって建設された。ここに夜間中学と図書館が併設されたという。今もこの建物の裏手は図書館になっている。

美しい建物だなあ。すぐ近くには、洒落た橋もあった。

この川の少し上流にはヤマサの工場がある。


ヤマサに行ったら、ヒゲタに寄らねばなるまい。

というので、ヒゲタの工場。

少し遠目だったので拡大してみます。

重厚だねえ。1616年創業。ヤマサの創業は1645年だから、それよりも古い。

ここからは観光だ。銚子といえば犬吠埼。私もしばらく行っていない。

灯台、わりと好きなんだよねえ。


犬吠埼灯台。1874年(明治7年)、イギリス人技師プラントンの設計で作られた。高さ32メートル、煉瓦造りの西洋式灯台である。2020年、国の重要文化財の指定を受けている。

高山T君とともに90段のらせん階段を上る。上に行って、自分が高所恐怖症であることを思い出した。強風もあり、とても長くはいられない。高山T君は山登りが好きで、高い所が好き。彼を置いて、私は下に降りる。

資料館を見物する。



犬吠埼の眺望は素晴らしい。

霧笛舎と灯台。ともに文化財だ。


お次は、やはり高山T君のリクエストで屛風ヶ浦に向かう。

カーナビの言う通り銚子ドーバーラインをひた走って行くと、旭市飯岡に出た。屛風ヶ浦の南端、断崖絶壁の上に飯岡灯台が立っている。

ところが、下に降りる道がない。ここは屛風ヶ浦の上だが、これでは屛風ヶ浦を見ることはできないではないか。

もう一度調べてみると、千葉科学大学マリーナキャンパスの近くに、屛風ヶ浦を望む遊歩道があるらしい。早速、カーナビに入れて、ドーバーラインを10㎞ほど戻る。こっちからの方が道路案内が親切だな。無事、遊歩道近くの駐車場にたどり着く。

屛風ヶ浦。銚子市名洗町から旭市刑部岬まで、約10㎞にわたり40m~50mの断崖が続いている。その絶景は、英仏海峡「ドーバーの白い壁」に匹敵するという。2016年に国の名勝、天然記念物に指定された。




壮観ですなあ。諦めないでよかったよ。

銚子電鉄の終点、外川駅に行く。



ホームには、ヤマサとヒゲタのベンチが仲良く並んでいる。やはり、ここでも両雄は並び立たなければならないのだ。


駅舎ではお土産を売っている。私は銚子電鉄名物「ぬれ煎餅」を購入。高山T君もそれに倣った。

お昼は銚子市街に戻り、銚子らしいものを食べることにしよう。

途中、千人塚の下を通る。1614年10月25日、銚子沖を襲った突風により鹿島灘に出漁中の漁船が遭難した。溺死者は1000人以上に及んだ。その死者を埋葬したのが、千人塚である。当時、利根川の河口は狭く、干満による潮の流れが速かった。銚子沖は「日本三大難所のひとつ」に数えられるほどの難所だったのだ。それが、東北地方から太平洋を南下する船が、いったん那珂湊から涸沼に入り、そこから荷物を陸路で霞ケ浦へ運ぶという、手間のかかるルートを選ばせる原因となった。

ポートタワーのある観光拠点、ウォッセ21に行く。日曜の昼時で、混雑しているのではないかとの懸念はあったが、行ってみるとほどほどの賑わい。車もすぐ止めることができた。

水産卸売センターを見る。スルメイカの一夜干しを土産に買った。

レストランの様子を見るが、「それよりも途中にいい感じの定食屋があったぞ。あそこにしよう」という高山T君の意見を採用。ちょっと戻った利根川沿いの定食屋に入る。先客はひと組。すんなり席に着くことができた。



少し迷ったが、私はメニューの筆頭にある、豚しょうが焼き定食をチョイス。別にイワシの刺身を一人前頼んで二人でつついた。汁はつみれ汁。自家製ではないが、うれしいじゃありませんか。旨し。

腹も膨れた。ここから帰途に就こう。利根川を遡り香取方面に向かう。ドライブのお供はクレイジーキャッツにした。植木等の軽やかな歌声。道端では、こぶしや木蓮が咲き誇る。春が来たんだなあ。

小見川に入る前、東庄町で火の見櫓発見。カメラに収める。


しかし、電柱や電線が邪魔だなあ。佐原の歴史的建造物を撮るのにも、これで苦戦した。高山T君は「無粋な電柱や電線が多い。佐原の街並み地域ぐらい電線を地中化してはどうか」と苦言を呈していた。

香取市を越えて神崎町の酒蔵、仁勇で純米酒を買って、高山T君に進呈。神崎町から利根川を渡る。その後は霞ケ浦西岸を北上する。

前回、高山T君が行きたがっていた、阿見町の予科練祈念館に寄る。ここには、ゼロ戦と人間魚雷回天の実物大模型がある。

「おれの伯父さんは、戦争末期、呉で回天の訓練を受けていたんだ。広島に原爆が落ちた時、伯父は防空壕を出ようとしたところだったが、呼び止められて命拾いをした。回天も破壊され、出撃は取りやめになったそうだ」と高山T君が言う。

私の伯父はビルマで、母方の祖父はニューギニアで戦死している。私たちの世代は直接戦争は知らないが、そういう形で戦争を知っている。同世代の政治家たちが「9条改正」に前のめりになっているのを見ると、複雑な思いを抱かざるを得ない。

隣接する陸上自衛隊武器学校には、旧海軍の遺構がある。


家に着いたのは16時ちょうど。これから高山T君は筑西の道の駅に行って車中泊し、翌日は平将門関係の史跡を巡るという。

「次は湖国探訪第二弾だな」と高山T君が言った。

そうだな。体が動くうちに色々やろう。再任用は3月で終了だが、二人とも4月からフルタイムで働くことになっている。

達者でな。私は筑西へと向かう高山T君の車を見送った。

2026年3月12日木曜日

大利根紀行④ 銚子の朝を歩く

年寄りの朝は早い。高山T君と私は各々朝飯を済ませると、6時45分に散歩に出た。

まずは利根川沿いから歩き出す。

銚子大橋を望む。


利根川河口の方。

波崎の風力発電。
きんと引き締まった空気。風も強い。

銚子漁港。

 漁港近くの通りにスナック発見。飲みに来るとすれば、この辺りだったか。

雑居ビルがあったり、居酒屋が何軒かあったりしたが、まとまった飲み屋街というのではなかったな。

もう少し歩けばヤマサの工場があるらしい。道路案内を頼りにぶらぶらとそちらへ向かう。

交差点に灯台。

やがて、ヤマサの工場にたどり着いた。






私は小学校の5年か6年の頃、ヤマサに工場見学に来たことがあった。50数年ぶりの来訪だ。何となく覚えがある感じ。あの時は、ヤマサの化学調味料、ハイミー入りの醤油をもらって来たんだっけ。それが気に入って、しばらく家ではヤマサの醤油を使っていた。

駅の方へ向かうと、シブい家並みを見つけた。


駅のロータリーにはこんな石碑もあった。


東京師範学校の生徒、東京から徒歩で来たらしい。全行程11日に及んだという。すごいねえ。

駅前にはチーバくんもいたよ。

チーバくんは横から撮らないと千葉県に見えないなあ。

メインストリートからわき道を歩く。

看板建築があったり、よさそうな飲み屋があったり。探している時には見つからないんだよね。



8時頃、ホテルに戻る。充実の朝の散歩だった。