今日は久し振りに昼飯を外で食べた。
まるい食堂。カツカレー、900円。値上がりはしているが、今時、カツカレー食って、1000円でお釣りがくるんだから、それはよしとしよう。
味噌汁に、小鉢(茄子のしぎ焼き)、きゅうりの漬物が付く。定食屋のカツカレー。
カレーに具はない。ちょっと辛め、コクはある。カツにはカレーがどっぷりかかっているが、さくっと揚げ立て。厚からず薄からず、程がよい。
旨かったっす。次はチャーハンかな。私はここの高菜シラスチャーハンが好きです。
取り上げた落語家・作家等については基本的に敬称を省略しています。
今日は久し振りに昼飯を外で食べた。
まるい食堂。カツカレー、900円。値上がりはしているが、今時、カツカレー食って、1000円でお釣りがくるんだから、それはよしとしよう。
カレーに具はない。ちょっと辛め、コクはある。カツにはカレーがどっぷりかかっているが、さくっと揚げ立て。厚からず薄からず、程がよい。
旨かったっす。次はチャーハンかな。私はここの高菜シラスチャーハンが好きです。
私には本名の他に、もうひとつ名前がある。
落語を演る時に使う名前だ。今時は「高座名」というらしいが、私が落研にいた頃は「芸名」と呼んでいた。
私が古典落語を覚えて演るようになったのは、中学の時だ。中学卒業の謝恩会の時は「寿限無」を演った。その頃、芸名も考えた。「野良家耕安(のらや・たがやす)」という。まあ自分の出自が農民だということを自覚していたんだろうな。
大学に入って落語研究会に入部すると、芸名をもらえる。
初めての芸名が「楽家伝助(たのしや・でんすけ)」。初めての芸名は、一門の真打がつける。楽家は松風亭門下にあり、当時の真打は二代目松風亭紫雀(しょうふうてい・しじゃく)さんだった。『ビッグコミックオリジナル』で連載中の「釣りバカ日誌」の主人公から取ったという。
落研では、本名か芸名で呼ばれる。私は、ずっと「伝助」と呼ばれ、本名で呼ばれたことがない。それだけ、愛着の深い名前であった。
3年の夏合宿で真打に昇進した。その時に、私は、三代目松風亭風柳(しょうふうてい・ふうりゅう)を襲名した。
初代は、今でも社会人落語家として活躍中の、たちばな家半志楼さん。私が聴いた先輩の中では、この方と、二代目松竹亭金瓶梅(しょうちくてい・きんぺいばい)で、現在の鶯春亭梅朝(おうしゅんてい・ばいちょう)さんが双璧だと思う。
二代目は今も地元長野県で、水道家関ちゃん(すいどうや・せきちゃん)という名前で落語を続けていらっしゃる。
私も今、高座に上がっている。風柳三代、そろって今も落語を演じ続けているということになる。そういう芸名なのだろう。
私は卒業後、しばらく落語から遠ざかっていたが、2019年4月から、鶯春亭梅八(おうしゅんてい・うめはち)さんが主宰する、福の家一門で落語を始めた(梅八さんは、大学の先輩。現役時代は三代目松竹亭金瓶梅だった)。芸名は「福の家伝助」を名乗った。やはり「伝助」に愛着があったのだ。
半年ほど経つと、梅八さんから、「いつまでも伝助じゃないだろ。別の名前を考えろ」と言われた。そして、こうも言われた。
「お前、風柳を使いたいんだろ? でもな、落研の真打名は卒業の時にクラブに返したんだ。真打名は現役のものだよ。後輩がいつでも継げるようにしておかなきゃな」
なるほど、皆さん卒業してから落語を演る時には名前を変えていらっしゃる。そういう事情があったのか。そして、私はその考えに得心した。やっぱりうちの落研はきちんとしている、と誇りに思えた。
以前、小月庵という蕎麦屋で「粋蕎」という蕎麦焼酎を見かけた。私はそれを「すいきょう」と読んだ(正しくは「いっきょう」と読む)。それ以来「すいきょう」という名前はいいな、と思っていた。「粋」の字を使うのは粋ではない。「すい」は自分が酒好きでもあり「酔」の字を当てるのがいいだろう。これに、名人橘家圓喬の「喬」を合わせて「酔喬」。うちの落研にある小酒家の真打名にぴったりじゃないか。
梅八さんから言われて、まず浮かんだのがこの名前であった。
これだけででは、と思い、もうひとつ、「霞風(かふう)」というのを考えた。「風」を使いたかったのと、「荷風」に通じていていいかな、と思ったのである。
稽古の時、梅八さんにこの二つを見せた。梅八さんはためらいなく「酔喬にしろ」とおっしゃった。
こうして私は「福の家酔喬」となったのである。
昨日の日記。
朝、御飯、味噌汁、目玉焼き、ウィンナーソーセージ、納豆。
妻と次男とイーアスつくば。村上春樹の新作と吉田健一の文庫本を買う。
昼はフードコートのリンガーハット、長崎皿うどん。久し振り。満足。
14時頃帰る。床屋に行く。
夕方、妻に送ってもらい、石岡へ。年下の知人たちの飲み会に呼ばれた。40年前の話で盛り上がる。皆、覚えているポイントがそれぞれで面白い。
妻が迎えに来てくれて21時過ぎ帰宅。風呂に入って、私はジェイムソン、妻はビールを飲む。
今日の日記。
朝、トースト、ハムステーキ、スクランブルエッグ、サラダ、味噌汁。
『風、薫る』を観て、コーヒーを淹れて飲む。昨夜はけっこう飲んだ。頭が少しぼんやりしている。
妻と食器の整理。大分きれいに片付いたな。
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| 笠間焼が多い。 |
村上の新作『夏帆』を読む。『新潮』誌上で4分の3ぐらいは読んでいたが、やっぱり買ってしまったなあ。色々言われているけど、私は彼の文体が好きなのだ。
昼はそうめん。豚と茄子のつゆ。生姜が効いていて旨い。茄子が次々とできるので、毎日食卓に上る。扇之丞先輩の得意ネタ『茄子娘』を思い出す。
午後、畑に行って、ブルーベリーを摘む。猛暑日になった。暑い。妻がそれでジャムを作り始めた。
長男はアルバイト。私たちは夕方ビール。
夕食は鶏の唐揚げ、夏野菜の焼びたし、モロヘイヤのおひたしでビール、酒。
寝しなにジェイムソン。
前回書いた皇室典範について。私自身、それほど関心はない。他人の家の話だし。ただ、人間を装置や器械としてしか考えないシステム、あるいは、そんなふうにしか考えない人間が国を動かしていることに、ひどく腹が立つのだ。それは、基本的人権の尊重を掲げながら、生身の人間に「国民統合のための象徴」を背負わせる、日本国憲法最大の矛盾に由来しているのかもしれない。
朝、トースト、ウィンナーソーセージ、トマト卵炒め、紅茶。
細々したことをやって、コーヒーを淹れ、『風、薫る』総集編を観ながら飲む。
CDのデータを、せっせとSDカードに取り込む。SDカードは車で聴いている。ランダム選曲にすると、有線放送みたいで楽しい。しかも、自分の好きなアーティストの曲ばかり流れるのだから、たまらない。もっとも、自分が買ったCDが基になっているわけで、当たり前と言えば当たり前か。
早お昼にじゃじゃ麵を食べ、父とお向かいの奥さんの告別式に行く。父はよくお向かいでお茶をご馳走になっていた。ひと回り年下の奥さんの死には、少なからずショックを受けたらしい。お別れに棺の中に花を入れる。お見送りをして帰る。
この頃、やけに蠅が目立つ。土間のじゃがいもがあやしいと目をつける。調べると、一部、腐っていた。エントロピーは増大する。しょうがない。取り分けて、腐った方を棄てる。
妻と次男と、夕方ビール。
夕食は父が買ってきた刺身、冷凍たこ焼き、じゃがいもの蒸かしたの。酒はいただきものの「渡舟大吟醸」。旨いねえ。鰹の刺身はにんにくで。これまた旨し。
寝しなにジェイムソン。
前山の百合が見頃。
皇室典範改正案が可決された。
天皇は私のひとつ上。私も30過ぎまで独身だったから、親からのプレッシャーはあった。彼はその比ではなかっただろう。結婚すればしたで「お世継ぎ」を作らねばならない。うちは結婚して5年、子どもができなかった。甥の双子のどちらかを養子に、という話もないわけではなかった。偶然だが、うちの長男と、天皇家の長女は同い年。やっと生まれた子が女の子だったということで、男子誕生は皇室の悲願になった。現皇后は適応障害に苦しみ、弟宮妃は高年齢出産(39歳)による男子出産を余儀なくされた。
改正案は、男系男子継承を保持する形になった。改正案に賛成する、日大名誉教授、百地章はこう言う。
男系男子による皇位継承が続く限り、養子が実現しても「男子を生まなければならない」という重圧に皇室の方々はさらされ続けるという指摘があります。それは申し訳ないことですが、皇室には「天皇に私なし」という伝統があり、国民にとっては感謝すべきこと。皇位とは公のものであって、私情はある程度抑えてでも皇位を伝えることが大事だと考えていただきたいです。(中略)
ジェンダー平等や、長子優先に転換したヨーロッパの王室の先例から、男系継承に疑問を持つ声もあります。しかし、男系の皇統を守り伝えてきた皇室とジェンダー平等は最も遠いところにあり、そうした現代的価値観だけで2千年近い歴史と伝統を変えるのは、現代人の思い上がり以外の何ものでもないと考えています。(朝日新聞より)
つまり、「皇族には人権はない」と言っているに等しい。個々の人生よりも「存在することに意味がある」ということか。私はそんな彼らを気の毒に思う。江戸時代以前の皇室の方が、貧しくはあっても自由だったのではないか。そう思うのは、不敬なことだろうか。
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| 昨日の豆ちゃん |
朝、マフィン、紅茶。
細々したことをやって、コーヒーを淹れ、NHK『自然百景』『小さな旅』『ディアにっぽん』を観ながら飲む。『小さな旅』は三重県神島。三島由紀夫の『潮騒』の舞台だった。『潮騒』については触れなかったが、島の美しい風景に目を奪われる。
お向かいの奥さんが亡くなり、お隣と通夜葬儀の案内状を配って歩く。1時間ちょっとかかる。
昼はお向かいからいただいた弁当を食べる。
妻とauショップ。4年前に買ったスマホが突如不調になり、買い換えることにした。色々手続きをして、1時間ほどで新しいスマホを手に入れる。そのままPCデポへ行き、データの乗り換えをしてもらう。
17時過ぎ、PCデポでスマホを受け取る。
新しい機械は苦手。色んなアプリにログインし直すのが面倒くさい。こういうのにかまけるのは、文字通り「時間を溶かす」ことに他ならない。ストレスがたまる。
夕食は、茄子の肉巻き、冷やしトマト、人参しりしり、枝豆でビール、酒。酒は吉乃川。新潟県長岡市摂田屋の酒。純米酒信仰の向こうを張る、醸造用アルコールの絶妙の配分。飽きのこない味だな。常温の冷や、燗酒に合う。
食後にジェイムソン。
最近、女優と男優のドラマ撮影時のトラブルがあった。詳しくは知らないし、このことについて、特に意見はない。
ただ、女優に対して少なからぬバッシングがあったことについては、どうなのかなと思う。伊藤さんとか五野井さんとかの時と同じ匂いがするんだよなあ。
よく、「コンプライアンスが厳しくなって世の中が窮屈になった」と言う人がいる。でも、そういう人は、「窮屈ではなかった」世の中で、誰かが傷ついたり生きづらかったりしていたということに、思い至らないのだろうか。自分が窮屈な思いをしないことで、我慢を強いられてきた人が存在するということに、思いが至らないのであろうか。
そんなことを考えていたら何もできない、と言われるかもしれない。だけど、そんなことを思いながら、よりよい明日をつくっていく方がいいと、私は思う。
前山の百合が咲いた。例年より早め。これからますます暑くなるんだよな。
玄関のラベンダーも咲きました。
車を買い換えた。乗っていたミニがオイル漏れをしていて、次の車検ではエンジンを下ろして修理しないと通らないと言われていた。エアコンもガス漏れで利かず、もうこれまでかな、と思ったのである。もっと乗り続けたかったんだけどね。
では、ここで私が乗った車を振り返ってみよう。
就職して初めて乗った車が、ホンダ・シティEタイプ。シティの中ではいちばん安いグレードだった。エアコンもついていなかったが、それだけに燃費はよく、リッタ21キロを誇った。
唯一残っている写真がこれだ。フェンダーミラーが時代を感じさせますなあ。もちろん、マニュアルですよ。
この車は、父が乗って事故を起こし、廃車となった。
次に乗ったのは、ホンダ・シビックシャトルのリアルタイム4WD。給料をためて、初めていちばん上のグレードの車を買った。もちろん、エアコンもついている。マニュアルの5速。電動サンルーフもついていて、運転していて楽しかった、
職場の同僚にそそのかされて、アルミホイルを履き、カーオーディオもいいのを買った。スピーカーはJBL。贅沢したよね。
空前のスキーブームで、私もこの車でよくスキーに行った。雪道でのポテンシャルの高さは群を抜く。
この車は10年ぐらい乗って、友だちに譲ったが、半年ぐらいで彼の父親が事故を起こして廃車となった。
そして、1992年、私はローバー・ミニに乗る。1300㏄が出た時の最初のモデル。私はいちばん安いのを、店頭に出ているそのままの形で買った。4速マニュアル、エアコンなし。ラジオさえついていなかった。
この車を買って間もなく、妻と付き合い始めた。その頃、妻は埼玉県の熊谷に住んでおり、私はこの車で、片道3時間かけて会いに行った。
結局、この車には22年間乗った。屋根の塗装が剥げてきたので、塗りなおした。同じ色では違和感があるというので白にしたら、ツートンになってカッコよくなったよ。
私の母は、この車が嫌いで、2014年に「金を出すから別の車を買え」と言ってきた。老いた母に、私も抗う術はなく、買い換えることにした。お互い歩み寄った結果、BMWミニでよい、ということになる。母の目には、BMWミニはフツーの車に見えたらしい。
妻が主に乗る車は、トヨタ・スターレット、ホンダ・ストリート、トヨタ・ノアと、いずれもオートマ車だったが、ここで初めて私は日常的にオートマに乗ることになった。
前のミニが、トラブルを直しながら完成に近づき、最後には至って快調だったのに対し、新しいミニは、最初は快調で次第次第にトラブルが多くなっていった。
それでも、好きな車だったよ。5ナンバー最後のミニだった。次のモデルチェンジで、ミニは全車種3ナンバーとなり、その後、どんどん大きくなっていった。もはや、今は「ミニ」とは言えない。ミニがかろうじて「ミニ」だった車に私は12年も乗ることができたのだ。
納車に行く前のミニ。長い間、ありがとう。
4台乗ってエアコンがついているのが2台、3台はマニュアル車。少数派だよな。新しい車は国産の軽でございます。
田舎なので、車がなくては生きてはいけない。生活必需品なんだけど、随分高くなったなあ。
夕食は妹夫婦からいただきのものの鰻で燗酒。旨し。
畑のトマトも立派になった。
朝、トースト、チキンナゲット、紅茶。
今日は地区のコミュニティーのイベントがある。私は役員として参加。曇り空。かえって暑くなくていい。お年寄りから子どもまで、たくさん来てくださる。
片付けをして、12時過ぎ解散。
昼は、サッポロ一番塩ラーメンを作って食べる。
畑に行って、茄子を取って来る。
夕方、ビールを飲みたくなった。明日は雨だというから、その前に草刈りをやろうと思い立つ。労働の後の方がビールは旨い。いそいそと草刈り機のエンジンをかける。
燃料が尽きたらやめようと思っていたのだが、1回だけでは物足りず、もう1回満タンにしてやる。
草刈りは、生き物の命をとることだから、あまり好きではなかった。でも、草たちは強い。あとからあとから生えてくる。空き家の荒れっぷりを見ると、草刈りはやんなきゃなと思う。
結局、「いたちごっこ」なんだよな。草を刈る。また生える。また草を刈る。この繰り返し。人生はそんなもんだ。1回整えたらそれでいいというわけにはいかない。整えたものは必ず崩れる。エントロピーは増大するのだ。崩れたら整える。崩れたら整える。その繰り返しが人生なんだな。勉強になるなあ。
2時間やって終了。妻が、風呂に入れと言うので、入る。風呂上がりに夕方ビール。旨し。
夕食はピザ、スープ、とうもろこしで赤ワイン。ピザに使った、じゃがいも、茄子、バジルはすべて自家製。いいねえ。旨し。
摘んできたパセリとバジル。見た目もいいでしょ。
寝しなにジェイムソン。
イベントからの帰り道、合歓の花がきれいだった。
合歓の花といえば、松尾芭蕉『奥の細道』の象潟での一句、「象潟や雨に西施がねぶの花」を思い出す。芭蕉は「松嶋は笑ふが如く、象潟はうらむがごとし。寂しさに悲しみをくはえて、地勢魂をなやますに似たり」と書いた。
私は30年前、高山T君と象潟を旅した。もちろん、この『奥の細道』を意識してのルートだった。芭蕉は象潟に舟を浮かべたが、その後大地震によって地面が隆起し、今は陸地となった。
これはその時の写真。田圃の中にぽつんぽつんとある丘は、その昔、島だったという。
象潟はその時も寂しげだった。