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2026年5月17日日曜日

新緑の季節

朝、パン、魚肉ソーセージ卵炒め、紅茶、苺ジャム。

コーヒーを淹れて、NHK『自然百景』『小さな旅』『ディアにっぽん』を観ながら飲む。

いい天気。布団を干す。

裏庭の草刈り。草刈り機の燃料がもつまで。1時間半ぐらいやる。目も痛いほどの新緑。

ボイラーの灯油が少なくなっていたので買いに行く。5000円で40ℓしか入らない。高くなったな。まあ原油が入ってこないのではしょうがない。トランプさんも余計なことをしてくれたもんだ。

昼は妻と次男で作った、ほうれん草とベーコン、しめじが入った和風パスタ。旨し。

買い物に出る。ついでに田圃を見てくる。苗が風にそよぐ。世界は美しい。

おやつに義妹の京都土産の抹茶プリンを食べる。濃厚、旨し。アイスコーヒーを冷たい牛乳で割って飲む。

夕食は父が「鰹が食いたい」と言って買ってきた刺身、妻が作ったポテトサラダ、ふきの煮物、そら豆の茹でたので燗酒、酒はセイミヤで安売りをしていた黒松剣菱。旨いねえ。

食後にティーチャーズ。


作曲家でジャズピアニストの大野雄二氏が先日亡くなった。「ルパン三世」や「小さな旅」のテーマ曲の作者として知られる。氏を偲んでCDを聴く。洒落た、それでいて日本的な旋律。バンドメンバー全員で楽しんでいるような演奏。素晴らしい。大野雄二氏のご冥福を祈る。

2026年5月16日土曜日

S君とお笑いライヴに行く

朝、御飯、味噌汁、昨夜の残りのコロッケ。コロッケは味噌汁にダイブ。コロモが汁に溶けて旨いのよ、これが。

掃除をして、コーヒーを淹れて、『風、薫る』を観ながら飲む。

妻は仕事。スタン・ゲッツを聴きながら、リチャード・ブローティガンを読む。

11時過ぎ、長男に駅まで送ってもらう。今日は親友S君と水戸に行くのだ。

昼過ぎ、水戸着。S君と駅南のココ壱番屋で昼食。私はほうれん草カレーにする。初めて食べたが、旨い。


ぶらぶらと県民文化センターまで歩く。


いい天気。気持ちいい。

県民文化センターで、ヒロ松元のライヴを観る。私はこの人をお江戸広小路亭で観ている。あれは立川流の興行で、彼は一人コントで出ていた。

今は、日本国憲法ネタや権力批判ネタで知られている。当然、そのライヴは党派性が強くなる。客層もお笑いファンというより、そっち系の客が多い。笑芸というより、笑いの多い講演会、あるいはエンターテインメント化されたアジテーション、とも言える。

30分ほどのネタを3本、それにアンコールを入れて約2時間。これを一人で演じて、しかも客をそらさない。大したもんだんあ。口調はビートたけしの影響が強いか。

ライヴ終了後、S君と一杯やりに駅まで戻る。ここは水戸で勤めたことのあるS君にお任せ。16時過ぎから、北口近くの居酒屋「てんまさ」で飲む。焼き鳥、鰹の刺身、めひかりの唐揚げ、納豆と大葉の天ぷらなどで生ビール、酒。

酒は十王蔵、霧筑波純米。旨し。あん肝もたまらん。

昔は夜を徹して飲んだこともあったが、我々ももう歳だ。二人で五合も飲めば充分。18時には帰りの電車に乗った。

駅には妻が迎えに来てくれる。S君を家まで送って帰る。

皆が夕食を食べているところでビール、寝しなにティーチャーズを飲む。


付記。

私がお江戸広小路亭で観たのは、ヒロ松元ではなくモロ師岡でした。

こういう思い違いをよくする。ちゃんと確かめてから書けよ、ですな。反省しきりです。

2026年5月13日水曜日

つくば、ペニー・レインに行った

朝、御飯、味噌汁、ハムステーキ、納豆。

息子たちを駅に送り、『風、薫る』を観ながらコーヒーを飲む。

今日はお休み。久し振りに妻と二人で出かけることにする。

久々のつくばイオン。1時間程自由行動。私は本屋で、『リチャード・ブローティガン』(藤本和子/ちくま文庫)、『風に吹きはらわれてしまわないように』(リチャード・ブローティガン/ちくま文庫)を買った。

お昼は妻と二人、イオンに隣接するペニー・レインに行く。

妻は何回かここで食べたことがある。ビートルズ関係のグッズでいっぱい。ビートルズファンには天国のような所だ。入り口から『アビイ・ロード』のジャケットがお出迎え。


ちゃんと「IF 28」ナンバーのフォルクスワーゲン・ビートルがある(前向きだけどね)。

店内はイギリスのパブを意識したような造り。続々とお客が入る人気店だ。

ハンバーグとスパゲティ・ボロネーゼをオーダー。これにパンの食べ放題がつく。





しっかりとしたお味。旨し。パンもまた旨いねえ。本場のイギリス料理をより数倍旨いと思う(もっともペニーレインは栃木県の店だ)。

ずっとビートルズの曲がかかっていた。それも、初期のシブい曲が多かったな。「アスク・ミー・ホワイ」「アイム・ア・ルーザー」「ユー・キャント・ドゥ・ザット」・・・、たまらん。

途中、カスミに寄って帰る。

買ってきた本を読みながら、昼寝をしたり、CD聴いたり。『風に吹きはらわれてしまわないように』(旧題『ハンバーガー殺人事件』)を発表した2年後、リチャード・ブローティガンは拳銃自殺を遂げる。『リチャード・ブローティガン』にはその辺りのことが、克明に書かれている。今回は小説と評伝を同時に読み進めている。まだ読み始めだが、どんどん引き込まれていく。

夕方、にわか雨。

夕食は、豚ニラ炒め、茄子とピーマンの味噌炒め、オニオンサラダで酒。食後にティーチャーズ。


いい天気、いい休みだった。イオンのお店でもビートルズのジグソーパズルを売っていた。何だか全体的に「ビートルズ推し」だったな。


2026年5月12日火曜日

落語『たがや』考

『たがや』という落語がある。こんな噺だ。

 

両国の川開きの日、両国橋は花火見物の客であふれかえっていた。そこを馬に乗った侍とたがや(桶のタガを締める職人)が、両側から無理に橋を渡ろうとした。やがて橋の真ん中で両者が行き会う。供侍が「道を開けろ」と言うが、無理。業を煮やして供侍はたがやの胸を突く。道具箱を落とす。その弾みに中に入っていた竹製の桶のタガが伸び、馬上の侍の笠を跳ね飛ばした。怒った供侍はたがやを屋敷に連れて行き、手討ちにしようとする。たがやは病気で寝たきりの母親のために必死で命乞いをするが、供侍は頑として聞かない。堪忍袋の緒が切れた、たがやの啖呵。切りかかってきた供侍の刀をたがやが奪う。たがやは、たちまち供侍二名を切って捨てた。観客の盛り上がりは最高潮に達する。最後の相手は馬上の殿様。殿様の槍に追い詰められるが、捨て身の誘いに殿様が乗った。たがやは身をかわし、槍の穂先を切り落とす。そして、飛び込みざま、殿様の首をはねた。首は勢い余って中天高く舞い上がる。すると、観客が声を合わせ、「たーがやー」。

 

サゲは花火の誉め言葉、「たまやー」の地口。夏の人気噺として、多くの落語家に演じられてきた。

もともとはたがやの首が飛ぶ話だったが、寄席の客が喜ぶ、今の形になったという。確かに侍の首が飛んだ方がカタルシスを得られるな。こうして噺は変わってゆくのだ。

この前、古本屋で四代目橘家圓蔵の速記を立ち読みした。圓蔵の演出では、たがやは酒に酔っていて、侍と行き会った時点で相手に絡み、啖呵を切っている。この辺、『首提灯』と同じだ。

だけど、これだと、たがやに対してシンパシーを感じることはできない。やはり、堪えに堪えた末の啖呵の方がしっくりくる。

ただ、この啖呵、「理不尽な権力に対するレジスタンス」という解釈でやると臭くなる。三代目桂三木助の型がこれに近かった。もっとも三木助は、臭くなる一歩手前で踏みとどまっていたが。

ここは、たがやの破れかぶれだろう。十代目金原亭馬生の啖呵は流暢ではなかったが、この「どうにでもしやがれ」感がびんびん伝わってきた。

啖呵の場面は、ただ早口でまくし立ててもウケない。学生時代の私がそうだった。福の家の稽古会で梅八さんは言った。「啖呵を早口でやることはない。言葉自体が早いんだ。かえってゆっくりやるといい」。目から鱗だったな。五代目柳家小さんも『大工調べ』の芸談の中で同じようなことを言っていた。

結局、この噺の主役は群衆だと思う。群衆の異様な盛り上がりによって、たがやも侍も後に引けなくなったのだ。そして、あの惨劇を演じてしまったのだ。

若き日の春風亭小朝もこの噺を得意にしていたが、群衆から「たがやコール」が起こる場面が売りだった。「たがやコール」に応えて、たがやが阪神の掛布みたいに刀を構えて見せ、笑いを取っていた。

桂小文治さんの『たがや』は人が死なない。供侍も殿様も川に放り込まれる。殿様は馬に蹴られて舞い上がり、そして「たーがやー」。やさしい『たがや』。これも一つの優れた演出だと思う。

私は、返り血を浴びたたがやと槍で対峙する殿様を、折しも上がった花火が鮮やかに浮かび上がらせた、という演出を採った。これは馬生の型だ。馬生の噺は絵画的なのだ。

小朝が前座の時、トリの馬生に「まだ花火の噺が出ていません」という形で『たがや』をリクエストしたという。馬生の『たがや』はいい。

 

『たがや』がいかにも落語なのは、殿様の首が飛んで終わり、というところだ。こんなことが実際にあったら大事件になる。ただでは済まない。殿様の家は、「町人に首を切られた」からには、たとえ後継ぎがいようと「お家断絶」ということになるだろう。遺児が、たがやを仇として付け狙うかもしれない。

それより前に、侍を三人殺したたがやを権力側は逃しはすまい。そんなことを許していたら、秩序が保てなくなる。躍起になってたがやを探し出し、極刑に処するだろう。

「誰も幸福にしない」噺だ。観客だけがカタルシスを消費する。彼らが奉行所に聞かれたら、ためらいもせず「たがやがやった」と証言するのではないだろうか。

そう考えると、なかなか怖い噺である。 

2026年5月10日日曜日

またもや夏日の畑仕事

朝、トースト、ウィンナーソーセージ入りスクランブルエッグ、紅茶、苺ジャム。

掃除、洗濯をして、コーヒーを淹れ、NHK『自然百景』『小さな旅』『ディアにっぽん』を観ながら飲む。

今日は父と畑仕事。下準備をして、苗を買いに行く。ジョイフル山新で、茄子、ピーマン、トマトの苗を買う。この前植えたのが、虫に食われて全滅したので、農薬も一緒に買う。除草剤も買おうとしたが、父のお気に入りがなく、小川の松坂屋に回る。

昼前に帰る。お昼は次男が作った冷やし中華。

午後から苗植え。父の指示で肥料を撒き、マルチを張り、苗を植える。1時間程で作業は終わった。その後、畑、家の周りの草刈り。これも1時間程。夏日で暑い。畑の時は不思議に暑くなる。

その間に妻が帰って来る。

畑から上がって、麦茶を飲む。お茶うけは、長男が散歩の途中で買ってきた、高浜銘菓「恋瀬川」。労働の後の甘味は旨い。

妻と夕方ビール。

夕食は、ピザ、フィッシュ・アンド・チップス、コブサラダでビール、赤ワイン。食後にティーチャーズ。


長男が図書館で借りてきた、滝平二郎『随筆集 母のくれたお守り袋』を読んでいる。

滝平二郎、木版画家、きりえ作家。郷土の偉人であり、高校の大先輩である。私が小学生の頃、朝日新聞日曜版のトップページは、この人のきりえだった。その他に、斎藤隆一の『八郎』『ベロだしチョンマ』『もちもちの木』『花さき山』などの挿絵で知られた。その郷愁を誘う画風は大人気を博した。

滝平は昭和17年召集令状を受け取り、沖縄で俘虜となり終戦を迎えた。私の伯父も、昭和17年に召集され、彼と同じ水戸東部第37連隊に入隊した。伯父はビルマに遣られ、終戦の1カ月前、雨季の密林で溺死した。滝平は沖縄の山中をさ迷い歩いた末に、生き延びた。両者の違いは、ほんの紙一重でしかない。

滝平は、終生「戦争反対」を貫いた。そして、今、「戦争反対」を唱えると「反日」と言われる日常を、私たちは生きている。

2026年5月9日土曜日

今日の日記

朝、カレー、納豆。

朝イチでO医院へ行き、血圧の薬を出してもらう。妻は仕事へ行った。

9時頃帰宅。父の運転手をしてJA旭の直売所へ。川崎の従姉の所にメロンを送る。この前とは打って変わっていい天気。人が多い。高価なメロンが飛ぶように売れている。

昼前に帰る。昼は次男が作った、ツナと大根おろしの和風パスタ。さっぱりして旨い。

14時頃、妻が仕事から帰る。少しまったりしていると、猫がいないのに気づく。念のため母屋に行ってみる。すると、裏のサッシが猫一匹分開いている。脱走した。

辺りを捜索する。外にいた。私の顔を見ると縁の下に逃げ込む。

私と妻、息子二人で30分かけて捕獲。最近、脱走する回数は減ったが、その分、捕まえるのに手こずるようになったな。

妻は実家にお泊りに行った。私は夕方ビールを飲む。

柿の若葉。

ジャガイモが大分大きくなった。

この時期、この木にはこんな花が咲く。

夕食は、冷凍唐揚げ、冷凍シューマイ、妻が買ってきた揚げ出し豆腐とイカ焼き、父が買ったエシャレットで燗酒。食後、生ハムとチーズで赤ワイン。

寝しなにティーチャーズ。


『はなし家稼業』読了。奥付を見ると、1993年の初版第五刷。けっこう売れたんだね。円之助は1985年に亡くなっているから、死後に出版されたことになる。

巻末に年譜があるが、これが切ない。昭和40年、三代目三遊亭円之助を襲名して真打に昇進するも昭和42年に師小圓朝が脳出血で倒れ、翌年には小圓朝夫人が他界。昭和46年に小圓朝が亡くなるまで、円之助が介護したらしい。昭和51年には兄弟子朝之助が死ぬ。昭和51年に朝ドラ「いちばん星」に出演、役者として売れるが、昭和55年に自身が脳内出血で倒れる。翌年に復帰を果たすも、昭和59年に弟子の朝三が交通事故死。そして、昭和60年6月26日、心筋梗塞を起こし、「サヨウナラ」の一言を残してこの世を去った。享年56歳。

この年譜の末尾に、長男が「十代目柳家小三治に入門し、さんぽとなる」と、最後に薄日が差すような記述があるが、実はこの2年後、酒のしくじりがもとで、彼は破門になってしまった。それでも、その後、円之助の弟弟子、六代目三遊亭園橘に再入門し、父の名、円之助、さらには大師匠の名跡、四代目三遊亭小圓朝を襲名。波瀾万丈の末のハッピーエンドと思いきや、2018年12月、インフルエンザから肺炎に罹り、49歳で亡くなってしまう。

どうして彼らは、こう次々と不運に見舞われなければならなかったのだろう。同情の涙を禁じ得ない。

円之助の落語を聴こうとネットで検索したが、出てこない。昔買ったCD-ROMの中に『子別れ(上)』があった。小圓朝の弟子らしい、本寸法の落語だった。

 

2026年5月6日水曜日

土浦散歩

 朝、御飯、味噌汁、ハムステーキ、小女子。

細々したことをやって、『風、薫る』を観ながらコーヒーを淹れて飲む。

妻は仕事。

私は連休最終日でもあるので、土浦散歩と洒落込んだ。

モール505近くの駐車場に車を止めて歩き出す。




亀城公園に入る。結構人がいたな。




大手通や中城通をぶらぶらしていると、お昼時になった。

亀屋が開いたので、入店。久し振りに亀屋名物かつ丼を食べよう。


かつ丼、1300円。メニューのほとんどが1000円台半ばになった。このご時世、致し方ないが、もうおいそれと入れる店じゃなくなったなあ。亀屋の味をじっくり味わう。旨し。

裏道を駅へと向かう。







れんが堂書店に入り、古本を物色。三遊亭円之助『はなし家稼業』を買う。550円。

駅で志ち乃のどら焼きをお土産に買って帰る。

久し振りの土浦散歩。お気に入りの建物がいくつかなくなっていた。寂しいけど、それが街が生きているということなんだ。曇り空で、光線の具合はよくなかったが、暑くもなく、歩きやすかったよ。

14時頃帰宅。おやつにどら焼きを食べる。

妻と夕方ビール。

夕食は、妻と次男で揚げた天ぷら、フランクフルトソーセージで燗酒。食後に完熟メロン、生ハムと合わせる。そりゃあ旨いよな。

円之助の『はなし家稼業』まだ読み始めだが、師匠小圓朝の話など興味深い。それに文体がきちんと書き言葉になっていて、随筆のような味がある。面白い。