ページビューの合計

2026年5月20日水曜日

【黒門町の言葉】「何でも芸だよ」

柳家小三治が八代目桂文楽についてこんなことを言っている。

 

「(小さんに入門して大師匠の文楽の家に挨拶に連れて行かれた時のこと、文楽が)「何でも芸だよ」ってなことを言ったんです。この言葉を今でもずっと覚えていますし、その通りだなと思います。「何でも芸だよ。怖いなったと思ったらそれが芸だ。いいなっと思ったらそれが芸だ」。とにかく何か思ったらそれが芸だってことを二、三度おっしゃいましたよね。教わったのはそれだけですね。ええ。だから、何かを感じたとき、感動したとき、何かに出会ったとき、それが全部芸だ。つまり生きていることすべてがそのまま芸だと言ったんではないかなと、だんだん自分なりに理解を深めていきましたね。」(『小学館CDブック 八代目桂文楽』より)

 

すごい話だな。文楽もすごいし、小三治もすごい。「生きていることすべてがそのまま芸」。ここには「芸」というものの本質が詰まっていると思う。

生きる中で起きる、心の揺れ、動き、そのひとつひとつを丁寧に拾い、自分の中に大切にしまっておく。そしてそれを表現に結び付ける。いや、むしろ、生きる中で起きる、心の揺れ、動き、そのひとつひとつを丁寧に拾い、自分の中に大切にしまっていこうとする態度そのものが、芸なのではないか。

ここでは、芸は技術ではない。生きる態度なのだ。

 

文楽は若い頃、四代目古今亭志ん生に自分の女をとられたことがある。志ん生にそのことを打ち明けられたとき、文楽は、激しい嫉妬、屈辱、敗北感に打ちのめされた。一方で、「この気持ちは『刀屋』に使えるぞ」と思ったという。

文楽のしたたかさ、芸に対する貪欲さを示すエピソードだ。だが、それだけではない。文楽は、この体験を『刀屋』という落語に使おうとしたことで、志ん生と女からの裏切りによる負の感情から解放されたのだ。

どんな不運に見舞われても、どんなに負の感情にとらわれても、それを芸にしようとした時点で、その苦しみから距離を置くことができる。そして、それらひとつひとつを丁寧に拾いあげ吟味することで、その苦しみは客観化され相対化されていくだろう。その態度は、結局、自分を守ることにもなる。そう考えることもできる。

 

文楽が、後に三代目三遊亭圓馬になる立花家左近のもとに稽古に通っていた頃のこと。彼がぼんやり庭の池を眺めていると、左近にいきなり後ろから背中を押された。文楽(当時は小莚)は「あっ」と言って池に転落し濡れネズミ。それを見て、左近はからりと笑って言った。

「小莚、今の『あっ』はいい間だったぞ。忘れるな」

文楽が「何でも芸だ」と思ったのはこの時かもしれない。 

2026年5月17日日曜日

新緑の季節

朝、パン、魚肉ソーセージ卵炒め、紅茶、苺ジャム。

コーヒーを淹れて、NHK『自然百景』『小さな旅』『ディアにっぽん』を観ながら飲む。

いい天気。布団を干す。

裏庭の草刈り。草刈り機の燃料がもつまで。1時間半ぐらいやる。目も痛いほどの新緑。

ボイラーの灯油が少なくなっていたので買いに行く。5000円で40ℓしか入らない。高くなったな。まあ原油が入ってこないのではしょうがない。トランプさんも余計なことをしてくれたもんだ。

昼は妻と次男で作った、ほうれん草とベーコン、しめじが入った和風パスタ。旨し。

買い物に出る。ついでに田圃を見てくる。苗が風にそよぐ。世界は美しい。

おやつに義妹の京都土産の抹茶プリンを食べる。濃厚、旨し。アイスコーヒーを冷たい牛乳で割って飲む。

夕食は父が「鰹が食いたい」と言って買ってきた刺身、妻が作ったポテトサラダ、ふきの煮物、そら豆の茹でたので燗酒、酒はセイミヤで安売りをしていた黒松剣菱。旨いねえ。

食後にティーチャーズ。


作曲家でジャズピアニストの大野雄二氏が先日亡くなった。「ルパン三世」や「小さな旅」のテーマ曲の作者として知られる。氏を偲んでCDを聴く。洒落た、それでいて日本的な旋律。バンドメンバー全員で楽しんでいるような演奏。素晴らしい。大野雄二氏のご冥福を祈る。

2026年5月16日土曜日

S君とお笑いライヴに行く

朝、御飯、味噌汁、昨夜の残りのコロッケ。コロッケは味噌汁にダイブ。コロモが汁に溶けて旨いのよ、これが。

掃除をして、コーヒーを淹れて、『風、薫る』を観ながら飲む。

妻は仕事。スタン・ゲッツを聴きながら、リチャード・ブローティガンを読む。

11時過ぎ、長男に駅まで送ってもらう。今日は親友S君と水戸に行くのだ。

昼過ぎ、水戸着。S君と駅南のココ壱番屋で昼食。私はほうれん草カレーにする。初めて食べたが、旨い。


ぶらぶらと県民文化センターまで歩く。


いい天気。気持ちいい。

県民文化センターで、ヒロ松元のライヴを観る。私はこの人をお江戸広小路亭で観ている。あれは立川流の興行で、彼は一人コントで出ていた。

今は、日本国憲法ネタや権力批判ネタで知られている。当然、そのライヴは党派性が強くなる。客層もお笑いファンというより、そっち系の客が多い。笑芸というより、笑いの多い講演会、あるいはエンターテインメント化されたアジテーション、とも言える。

30分ほどのネタを3本、それにアンコールを入れて約2時間。これを一人で演じて、しかも客をそらさない。大したもんだんあ。口調はビートたけしの影響が強いか。

ライヴ終了後、S君と一杯やりに駅まで戻る。ここは水戸で勤めたことのあるS君にお任せ。16時過ぎから、北口近くの居酒屋「てんまさ」で飲む。焼き鳥、鰹の刺身、めひかりの唐揚げ、納豆と大葉の天ぷらなどで生ビール、酒。

酒は十王蔵、霧筑波純米。旨し。あん肝もたまらん。

昔は夜を徹して飲んだこともあったが、我々ももう歳だ。二人で五合も飲めば充分。18時には帰りの電車に乗った。

駅には妻が迎えに来てくれる。S君を家まで送って帰る。

皆が夕食を食べているところでビール、寝しなにティーチャーズを飲む。


付記。

私がお江戸広小路亭で観たのは、ヒロ松元ではなくモロ師岡でした。

こういう思い違いをよくする。ちゃんと確かめてから書けよ、ですな。反省しきりです。

2026年5月13日水曜日

つくば、ペニー・レインに行った

朝、御飯、味噌汁、ハムステーキ、納豆。

息子たちを駅に送り、『風、薫る』を観ながらコーヒーを飲む。

今日はお休み。久し振りに妻と二人で出かけることにする。

久々のつくばイオン。1時間程自由行動。私は本屋で、『リチャード・ブローティガン』(藤本和子/ちくま文庫)、『風に吹きはらわれてしまわないように』(リチャード・ブローティガン/ちくま文庫)を買った。

お昼は妻と二人、イオンに隣接するペニー・レインに行く。

妻は何回かここで食べたことがある。ビートルズ関係のグッズでいっぱい。ビートルズファンには天国のような所だ。入り口から『アビイ・ロード』のジャケットがお出迎え。


ちゃんと「IF 28」ナンバーのフォルクスワーゲン・ビートルがある(前向きだけどね)。

店内はイギリスのパブを意識したような造り。続々とお客が入る人気店だ。

ハンバーグとスパゲティ・ボロネーゼをオーダー。これにパンの食べ放題がつく。





しっかりとしたお味。旨し。パンもまた旨いねえ。本場のイギリス料理をより数倍旨いと思う(もっともペニーレインは栃木県の店だ)。

ずっとビートルズの曲がかかっていた。それも、初期のシブい曲が多かったな。「アスク・ミー・ホワイ」「アイム・ア・ルーザー」「ユー・キャント・ドゥ・ザット」・・・、たまらん。

途中、カスミに寄って帰る。

買ってきた本を読みながら、昼寝をしたり、CD聴いたり。『風に吹きはらわれてしまわないように』(旧題『ハンバーガー殺人事件』)を発表した2年後、リチャード・ブローティガンは拳銃自殺を遂げる。『リチャード・ブローティガン』にはその辺りのことが、克明に書かれている。今回は小説と評伝を同時に読み進めている。まだ読み始めだが、どんどん引き込まれていく。

夕方、にわか雨。

夕食は、豚ニラ炒め、茄子とピーマンの味噌炒め、オニオンサラダで酒。食後にティーチャーズ。


いい天気、いい休みだった。イオンのお店でもビートルズのジグソーパズルを売っていた。何だか全体的に「ビートルズ推し」だったな。


2026年5月12日火曜日

落語『たがや』考

『たがや』という落語がある。こんな噺だ。

 

両国の川開きの日、両国橋は花火見物の客であふれかえっていた。そこを馬に乗った侍とたがや(桶のタガを締める職人)が、両側から無理に橋を渡ろうとした。やがて橋の真ん中で両者が行き会う。供侍が「道を開けろ」と言うが、無理。業を煮やして供侍はたがやの胸を突く。道具箱を落とす。その弾みに中に入っていた竹製の桶のタガが伸び、馬上の侍の笠を跳ね飛ばした。怒った供侍はたがやを屋敷に連れて行き、手討ちにしようとする。たがやは病気で寝たきりの母親のために必死で命乞いをするが、供侍は頑として聞かない。堪忍袋の緒が切れた、たがやの啖呵。切りかかってきた供侍の刀をたがやが奪う。たがやは、たちまち供侍二名を切って捨てた。観客の盛り上がりは最高潮に達する。最後の相手は馬上の殿様。殿様の槍に追い詰められるが、捨て身の誘いに殿様が乗った。たがやは身をかわし、槍の穂先を切り落とす。そして、飛び込みざま、殿様の首をはねた。首は勢い余って中天高く舞い上がる。すると、観客が声を合わせ、「たーがやー」。

 

サゲは花火の誉め言葉、「たまやー」の地口。夏の人気噺として、多くの落語家に演じられてきた。

もともとはたがやの首が飛ぶ話だったが、寄席の客が喜ぶ、今の形になったという。確かに侍の首が飛んだ方がカタルシスを得られるな。こうして噺は変わってゆくのだ。

この前、古本屋で四代目橘家圓蔵の速記を立ち読みした。圓蔵の演出では、たがやは酒に酔っていて、侍と行き会った時点で相手に絡み、啖呵を切っている。この辺、『首提灯』と同じだ。

だけど、これだと、たがやに対してシンパシーを感じることはできない。やはり、堪えに堪えた末の啖呵の方がしっくりくる。

ただ、この啖呵、「理不尽な権力に対するレジスタンス」という解釈でやると臭くなる。三代目桂三木助の型がこれに近かった。もっとも三木助は、臭くなる一歩手前で踏みとどまっていたが。

ここは、たがやの破れかぶれだろう。十代目金原亭馬生の啖呵は流暢ではなかったが、この「どうにでもしやがれ」感がびんびん伝わってきた。

啖呵の場面は、ただ早口でまくし立ててもウケない。学生時代の私がそうだった。福の家の稽古会で梅八さんは言った。「啖呵を早口でやることはない。言葉自体が早いんだ。かえってゆっくりやるといい」。目から鱗だったな。五代目柳家小さんも『大工調べ』の芸談の中で同じようなことを言っていた。

結局、この噺の主役は群衆だと思う。群衆の異様な盛り上がりによって、たがやも侍も後に引けなくなったのだ。そして、あの惨劇を演じてしまったのだ。

若き日の春風亭小朝もこの噺を得意にしていたが、群衆から「たがやコール」が起こる場面が売りだった。「たがやコール」に応えて、たがやが阪神の掛布みたいに刀を構えて見せ、笑いを取っていた。

桂小文治さんの『たがや』は人が死なない。供侍も殿様も川に放り込まれる。殿様は馬に蹴られて舞い上がり、そして「たーがやー」。やさしい『たがや』。これも一つの優れた演出だと思う。

私は、返り血を浴びたたがやと槍で対峙する殿様を、折しも上がった花火が鮮やかに浮かび上がらせた、という演出を採った。これは馬生の型だ。馬生の噺は絵画的なのだ。

小朝が前座の時、トリの馬生に「まだ花火の噺が出ていません」という形で『たがや』をリクエストしたという。馬生の『たがや』はいい。

 

『たがや』がいかにも落語なのは、殿様の首が飛んで終わり、というところだ。こんなことが実際にあったら大事件になる。ただでは済まない。殿様の家は、「町人に首を切られた」からには、たとえ後継ぎがいようと「お家断絶」ということになるだろう。遺児が、たがやを仇として付け狙うかもしれない。

それより前に、侍を三人殺したたがやを権力側は逃しはすまい。そんなことを許していたら、秩序が保てなくなる。躍起になってたがやを探し出し、極刑に処するだろう。

「誰も幸福にしない」噺だ。観客だけがカタルシスを消費する。彼らが奉行所に聞かれたら、ためらいもせず「たがやがやった」と証言するのではないだろうか。

そう考えると、なかなか怖い噺である。 

2026年5月10日日曜日

またもや夏日の畑仕事

朝、トースト、ウィンナーソーセージ入りスクランブルエッグ、紅茶、苺ジャム。

掃除、洗濯をして、コーヒーを淹れ、NHK『自然百景』『小さな旅』『ディアにっぽん』を観ながら飲む。

今日は父と畑仕事。下準備をして、苗を買いに行く。ジョイフル山新で、茄子、ピーマン、トマトの苗を買う。この前植えたのが、虫に食われて全滅したので、農薬も一緒に買う。除草剤も買おうとしたが、父のお気に入りがなく、小川の松坂屋に回る。

昼前に帰る。お昼は次男が作った冷やし中華。

午後から苗植え。父の指示で肥料を撒き、マルチを張り、苗を植える。1時間程で作業は終わった。その後、畑、家の周りの草刈り。これも1時間程。夏日で暑い。畑の時は不思議に暑くなる。

その間に妻が帰って来る。

畑から上がって、麦茶を飲む。お茶うけは、長男が散歩の途中で買ってきた、高浜銘菓「恋瀬川」。労働の後の甘味は旨い。

妻と夕方ビール。

夕食は、ピザ、フィッシュ・アンド・チップス、コブサラダでビール、赤ワイン。食後にティーチャーズ。


長男が図書館で借りてきた、滝平二郎『随筆集 母のくれたお守り袋』を読んでいる。

滝平二郎、木版画家、きりえ作家。郷土の偉人であり、高校の大先輩である。私が小学生の頃、朝日新聞日曜版のトップページは、この人のきりえだった。その他に、斎藤隆一の『八郎』『ベロだしチョンマ』『もちもちの木』『花さき山』などの挿絵で知られた。その郷愁を誘う画風は大人気を博した。

滝平は昭和17年召集令状を受け取り、沖縄で俘虜となり終戦を迎えた。私の伯父も、昭和17年に召集され、彼と同じ水戸東部第37連隊に入隊した。伯父はビルマに遣られ、終戦の1カ月前、雨季の密林で溺死した。滝平は沖縄の山中をさ迷い歩いた末に、生き延びた。両者の違いは、ほんの紙一重でしかない。

滝平は、終生「戦争反対」を貫いた。そして、今、「戦争反対」を唱えると「反日」と言われる日常を、私たちは生きている。

2026年5月9日土曜日

今日の日記

朝、カレー、納豆。

朝イチでO医院へ行き、血圧の薬を出してもらう。妻は仕事へ行った。

9時頃帰宅。父の運転手をしてJA旭の直売所へ。川崎の従姉の所にメロンを送る。この前とは打って変わっていい天気。人が多い。高価なメロンが飛ぶように売れている。

昼前に帰る。昼は次男が作った、ツナと大根おろしの和風パスタ。さっぱりして旨い。

14時頃、妻が仕事から帰る。少しまったりしていると、猫がいないのに気づく。念のため母屋に行ってみる。すると、裏のサッシが猫一匹分開いている。脱走した。

辺りを捜索する。外にいた。私の顔を見ると縁の下に逃げ込む。

私と妻、息子二人で30分かけて捕獲。最近、脱走する回数は減ったが、その分、捕まえるのに手こずるようになったな。

妻は実家にお泊りに行った。私は夕方ビールを飲む。

柿の若葉。

ジャガイモが大分大きくなった。

この時期、この木にはこんな花が咲く。

夕食は、冷凍唐揚げ、冷凍シューマイ、妻が買ってきた揚げ出し豆腐とイカ焼き、父が買ったエシャレットで燗酒。食後、生ハムとチーズで赤ワイン。

寝しなにティーチャーズ。


『はなし家稼業』読了。奥付を見ると、1993年の初版第五刷。けっこう売れたんだね。円之助は1985年に亡くなっているから、死後に出版されたことになる。

巻末に年譜があるが、これが切ない。昭和40年、三代目三遊亭円之助を襲名して真打に昇進するも昭和42年に師小圓朝が脳出血で倒れ、翌年には小圓朝夫人が他界。昭和46年に小圓朝が亡くなるまで、円之助が介護したらしい。昭和51年には兄弟子朝之助が死ぬ。昭和51年に朝ドラ「いちばん星」に出演、役者として売れるが、昭和55年に自身が脳内出血で倒れる。翌年に復帰を果たすも、昭和59年に弟子の朝三が交通事故死。そして、昭和60年6月26日、心筋梗塞を起こし、「サヨウナラ」の一言を残してこの世を去った。享年56歳。

この年譜の末尾に、長男が「十代目柳家小三治に入門し、さんぽとなる」と、最後に薄日が差すような記述があるが、実はこの2年後、酒のしくじりがもとで、彼は破門になってしまった。それでも、その後、円之助の弟弟子、六代目三遊亭園橘に再入門し、父の名、円之助、さらには大師匠の名跡、四代目三遊亭小圓朝を襲名。波瀾万丈の末のハッピーエンドと思いきや、2018年12月、インフルエンザから肺炎に罹り、49歳で亡くなってしまう。

どうして彼らは、こう次々と不運に見舞われなければならなかったのだろう。同情の涙を禁じ得ない。

円之助の落語を聴こうとネットで検索したが、出てこない。昔買ったCD-ROMの中に『子別れ(上)』があった。小圓朝の弟子らしい、本寸法の落語だった。