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2010年8月28日土曜日

草津旅行


両親、妻子を連れて、草津に1泊旅行に行く。
行きは、常磐・外環・関越のルート。
渋川市内で昼食。お母ちゃんが一人でやってる普通の食堂に入ったのだが、「いらいっしゃい」もなければ「お待ち遠様」もなし。ざるうどんは、まるでスーパーで買ってきたうどん玉。腰も何にもない。ここまで外れれば、かえって気持ちがいい。
ホテルは、「じゃらん」で見つけた。ネットの口コミでは「新しくないけど、掃除が行き届いていて感じがいい。料理は特筆すべきものはない。子どもを遊ばせる設備は充実している。」とあった。その通り。ネットの口コミ、恐るべし。
想定外だったのは、ちょうどこの日、天皇・皇后両陛下がこのホテルにお泊まりになったことだ。警備の警官は1800人だという。まあものものしかった。おかげで両親と長男のテンションは上がりまくり。妻は父に呼び出され、お出掛けになる両陛下のご尊顔を拝することになったという。長男は皇后陛下に手を振って頂き、「写真は撮れなかったけど、心のシャッターは押したよ」などと洒落たことを言っていた。
ホテルではプール、ビリヤード、迷路など思い切り遊ぶ。次男はビリヤードをやったのがよほど嬉しかったのか、一生懸命回らぬ舌で祖父母に説明していた。
夜は湯畑に行く。足湯が熱い熱い。ライトアップされた湯畑は幻想的でよかった。
2日目は、水沢うどんでうどんリベンジ。旨かった。水沢観音にお参りし、おもちゃ博物館を見物。北関東自動車道で帰路につく。
写真は草津のホテル。黒塗りの車が並ぶものものしい雰囲気。

2010年8月19日木曜日

向ヶ丘遊園


大学の最寄り駅は、小田急線の向ヶ丘遊園だった。

駅の南口から多摩丘陵の上にある校舎まで、徒歩で20分余り。最後は「心臓破り」と呼ばれる急坂があった。いやあこれには鍛えられた。「1年と4年では足の太さが違う」という俗説があったほどだ。

当時はまだ遊園地があったし、駅から遊園地を結ぶモノレールもあった。

写真は、そのモノレールの近くにあったマーケット。「戦後」の匂いがしますなあ。

2010年8月14日土曜日

吉川潮『戦後落語史』

著者は吉川潮。茨城県出身というのも親近感を感じたし、奥さんの柳家小菊は大好きな芸人さんだ。ファンとまでは言わないが、落語に関する物書きとしては気になる存在だった。
『突飛な芸人』『江戸前の男』『浮かれ三亀松』は好きだった。しかし、『芸能鑑定帖』辺りから違和感を持ち始めた。
立川談志及び立川流に対する手放しの賛美。そしてそれを自らが立川流の顧問である以上当然だと言う。確かに人間である以上、完全な客観性など持ち得まい。ただ、評論・批評を名乗るからには、常に自らの客観性を意識するというのが誠実な態度ではないか、と私は思う。それをハナからそう言われてしまうと、正直鼻白む。
そんなわけで、しばらく彼の著作からは遠ざかっていたが、『戦後落語史』というタイトルで「ちょっと読んでみるか」という気になった。まさか通史ともなれば、そうそう無茶もできないだろう。資料としても使えるかもしれない。そう思って遅ればせながら読んでみたのだ。
さらっと読む。いつもの調子だ。
あとがきにこうあった。担当からは吉川史観で書いてくれと言われた。だから「立川流史観」になっている。それは自分が談志シンパで立川流顧問だから。当然、談志一門についての記述が他の一門より多いのも仕方がない。
それなら『吉川流戦後落語史』というタイトルにして欲しかった。
芸術協会に関して言えば、十代目桂文治・三笑亭夢楽・二代目桂小南・四代目春風亭柳好・三遊亭小圓馬辺りの記述に乏しい。戦後の芸術協会を支えた彼らを、もうちょっと評価してもいいだろう。
現在の落語協会寄席派のエース、柳家さん喬・柳家権太楼については完全無視。当代きっての名人柳家小三治についても通り一遍のことしか書いていない。
金原亭馬治の十一代目馬生襲名の記事では、本来なら一番弟子の伯楽が継ぐべきだが、彼には人気も実力も人望もなかった、というようなことを書いている。あるブログにも書いてあったが、これは、伯楽が『落語協団騒動記』で談志を非難したことへの意趣返しだろう。こういう狭量さは著者の株を下げるだけなのに、残念だ。
八代目桂文楽や三代目桂三木助を賛美する一方で、初代柳家権太楼や三代目三遊亭金馬を露骨に嫌った安藤鶴夫を、立川談志は痛烈に批判している。その安藤鶴夫と著者が同じ轍を踏まないことを私は祈る。
著者の立ち位置は鮮明だし、歯に衣を着せぬ論調も痛快に感じる人には魅力的だろう。だが、私はもう少し距離を置かせてもらう。そして、そのように感じる人も私だけではあるまい。

2010年8月3日火曜日

池袋演芸場8月上席昼の部


池袋演芸場、8月上席昼の部。柳家小三治主任。超満員。
前座、市也、「牛ほめ」。柳亭市馬の弟子か。
二つ目、柳家ろべえ。喜多八の弟子。師匠譲りのダルな雰囲気。ネタは何やったかまるで覚えていない。何でかな、達者な印象があったのに。
ホームランの漫才。馬鹿ウケ。球児好児、のいるこいるなど漫才の重鎮をネタにする。特に、あした順子ひろしが出色。「馬鹿にしてるだろ」とのツッコミは入るが、何となくリスペクトを感じる。いいぞ、ホームラン。
柳家禽太夫は「替わり目」を丁寧に演じる。
柳家福治、「町内の若い衆」。一頃、その容貌から「たぬき」ばかり演っていた。その当時は正直、あまり好きなタイプではなかった。あの頃から、少し痩せたかな。いい出来だったと思う。
花島世津子の手品。若くはないが、かわいらしい。客席がなごむ。
柳家喜多八、「へっつい幽霊」。トリネタでもおかしくない。ダルな雰囲気とは裏腹に攻めてきたなあ。いいよお。情けない幽霊がいい。
続いて柳家小里んが「碁泥」。これもいい。柳家本流の味。容貌が五代目小さんに似てきたなあ。
ここで鏡味仙三郎社中の大神楽。よく見えないのがつらい。
仲トリは林家正蔵、「子猫」。鳴り物をちょっと入れてしっとりと演じる。襲名当時は水増し感がしたものだが、精進していると思う。枕で真打ち昇進試験の話をしていた。正蔵がこぶ平で受けた試験では、こぶ平・きん歌(現三遊亭歌之介)が合格、古典の本格派である志ん八(故古今亭右朝)が落ちて物議をかもし出した。正蔵は「小三治師匠が推してくれた」と言っていたが、彼は色々な人に引き立てられていたんだなあ。
くいつきは柳家三三。またしても「高砂や」。この中に出てくる「あっしは西洋料理がでえ好きなんですよ。特にハムカツ。」「もっと上等な料理が出るよ。」「じゃあヒレカツ?」「カツから離れなよ。」というくすぐりが好き。思わず、帰りにハムカツ買っちゃったよ。
柳家さん喬が「棒鱈」を出してくる。得意ネタだ。これを私は旧池袋でよく聴いた。二つ目当時から上手かった。昔からかちっとした楷書の芸だったが、今は風格が漂っている。枕で「私のトリの時はこの三分の一ですよ。」と言っていたが、何の何の、寄席派の第一人者だ。今が聴き時の一人だと思う。
膝代わりは林家正楽の紙切り。「相合い傘―ミッキーミニーバージョン」という難物を見事に切った。
そしてお待ちかね、柳家小三治。枕では冷房に関する不満をひとくさり。その後、エチオピアの日焼けの話へとつながってゆく。いつものことだが、行きつ戻りつしながら、ひたすら脇道に入っていくが如き随談がいい。司馬遼太郎の随筆に通じる。やがて浅草奥山の話題、若い頃、古着屋で扇子の紋の紋付きを値切って買った思い出から、見せ物小屋へとつなぎ、「一眼国」へと入っていく。ネタとしては、あまり力を入れたものではない。体調も万全とは言えなさそう。でも、何と言っても小三治だ。現在生で聴ける、(もちろん好みは人それぞれだが)最も良質な東京落語を演じる落語家だと私は思う。今はそれを聴くことが出来る喜びをかみしめよう。
ただなあ、随分敷居が高くなっちゃったなあ。寄席に行くといつも「小言念仏」を演っていた30年前が懐かしいよ。小三治の責任じゃないのは十分、分かっているけどね。

2010年8月1日日曜日

そうだ、池袋へ行こう


1日フリー。柳家小三治が池袋でトリをとることが分かっていたので、決意する。そうだ、池袋へ行こう。小三治を聴きに行こう。
今日は町歩きはなし。まっつぐ池袋に向かう。
柳家小袁治のHPのよると、柳家小三治がトリを務める寄席が連日超満員なのだそうだ。
NHKの特集番組への出演、その後のドキュメンタリー映画の公開以後、市場における小三治株は高騰している。古今亭志ん朝が死に、立川談志が老いた今、最も良質な東京落語を聴かせてくれるのが、小三治なのだ。無理もない。
富士そばで冷やしたぬきそばをかっ込み、行列に並ぶ。帽子を被り、水を用意し、タオルを首に巻く。熱中症対策は万全だ。1時間前なのに、結構な行列。しばらく並んでいると、席亭さんが「ここは立ち見です。かなりぎゅうぎゅう詰めですよ。」言う。そうなのか。でも連れはいないし、今日を逃したら、いつ小三治が聴けるか分からない。入れればよしということにする。今日の最重点目標は小三治を聴くことにあるのだ。
列に並びながら辺りを見渡す。私は30年前、大学時代、旧池袋演芸場によく行った。角にあるケンタッキーフライドチキンは、当時、吉野家で、よくそこで腹ごしらえをしたものだ。旧演芸場は現在の向かいにあった。雑居ビルの2階だか3階だかにあり、当時としても珍しい畳敷きの席だった。その頃は並んだことなどなかったなあ、と感慨にふける。
そうこうするうちにチケットを購入。その際も「立ち見ですけどいいですね。」と念を押された。
客席にはいると、本当にぎゅうぎゅう詰め。私は真ん中のいちばん後ろに立っていた人の前の床に座る。正座をしないと高座は見えない。まあいい。覚悟は出来ている。
小三治は随談風のまくらをふった後、「一眼国」を演った。まくらは相変わらず面白かったが、自分の思いと口から出る表現にギャップがあったらしい。猛暑で体調も万全とはいかなかったようだ。でも、私にとっては至福の30分間でしたな。
10年ほど前、同じ池袋演芸場で小三治の「一眼国」を聴いた。その時は開演と同時ぐらいに着いたのだが、混んではいたものの十分に座ることが出来た。志ん朝のトリの時もそうだったし、30年前の談志がトリの時などは、前座が上がる頃に行けば好きな所に座ることが出来たものだ。
10年前と同じ演者、同じ演目でこうも状況が違うものかねえ。需要が高ければ、市場での価値はとてつもなく上がる。資本主義の典型を見る感じでした。
こういう一点集中主義的傾向は、これからも続くんでしょうねえ、きっと。
― 寄席の感想は後日書くことにします。