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2019年7月28日日曜日

留守番の休日

金曜日の晩は、仕事仲間と石岡で飲む。
ヨット食堂からバードランドという黄金コース。
旨い酒が飲めた。

昨日は台風が接近しつつある、不安定な天気。
妻が仕事、長男が学校で、次男と二人で留守番。
図書館で借りた、中村文則のエッセー集『自由思考』読了。作家が委縮をしてはいけないという覚悟が見て取れる。こういう意見表明には、親衛隊やら突撃隊やらのような輩がわいてきて相当な攻撃を加える、といった空気が蔓延しているけど、そもそもそっちの方がまともじゃないのだということを、はっきりさせておこう。
昼は次男が作ったざるラーメンを食べる。
前山の山百合が満開を迎える。いよいよ夏本番。




昼過ぎ、妻と長男が帰って来る。
妻と次男は午後から妻の実家に行く。お祭りがあって、泊りで見物をするのが恒例になっている。長男は家に籠って勉強をしたいというので、今年は長男と留守番。
夕食は、コロッケ、串カツ、シューマイでビール。ウィスキーを少し飲む。
ビートルズ・アンソロジーのDVD、古今亭志ん朝の『船徳』を観る。

今日は長男と二人で朝食。御飯、味噌汁、昨夜の残りの串カツとシューマイ、納豆。
午前中、雨。長男は勉強。
私はビートルズ・アンソロジーと古今亭志ん朝の『締め込み』を観る。
ビートルズ・アンソロジーは1964年のアメリカ上陸からシェアスタジアムライヴまで。彼らが、ばりばりのライヴバンドだった時代だ。ポールのMC、髪を振り乱しながらドラムを叩くリンゴ、クールにソロをきめるジョージ、薄ら笑いを浮かべながらシャウトするジョン、素晴らしい。1本のマイクに頬を寄せ合って歌うジョンとポールにぐっとくる。
志ん朝はリズムとテンポが乗ったあの口調が魅力だが、それだけじゃない。しっかり人間が描かれているし、フラもある。所作もきれい。あれが天才というものの、ひとつの典型。もちろん努力の裏打ちがあるのは当然だが、努力できるというのもひとつの才能だと言えなくもない。志ん朝の落語を聴くと幸せな気持ちになる。
昼ぐらいは外に出ようと、長男を連れだす。
石岡の森樹でチキンライス。旨し。NHKのテレビ番組、「鶴瓶の家族に乾杯」にも登場したお店です。

これにアイスコーヒーがついて700円はうれしい。
長男はエビピラフを食べた。


食後のアイスコーヒーを飲みながら、テレビの「のど自慢」をまったりと見る。
いい時間を過ごせた。
暑くなった。夕方からは仕事がらみの宴会がある。

2019年7月24日水曜日

小美玉市の火の見櫓 ~火の見櫓24~

小美玉市花野井の火の見櫓。



この前、内原イオンにいく途中見つけた。この辺りは何度も通っているはずなのに、気づかなかったなあ。


てっぺんなんか、なかなか凝った造りで楽しい。
足元には野の仏。



火の見櫓と野の仏のセットは多い。もともと公共性の高い所に火の見櫓は建てられたのでしょうなあ。(近くには必ずといっていいほど、その集落の集会所もあるし)

ついでに以前アップしたことのある小曽納の火の見櫓も撮りに行く。



道を挟んだ向かい側には神社があった。




鹿島・浅間神社らしい。
やはりここにも野の仏があった。




小美玉市の旧美野里地区は、けっこう火の見櫓が残っております。

2019年7月21日日曜日

土日の日記

昨日の日記。
朝、御飯、味噌汁、ベーコンエッグ、納豆。
朝イチで床屋。散歩がてら歩いて行く。



8時に行って、私が3人目の客。田舎の床屋は朝が早い。
9時過ぎ終了。ぶらぶらしながら帰る。蓮の花が咲き始めたねえ。


昼は焼きそばと、揚げ玉入りのおにぎり。旨し。
午後、小美玉市旧美野里地区の火の見櫓の写真を撮りに行く。
写真は後ほど、「火の見櫓特集」でアップします。
帰り道、石岡の木比提稲荷神社に寄る。大正の頃には笠間稲荷神社をしのぐほどの繁盛ぶりを見せたという。(詳細は2018年5月8日の記事で)

石の大鳥居の向こうには、奉納鳥居が続く。

この前に来た時より華やかになったような。
本殿。

本殿の前面は火事のため炭化している。

本殿の左側の透かし彫り。
瓢箪から狐が飛び出している絵柄。

こちらは右側の透かし彫り。
鯉に乗った仙人ですかね。火事で焼けて真っ黒になっております。

杉苗200本が奉納されている。

こちらは杉苗何と1100本。
どちらも大正年間のもの。木比提稲荷全盛の頃でしょうなあ。

「おこもり講」の文字が見える。落語『明烏』を連想させますな。

2時過ぎには帰る。
おやつを食べて、皆で「世界の果てまでイッテQ」の録画を見る。
妻は夕方から仕事。
夕食はチンジャオロース、シューマイでビール、酒。
風呂に入って、仕事から帰って来た妻と、冷たいビールとアイリッシュウィスキーを飲む。

今日の日記。
朝、御飯、味噌汁、ハムステーキ、めかぶ、チンジャオロース。
散歩がてら投票に行く。


前山の百合がだいぶ咲いてきた。


ミー太郎が庭の木に登っている。縄張りの見張りでもしているのだろうか。



昼はそうめん。旨し。
午後は長男の友だちが遊びに来る。
ごろごろしながら、『水戸天狗党』(田中真理子・松本直子共著、講談社、1977年刊)、図書館で借りてきた中村文則のエッセイ集『自由思考』を読む。
夕方ビール。
夕食は煮込みハンバーグ、じゃがいも、トマトのアボカド和え、マンゴーで白ワイン。
皆で「世界の果てまでイッテQ」の録画を見る。
選挙速報はもはやバラエティーかワイドショー、とても見る気がしない。

大正14年の石岡町(現石岡市)市街地図の一部。いちばん下に、昨日行った木比提稲荷神社が載っている。


2019年7月17日水曜日

山百合が咲き始めた


前山で(山といっても、最近親父が杉の木をきれいさっぱり切ってしまい、山らしくなくなっちゃったけど)、山百合が咲き始めた。
今年は梅雨が長く、肌寒い日が続いているが、この花を見ると夏の到来を感じますな。

では、アップで。


「与党もひどいが、野党はだらしない」とか、「入れたいところがない」とか、「どうせ何も変わらない」とか、「変化よりも安定」だとか、それとなく政権与党を利する言葉が湧いてきているけれど、私は私の意志を、自分の権利を行使するかたちで表明するつもり。中学生のいじめや幼児の開き直りみたいな振る舞いにはもううんざりだし、かつての帝国みたいな世界に連れて行かれるのはごめんだ。結果的に「何も変わらない」としても、「おれはいやだ」くらいは言っておきたい。

2019年7月16日火曜日

「オフ会」というのでしょうか

最近、ブログのコメント欄でやりとりしていたmoonpapaさんと、石岡の街を一緒に歩く。
ブログの御贔屓の方と実際にお会いするのは初めて。緊張したが、落語と街歩きという共通の趣味を持つ者同士、楽しくお話しできた。落語について、こんなに腰を落ち着けて話が出来たのは久しぶりだ。おかげで、色々と自分の考えをまとめたり整理したりすることができたと思う。
それにしても、あちこち随分歩いた。moonpapaさん、さぞかしお疲れになったでしょう。ほんと申し訳ない。

私が撮った写真はこんな感じ。








午後の東京庵で、天ぷらをつまみにビール。旨し。


その後、駅前に移動し、龍屋で石岡の地酒、渡舟、紅梅一輪を飲む。
龍屋の近くにあった、狸の置物がなくなっていた。moonpapaさんに是非ご覧に入れたかったのに。
それがこれ。


その昔は、この鰻屋さんの店頭にあったのだ。


今度はmoonpapaさんの地元で飲みたいと思っております。

2019年7月14日日曜日

昨日の日記

昨日の日記。
朝、パン、コーンスープ、手羽先、スクランブルエッグ。
妻は仕事。
午前中、長男とコーヒー。コーヒーの飲めない次男は、マスカットジュースを飲む。


梅雨の晴れ間、ちょっと暑くなる。


昼は子どもたちがじゃじゃ麵を作る。

『ヒトラーランド—ナチの台頭を目撃した人々』(アンドリュー・ナゴルスキ著/北村京子訳/作品社)、読了。「本書を読んでくれた日本の皆さんへ」というあとがきがある。
以下、一部を紹介する。
「ドイツで起こったことは、様々な状況と人格—とくにヒトラーのそれ—とが、特殊な形で組み合わさったことで生み出されたものであり、さらにはこうした恐ろしい事態を呼び込んだ国民性も関与しているという意見もある。しかし、日本の皆さんをはじめ、本書を手に取ってくださった読者の方々にはご自身で、そこに現代に当てはまる、より一般的などうかを判断していただければと思う。そしてもし教訓があるとするならば、そこにはすべての人々の共通する人間性が垣間見えてはいないだろうか。—あるいはひょっとすると、かつてのナチスドイツと同盟を組み、同国に劣らず、軍事力による領土の獲得と、〝劣った〟人種と国民の支配へと突き進んだ日本と、とくに似通った点がありはしないだろうか。
 日本の皆さんはこうした疑問に対して、ほかの国よりも深い見識を持っているはずだ。しかし実際にそうであるかどうかについては、疑問を呈したくなる大きな理由がある。破滅的な被害をもたらした第二次世界大戦の悲劇から長い年月が過ぎたいま、日本社会はドイツ社会に比べて、戦時中にみずからが行なった行為の厳しい現実に向き合うことに対し、はるかに消極的だ。あの時代の現実から学ぶよりも、それを否定しようとする動きが、また中国や韓国などの国で日本軍が行なったひどい行ないを軽く見ようとする動きが、いまもあまりにも多く見受けられる。」
この本が刊行されたのは2014年だが、事態ははるかに悪化している。隣国への侮蔑と、権力に対する批判への攻撃や嘲笑がひどい。そしてそれらが現政権と深い親和性を持っていることに、私は脱力する。
1930年代、ナチスは選挙を経て合法的に権力を手にしたが、国民の大多数の支持を得ていたのではない。45%程度の、相対的第1位の支持を獲得したに過ぎない。ドイツの約半数の人々は「そんなことがあるはずはない」と思いながら、結局、ナチス一色に染め上げられてしまった。そして、一色に染め上げられながら、「全体主義も悪くない」と思い込まされてしまったのだ。

近所の居酒屋で地元の方々と飲み会。二次会は神立。
12時頃帰る。