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2020年12月31日木曜日

大晦日

今日は大晦日。

朝起きて西の空を見ると、まん丸お月様が浮かんでいた。大晦日に丸い月を見るというのも、太陽暦だからなんでしょうね。

午前中は車2台を洗う。風が冷たい。初めのうちはボンネットの水が凍ったよ。

昼は冷凍の唐揚げを温めて唐揚げ丼。インスタントのチゲスープ。ついでにキムチも食べる。昨日テレビで『孤独のグルメ』を見て韓国風のものが食べたくなった。

今はベートーベンの第九を聴きながらごろごろしている。妻は煮物を始めた。

夕食には年越しそばを食べて、紅白を見ながらだらだら飲んで、そうやって2020年も終わるんだねえ。

2020年12月28日月曜日

ちょっとだけ小川散歩

朝、御飯、味噌汁、目玉焼き。

午前中は網戸の張替。結構頑張った。

子どもたちは父と餅つき。

昼は搗きたての餅。海苔醤油、納豆で食べる。旨し。

昨日今日とずっと家にいるので、少しだけ散歩に出る。

小川の街を歩く。いい天気になった。








職場の忘年会が中止になり、積み立てていた会費が戻ってきたので、忘年会の代わりにと酒を買う。石岡酒造の酔鶴、府中誉の渡舟。ポイントカードがいっぱいになっていて500円引いてくれた。うれしい。

夕食は、御飯、クリームシチュー。実は私、クリームシチューが好き。うれしい。 

2020年12月26日土曜日

年末休み

朝、ハムをパンに挟んで食べる。

妻は仕事。私は今日から年末年始の休みに入る。

ベニー・グッドマンのレコード、ジョン・レノン『イマジン』を聴きながら、机周りの片づけをする。『イマジン』はジョンのソロになって2枚目のアルバム。ビートルズのメンバーではジョージ・ハリスンが参加している。1枚目の『ジョンの魂』(こちらにはリンゴ・スターが参加した)の鋭く厳しいのに対して、こちらは甘い味付け。『イマジン』の方が売れたんだよね。



昼はたらこスパゲッティと昨夜の残りのピザ。

夕方、長男のバイトの送迎。

夕食はおでんで酒。酒は父が買って来た「霧筑波・初しぼり」、旨し。

食後に妻とワイン。

寝しなにボウモア。 


安倍政権が倒れ、大阪市廃止が住民投票で否決され、アメリカではトランプが負けた。国会での虚偽答弁が暴かれつつあり、現政権の強権的なやり方にも人々がNOを突きつけ始めている。一方に振り切った振り子が、やっと戻り始めたところか。ここ数年、私たちは随分醜いものを見てきた。「ゲッティング・ベター」になっていくといいんだけどな。でも油断はできない。

2020年12月24日木曜日

クリスマスイヴ

今日24日は長男が夜バイトなので、昨夜、クリスマスのお食事をする。

父の買って来た鶏ももの照り焼き、チーズフォンデュ、サラダでスパークリングワイン。


そして、妻がカスミの懸賞で当てたケーキ。


お腹いっぱいいただきました。

我が国ではクリスマスは宗教的祝祭というより、年中行事のようなものだけど、家族そろって美味しいものを食べるのはいいもんだ。

食後に妻と白ワイン。寝しなにボウモア。


今日は午前中ちょっとだけ買い物。

私の祖父の命日なので、父と妹とお墓に行く。祖父は私が5歳の時、数えの80歳で亡くなった。あの頃では長寿の方だったろう。祖父母に敬老会の旅行で大洗に連れて行ってもらったのをかすかに覚えている。あの時、私は宴会の会場で舟木一夫の「高校三年生」を歌って喝采を浴びたのだった。

昼はヨークベニマルで買って来たサンドイッチとカレーパン。

後は家に籠る。

夕食はレンコンやらエビやら残り物を入れたカレー。旨し。カレーは最強。


今年も色々あったなあ。

殿様が今日謝罪会見したけど、118回も事実と違う答弁をして、「でもその時は事実を知らなかったんだから嘘をついたわけじゃないもん」と言わんばかりだったな。でもあの答弁だって、その時から辻褄の合わない無理な話だったもんね。それを証拠も示さず、ムキになって、質問者を攻撃してたんだ。挙句の果てに本当のところ野党の指摘は的確だったってことが分かった。カッコわりーの。

何にせよクリスマス。世界が少しはまともになることを祈ろうか。


2020年12月21日月曜日

冬至

今日は冬至。

夕食は、さんまの煮たの、かぼちゃの煮物、大根のサラダ。妻の言では「冬至には“ん”のつくものを食べた方がいいんだって」とのこと。父がもつ煮込みを作ったので、予定外だが一緒に酒を飲む。「霧筑波・初しぼり」。旨いなあ。

柚子湯に入って温まる。

日没後の南西の空に、木星と土星が光る。ほぼ400年振りの大接近という。

コンパクトデジカメでこんなに大きく撮れた。

冬至の日と大接近が重なるというのもすごいね。

2020年12月20日日曜日

今日も寒かった

朝、マフィン、スープ。

今日も家に籠って本を読む。

昼はモスバーガー。コーンスープ。久々、旨い。


 午後、酒を買いに行く。回り道をして帰る。

小舟塚神社。古墳のようです。

『私たちはどこから来て、どこへ行くのか 生粋の 文系が模索するサイエンスの最先端』(森達也・ちくま文庫)、読了。専門的なことを全部理解することはできなかったが、それでも面白かった。生命の起源、進化のシステム、宇宙の成り立ち、脳科学、分子生物学、量子力学などから、なぜ私たちは生き死んで行くのかを問う。どう考えても答えの出ない問だ。そんなことより、これから劇的に減る収入のことや年金のことなんかを考えた方がいいのだろう。それは分かっている。だけど、そういう根源的な問に向き合うことに惹かれてしまう。これも現実逃避のひとつかもしれないな。

妻と夕方ビール。

夕食は、ビビンバ、菊芋のカレーきんぴら、塩辛で酒。食後に妻と白ワイン。ボウモア。

一日寒風が吹きすさぶ。今年の冬は寒いねえ。

2020年12月19日土曜日

寒い日、引き籠って少女マンガを読む

朝、昨夜の鍋の残りで作った雑炊、味噌汁。

次男は土曜講座。駅まで送る。


妻は仕事。長男とコーヒーを飲んで、私は床屋に行く。


今日は引き籠って昨日買って来た本を読む。

まずは『現代マンガ選集・少女たちの覚醒』(恩田陸編・ちくま文庫)。シリーズ完結編。少女マンガの特集である。


昔、妹が『別冊マーガレット』とか『りぼん』とかを読んでいたので、私も読ませてもらっていた。

この中では何と言っても、清原なつのの「花岡ちゃんの夏休み」。『りぼん』の1977年8月号に掲載され、私もリアルタイムで読んだ。ヒロイン花岡ちゃんの屈折具合がたまらない。大学の頃、このマンガを知っていた女の子と盛り上がって、ちょっとの間、好きになったことを思い出す。

巻末の「海街diary」には涙腺が崩壊した。収録されているのはその第1回、「蝉時雨の止むころ」。『櫻の園』や『ラヴァーズ・キス』も持っているけど、やっぱ吉田秋生はすごいわ。厳しくて優しい。

その後は『私たちはどこから来て、どこへ行くのか 生粋の 文系が模索するサイエンスの最先端』(森達也・ちくま文庫)を読む。面白い。

CDで友部正人を聴く。『また見つけたよ』『誰も僕の絵を描けないだろう』からのセレクト版。「公園のD51」、「密漁の夜」は名曲だなあ。

昼は長男と焼きそばを作って食べる。

夕方、長男はバイト。バイト先まで送る。

夕食は、スープ餃子、大根と豚バラ炒めで燗酒。食後は妻と白ワイン。寝しなにボウモア。

今日は、私だけ1日お休みでした。



2020年12月17日木曜日

ボウモア

夕食の後、妻からクリスマスプレゼントでもらったボウモアを飲む。

イギリス、アイラ島産のシングルモルト・ウィスキー。スコットランド西方の海に浮かぶ島からやって来た。その向こうはアイルランドだ。ウィスキーとしてはスコッチウイスキーに分類される。

私はこの酒を村上春樹のエッセイで知った。初めて飲んだ時は癖が強いな、と思ったのだが、今はこれが私のナンバーワン・ウィスキーである。

口に含むと、いっぱいに潮の香りが広がる。北の寒い厳しい海の香りだ。これがいい。

酒場で同僚にも勧めてみるのだが、これが見事に評判が悪い。「目を閉じるとアイルランドを望む海が見えるだろう」と言っても、「いや保健室のホーローの器に入った消毒液が見える」とか「クレゾールの匂いしかしない」と言われてしまう。まあ、これがひと頃は酒の席のネタになったんだけどね。

でも私はこの酒に北の海を思う。中原中也の「海にゐるのは、あれは人魚ではないのです。/海にゐるのは、あれは浪ばかり。」という詩を思い出す。

けっこう高いので、手銭では買えない。だから、クリスマスや誕生日のプレゼントは、このボウモアを軸に選定される。

もう飲み始めてしまったが、クリスマスまでもつんだろうか。きっともつと思うけど。

ちなみに私は水を少し足して飲むのが好き。味が丸くなるような気がする。生牡蠣に垂らして食べる、というのもあるらしい。やってみたいけど、ちょっともったいないなあ。



 

2020年12月13日日曜日

今日の日記

朝、御飯、味噌汁、スクランブルエッグ、ウィンナーソーセージ、納豆。

神崎、江戸や亭。密にならないように客席を配置しての公演。

12月ということで『芝浜』をかける。途中足がつりそうになったり、ハエが顔に何度も止まったり、台詞の順番を間違えたり、色々あったけど、こんな時こそ丁寧にやろうと思って演じる。感情過多になったかもしれないが、そこは流れに任せてみた。とにかく目の前のお客様に、少しでもいい時間を過ごせたと思っていただこうと頑張ってみたよ。


夕食は父が買って来た刺身で、妻の実家でもらってきた月ノ井の純米吟醸「彦市」、旨し。食後に妻は白ワイン、私はクリスマスプレゼントでもらったボウモアを飲む。


ジョン・レノンは23歳で学生時代から付き合っていたシンシア・パウエルと「さずかり婚」をした。しかし、ビートルズとして瞬く間に大スターとなったジョンが、家庭を顧みることはなかった。26歳でオノ・ヨーコと出会い、28歳で妻子を捨てヨーコと結婚する。女性に暴力をふるうようなマッチョだった彼は、ヨーコとの結婚生活を通して大人になった。ジョン・レノンはヨーコをパートナーにすることで、音楽的には大きなハンディキャップを背負うことになったかもしれないが、人間的には大きく成長することができたのだと思う。(それが音楽の面でも大いに役立った部分はあったのだろうが)

私は35歳で妻と結婚し、40歳で長男を授かった。35歳といえば、ジョンがヨーコとの間にショーンが生まれ、音楽活動から引退して主夫生活を始めた年齢であり、40歳は彼が音楽活動を再開した矢先に凶弾に倒れた年齢だ。

考えてみれば、私にとって、それが女の人と生活を共にし家庭を作るのに適正な年齢だったのだろう。若い時分に結婚していたら、長くは続いていなかったかもしれない。きっとそういうのが神様の仕事なんだな。

開演前に梅八さんたちと夫婦の話になり、ふとそんなことを思いました。 

2020年12月12日土曜日

今日は黒門町の命日

朝、御飯、味噌汁、ハム、鮭フレーク。

午前中はずっと大掃除。

昼はハムときゅうりのサンドイッチ。若い頃はきゅうりが苦手だったが、最近、かっぱ巻きとサンドイッチは食べられるようになった。むしろ旨いと思う。年を取れば変わってくるんだね。

午後、タイヤの履き替えに行く。

夕食は、芋煮で「男女川初しぼり」。つくば市沼田のお酒。妻の実家に行った時、頂いて来た。旨し。


今日、12月12日は、八代目桂文楽の命日。黒門町が亡くなったのが1971年だから、来年は没後50年か。

私が文楽と出会ったのが、中学2年。ラジオで聴いた『締め込み』だった。 

ということは、あれは文楽の死後3年のことであったか。

だから、私は文楽の生前の高座を知らない。かつてはそれを悔しく思っていたが、なまじ晩年の衰えた高座を知っていたら、私はここまで文楽のファンになっていなかったのかもしれない。

文楽の最期については以前記事にしてあるので、詳しくはそちらをご覧ください。

「桂文楽の死」


私がいちばん好きな酒。ボウモアと神亀。




2020年12月6日日曜日

忘年会のない師走


昨日の日記。

朝、パンにウィンナーソーセージとゆで卵を挟んて食べる。旨し。

妻は仕事。私は家に籠る。雨模様、寒い。

撮りためていた録画を見る。「❝イマジン❞は生きている ジョンとヨーコからのメッセージ」と柳家喬太郎の演芸番組。演芸の方は夏ごろにBSで放映されたもの。客無しのスタジオでの演芸。落語も物真似も漫談も、無人の客席に向かって演るのは大変そうだ。間も生きなくなるよなあ。ただ、見ているうちにその苦闘振りが面白くなってくるから不思議だ。

昼は子どもたちが作ったサッポロ一番味噌ラーメン。

ペン画を2枚、描く。



夕食は妹の所から来たお歳暮の肉でしゃぶしゃぶにする。父が買ってきた副将軍の純米吟醸も飲む。旨し。食後に妻と白ワイン。

寝しなにアイリッシュウィスキーを飲む。


今日の日記。

朝、御飯、味噌汁、ベーコンエッグ、納豆。

義父の命日が近いので、皆で墓参りに行く。


昼は妻の実家ですき家のテイクアウト。初めてウナ牛を食べたけど旨かった。

3時過ぎまでのんびりして帰る。帰りに牛久の天満屋で神亀を買う。妻の実家でも四合瓶2本頂いたので、しばらく酒には困らない。

妻と夕方ビール。

夕食は鶏鍋と義母お手製の鶏のレバー煮、菊正宗の燗酒。旨し。食後にアイリッシュウィスキー。


今年は忘年会もなし。寂しい年末だねえ。

2020年12月5日土曜日

ジョンとヨーコの物語

録画していたジョン・レノンとオノ・ヨーコの番組を観る。

ジョンとヨーコの美しい物語。

1966年11月、ジョンとヨーコは出会い、やがて恋に落ちる。しかし、出会った直後のヨーコはジョンに援助を求め、自殺をほのめかすような手紙を送ったという。

ジョンは音楽の枠にとらわれないヨーコにインスパイアされ、ありのままの自分をさらけ出す表現に目覚めた。しかし、ジョンのバックで奇声を上げるヨーコがその名演を台無しにしていたことを、私は知っている。

ジョンとヨーコは周囲の非難にもめげず自分たちの愛をはぐくんだ。しかし、1973年、ヨーコはメイ・パンをパートナーとしてあてがいジョンをたたき出して別居し、自分は彼氏とよろしくやっていたという話もある。

息子ショーンが生まれてからヨーコはビジネスに、ジョンは主夫として家事に専念した。しかし、実はショーンの子守や食事を作るスタッフが存在した。

息子ショーンはジョンと同じ10月9日に生まれた。しかし、それは帝王切開によるもので、意図的なものであった。

ジョンが1980年にカムバックしたのは、ショーンの「パパはビートルズだったの?」と言われたのがきっかけだった。しかし、ポール・マッカートニーの『カミング・アップ』を聴いて触発されたからだ、という説もある。

色々つらつら並べたが、でも、私はこの番組を見て、ぼろぼろ泣いた。感動したのだ。


朝日新聞土曜版で「今こそ聴きたいジョン・レノンの歌声」という特集のランキングで堂々1位に輝いたのが『イマジン』である。

これこそヨーコがプロデュースした「愛と平和の戦士」ジョン・レノンの代名詞的楽曲だ。「心でそう思えば世界は平和になる、というのはあまりに絵空事ではないか」と批判する人もいる。むしろそう言った方が「ちゃんとものを知っている」というポジションを得ることができるだろう。

でも、今に至るまで、これだけの人の心をつかんでいるという事実は無視はできないよな。理想に向かうためには、まずはそうであれと思う、というのが大切なんだ。ジョンの歌声は圧倒的説得力をもって私たちに迫って来る。


ジョンとヨーコはお互いを必要としていたし愛していた。ジョンはヨーコと結ばれたことが、本当に幸せだったと思う。それでいいじゃないか。

ジョン・レノンが選び死ぬまで求め続けたものがオノ・ヨーコだったのである。ポール・マッカートニーも最後はそれを受け入れたんだよな。

2020年12月3日木曜日

『芝浜』雑談

早いもので、今年ももう師走ですか。

師走というと、落語の方では掛け取りの噺がよくかかったもので。三遊亭圓生の『掛け取り萬歳』、柳家小さんの『睨み返し』『言い訳座頭』『穴どろ』なんてところがございます。

当節では『芝浜』でしょうか。立川談志がよみうりホールの独演会でかけた『芝浜』が、伝説の高座となっているのは有名な話です。(ただ、これは談志自身とそのファンによって、やたら神格化されてしまったような気がしますが)

私の世代では、談志だけではなく、古今亭志ん朝、柳家小三治の名演も耳に残っておりますし、先代の三遊亭圓楽も得意にしておりました。

昨今では、鈴本で『芝浜』を演者を変えて10日間演じさせてみたり、新宿末広亭では、「むかし家今松の『芝浜』を聴く会」なども企画されていたようです。

ま、よくできた噺だし、夫婦の情愛という普遍的なテーマを扱っているし、季節ものでもあり、この時期、人気の演目になるのも当然だと思います。

ところで、この噺の前半の見せ場に、主人公の魚屋が浜で煙草を吸いながら夜明けの海を見る場面があります。これは、この噺を売り物にした三代目桂三木助がこしらえたものだと思います。

ほとんどの落語家が、この三木助の型をベースにしているのに対し、古今亭志ん朝は、この場面をばっさりカットしています。志ん朝だけでなく、父志ん生も、兄金原亭馬生もこの場面はやっていない。ここをやらないのが、古今亭の型と言ってもよいでしょう。

この、「古今亭の型」は合理的です。この後、魚屋は金の入った革財布を拾い、その顛末を女房に話すことなるので、この場面があると重複してくどくなってしまう。また、さらにそれを夢にすることを考慮すると、あまり財布を拾う場面がリアルになってもいけない。あの場面は三木助と安藤鶴夫の文芸趣味によって作られたもので、鼻につく。カットするのが、むしろ本寸法なのではないか、という意見もあります。

京須偕充は『志ん朝の落語5 浮きつ沈みつ』中『芝浜』の解説で、こんなふうに述べています。

「ここで、どう絵画的レトリックを駆使しても、あるいは拾得の仕方を克明に演じても、しょせんは主人公の独白のみだ。やりとりでドラマを築く落語本来の醍醐味とは別種で、実は難易度の高い場面ではない。ここがリアルになると主人公が女房に言い負かされ、夢を信じるのがいっそう不自然になるという副作用も生じる。古今亭の思い切った省略は過度のフィクション性を防いでいるといえよう。」

まったくその通り。見事な論理です。

でも、私が『芝浜』をやるとしたら(実際やっていますが)、この場面、やりますね。もともと『芝浜』は穴の多い噺で、知り合いの魚屋さんに聞くと「正直違和感がある」と言います。そのいわゆる「過度なフィクション性」を夫婦の情愛一本でねじふせていくところに、この噺の醍醐味があるのではないでしょうか。

お客がこの場面を欲していて、演者がこの場面を演じたいと思うのなら、やるべきだと思う。私はその場面を演じたいと思います。

もちろん、そこをカットするというのも、演者としてのメッセージになる。それはそれで素晴らしいと思います。

要は演者の料簡です。私はどちらも否定しません。お客に「いい噺だったな」と思ってもらえれば、それでいいと思います。

結論としては、甚だ凡庸なものになってしまいましたな。お粗末様でした。


家のベランダからの朝焼け。
安藤鶴夫『三木助歳時記』には、三木助が妻の仲子と夜明けを見る場面がありました。