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2023年5月28日日曜日

十代目金原亭馬生と大西信行

 『対談・落語芸談4』の中で、編者の川戸貞吉は十代目金原亭馬生についてこんなエピソードを紹介している。

馬生は「落語評論家は絶対に信用しない」と言う。それは「金原亭馬生の悲劇は、五代目古今亭志ん生の長男に生まれたことからはじまった」という論評に憤慨したからだ。「そんなことをいったって生まれちゃったものはしょうがないでしょ」「あたしだって生まれたくはなかった」と馬生は抗弁していたという。

対談の相手は立川談志。その時談志は「その言葉通り取れば、たしかにいった奴は暴言だけど、しかしそういう会話もわからないことはない。だけど、もういまさらねェ“天才の子に生まれた”とか“親父の子に生まれた”というのは、そんなことまで論じる奴は馬鹿だね。それよりも馬生師匠の出来不出来、または彼の功績を判断すべきではないかと思いますよ」と至極真っ当なことを言っている。

 

この落語評論家は大西信行、この論評は『落語無頼語録』という本に収められている。

その部分を、いくつか以下に引用する。

 

・いまぼくの目に浮かぶ馬生は、一席終って、立ち上がり、キザなシナをつけて踊るその姿・・・どうにも好きになれない芸人だった。なぜだろうと考えてみる。

 考えてみて、馬生という人が、いくつもの不幸を背負った芸人だと思い到った。不幸の第一は志ん生の子であるということ。

 

・志ん生がいつ帰るとも知れないことを理由に、それぞれ新しい師匠を選んで去って行って、置き去りにされた馬生はあたかも浮浪児と呼ばれた戦災孤児のごとき淋しい境遇になった。孤児の淋しさを正直に涙にでもして見せたなら、楽屋の同情も集められたかも知れないものを、馬生は可愛げのないいじめられっ子の顔で、周囲を睨み、すねて暮らした。馬生にすればそれは志ん生の子の意地だったろうけれど、ことさらに胸を張って、言うことなすこと、生意気だネ、キザでいけねェとそしられる結果だけを生んだ。この周囲の白い目をはね返すためには・・・うまくならなきゃ、と、若い馬生に思い込ませた。うまく聞かせようと、わざと声をひそめ加減の低調子、どうにも陰気な高座になった。大ネタと称される人情ばなしのような演題ばかり演じて、いっそう先輩の糾弾を受けた。まずいと言われて次々にネタを変えて・・・現在円生についでネタの多い落語家であると言われるのは、この頃の馬生のあがきがもたらしたものであった。

 

・志ん生の子でいながら、馬生は志ん生の子であることの不幸にいじめ抜かれて、志ん生のうまさを自分のものにはなし得なかった。いやむしろ、志ん生とはべつの、うまいはなし家になろうと馬生は苦労したのだとも言える。つまり円右円喬流の・・・。

 

志ん生の子。落語家としてのデビューは二つ目から。若くして金原亭馬生を襲名。やっかみを受ける要素はそろっている。しかも志ん生がわがままな人であったから、その意趣返しが馬生に降りかかった。確かに馬生がいじめられたのは、志ん生の子であったがゆえだろう。また、その悔しさをばねに、馬生が志ん生とは違うタイプの芸を追求したことも間違いではない。

論理としては正しい。しかし、改めて読むと、ずいぶんひどいことを書いているなあ。馬生の苦闘に対し、あまりに手厳しい。

大西は、また、こんなことも書いている。

 

 現代人の癖に、いかにも江戸前ということばの似合う、キリッとした顔に愛くるしい微笑みを浮かべて言った。志ん朝の幸せは志ん生の子であるということ—。

 

対比という技法はある。対照的なものを並べて、その差を際立たせ自分の主張をはっきりさせるやり方だ。とはいえ、兄弟を比較し、弟志ん朝の素晴らしさを示すために兄馬生を引き合いに出すのは、あまりに酷ではないだろうか。

「あとがき」の中で、大西は、永六輔に「ぼくは、大西さんがなにかに対して怒っている時が好きだな」と言われたことで、「精いっぱい怒りながら書く」という基本姿勢を得たと書いている。

大西には、当時東京の実力派と言われる落語家が、芸の本質よりも論理や技巧を重んじ、偏った名人志向に走っているという現状認識があったようだ。「うまいと呼ばれたい落語家」の代表として、大西は馬生と立川談志を挙げ、痛烈に批判している。

私が持っているのは角川文庫版だが、その「解説」で永井啓夫は次のように書いている。

 

 現代落語の質的解明には、江國滋・三田純市・矢野誠一・山本益博らのような見巧者の愛情にみちた指摘も多い。しかし、かんじんのはなし家たちは、落語ばかりでなく伝統芸能の世界ではいずれも共通のことだが〈批評〉をいっさい受け入れようとしないのである。それが見え透いた追従であっても〈賛辞〉は正しく、その反対に〈批判〉はすべて悪意と曲解によるものとして耳を貸さない。これは現代の伝統芸能が抱えている最大の不幸であろう。

 大西信行の『落語無頼語録』は、こうした固陋なはなし家に向かって堂々と所信をぶっつけた壮挙ともいうべき評論である。

 

大西の鋭い筆致は、当時高く評価され、昭和50年度「日本ノンフィクション賞」佳作を受賞した。翌年には文庫化もされたので、よく売れたのだろう。私も高校の時、この文庫版を買ったし、落研の部室にはハードカバー版が置いてあった。

一方で、芸人たちには評判が悪かった。後年、この馬生への論評は、評論家の暴論のサンプルとして、多くの人が取り上げた。

私は「附 桂文楽の死」を読むのがつらかった。そこには、文楽の落語家としての限界が極めて明晰に論じられていた。つらかったが、何度も何度も読み返した。

私はこの本を読む度に、落語とは何か、落語を、落語家を論じるとはどういうことか、について深く考えさせられる。私はこういう書き方はしない。しかし、この本が私の落語観に大きく影響を与えていることは否定できない。

 

永井啓夫はこうも書いている。

 

(大西信行は)落語を愛するあまり、怒り狂ってさんざんに斬りまくるものの、実はそのことによって一番傷ついているのが大西自身であることを知る人は少ない。

 

十代目金原亭馬生は、志ん生から離れようともがき苦しみ、必死になってネタを増やして芸の幅をひろげた。長い道程を経て、馬生がたどり着いたのは「志ん生」だった。

晩年の馬生は志ん生に似ていた。「一丁入り」で飄々と高座に現れ、さらっと一筆書きのような行書の芸を見せた。時折入る長い間も、きちんと芸になっていた。しかし、それは志ん生のコピーなどでは断じてない、馬生だけの世界だった。テクニックや論理を越えた所に馬生はいた。

馬生は昭和57年(1982年)、54歳で死んだ。誰もが馬生の早過ぎる死を惜しんだ。その時大西は、馬生について何を書いたか、その後何を書いたか、残念ながら私は知らない。



2023年5月26日金曜日

大甕神社再訪

大甕神社。

創建は皇紀元年という。つまり、鹿島神宮、静神社と同年の創建ということになる。

祭神は静神社と同じく建葉槌命(たけはづちのみこと)、そしてもう一柱、地元神として甕星香々背男(みかぼしかがせお)。鳥居脇にはそれを証明するかのように「大甕倭文(おおみかしず)神社」とある。


静神社のところでも書いたが、鹿島神宮の建甕槌命(かけみかづちのみこと)と香取神宮の布津主命(ふつぬしのみこと)を助けて、香々背男を征伐したのが建葉槌命である。

本殿には香々背男征伐の場面の彫刻がある。



ここには「當神社祭神武葉槌命悪神甕星香々背男ヲ金田山魔王石上ニ誅スルノ圖」と書かれている。

甕星香々背男の霊力を封じているのが本殿裏にそびえる宿魂石だ。

鎖が常備してあるほどの急坂を上る。


岩山の上には本殿が鎮座している。

神社内にある案内板によると、宿魂石は境界に祀られた「大甕」と称された磐座。この地は大和朝廷の支配が及ぶ「大倭国」と未知の世界「高見国」との結界と見立てられていた。この岩山の北側の麓には「結界石」がある。お札がいっぱい貼られていて、ちょっと写真を撮るのも怖い。すぐ近くに甕星香々背男が祀られていた。




ここは、大和朝廷の中央集権化に抗った者たちの怨みを封じ込める所でもあるのかな。どこか、ただならぬ雰囲気を感じるんだよねえ。

2023年5月23日火曜日

日立にお出かけ

昨日は土曜出勤の振替休日。

せっかくの休みなんだから、どっか行っておいでよ、と妻が言うので、ありがたくお出かけする。

先日行った静神社ゆかりの大甕神社に行く。国道6号線を北上し、日立市石名坂を上り切った辺りにある。

お参りするのは2度目。前回が2013年6月だから、間もなく10年か。

神門を造営中とのこと。


本殿のある宿魂石の磐座にも上った。

大甕神社について、詳しくは後日記事にします。

せっかくなので、日立鉱山跡の方にも行ってみる。


新田次郎『ある町の高い煙突』のモデル、大煙突。煙害対策のために建設された。完成当時(1914年)、世界最高を誇ったという。1993年、下3分の1を残して崩壊した。

そろそろ昼飯を食おうかと思い、海の方へ向かう途中、日立武道館を見つけて立ち寄る。

もともとは共楽館という日立鉱山職員及びその家族のための福利厚生施設であった。歌舞伎の上演を想定し、回り舞台と花道を備えていた。



付近は、どことなく炭鉱町をしのばせる雰囲気だ。



海沿いの国道に出て南下。そういえば久慈浜の灯台の近くにレストランがあったのを思い出す。


あった、これこれ。入ったことはなかったけど、昔からある。多少高くてもいいや、とおもいながら入店。中は地元の人たちでいっぱい。メニューを見るとけっこうリーズナブル。日替わりランチ、1100円を注文。


ポークステーキと魚のフライ、野菜もたっぷりとれる。旨くて安くてボリューミー。長年愛されてきた店なんだな、と分かる。

満ち足りた気分で店を出る。せっかくだからと、灯台の方にも行ってみる。



天気はいいし、眺めもよし。いいお出かけだった。

セブンイレブンの「きみだけプリン」を買って帰り、おやつに妻と食べる。濃厚で旨かった。

2023年5月21日日曜日

『石の花』を読む日曜

朝、パン、コーンスープ、ウィンナーソーセージ入りスクランブルエッグ。

朝一で床屋。散歩がてら歩いて行く。ずいぶん緑が濃くなった。





帰って布団を干し、風呂のカビ取りをする。

昼は釜揚げうどん、ちくわの磯辺揚げ。旨し。

午後は妻とスーツを買いに行く。20年もののスーツがいよいよ駄目になり、新調することにした。まだまだ仕事をしないとねえ。

おやつにシュークリームを食べる。

妻と夕方ビール。

夕食はホットプレートで焼いた自家製餃子、厚揚げでビール、酒。食後にウィスキー。


物置にあった坂口尚『石の花』を持って来て読む。第二次世界大戦のユーゴを描く。大きな物語も小さな物語も、どちらもすごい。坂口は少年、少女を描くのが上手いな。『三月の風は3ノット』は傑作だと思う。大学時代、彼の作品を夢中で読んだ。『魚の少年』『たつまきを売る老人』『十二色物語』。実験的な難解な作品もあったが、虫プロ出身らしいやわらかな線が魅力的だった。

『石の花』の絵は硬質だ。どこか大友克洋を思わせる。当時、坂口はベテランだったが、得意とする短編から長編へ、虫プロ風の流れるような線からニューウェーブ風のハードボイルドな画風へ、と変化することを厭わなかった。いや、どんな絵でも描けるんだな。職人としてもすごい。

1995年12月22日、坂口尚は自宅の浴室で倒れて死んだ。享年49。新聞に小さく載っていたことを覚えている。

私が持っている『石の花』は初版本。その後、大幅に加筆された新版が刊行されたという。これは読まないとなあ。


2023年5月18日木曜日

静神社

先日、那珂市(旧瓜連町)の静神社にお参りした。




妻が東京に行った時、上野の清水寺でおみくじを引いたところ「凶」が出た。験直しをしたいというので、GW、常陸大宮の久慈川に行った帰りに寄ってみたのだ。何と言っても「常陸の国二之宮、ということは県内ナンバー2のパワースポットなんだぞ」という私の言葉が、妻をその気にさせたらしい。

妻が静神社で引いたおみくじは「末吉」。着実にワンランクアップという結果となった。


さて、静神社についてである。

創建は皇紀元年、神武天皇即位の年だ。これは鹿島神宮の創建の年でもある。そう、この神社は鹿島・香取両神宮と深い関りを持つ。

鹿島・香取の神は、出雲の国譲り神話で大きな役割を果たした神だ。つまり大和朝廷の全国平定の原動力になったと言ってもいい。

常陸の国創設が大化の改新の直後。中央集権化の最前線がこの常陸の国であったことは間違いない。鹿島・香取はまさにその軍事拠点であった。

その昔、現在の県北地域に星神香々背男(ほしがみかがせお)という国つ神がいて、鹿島・香取の神をもってしてもなかなか服従しない強敵であった。それを健葉槌命(たけはづちのみこと)の助力によって征伐することができた。

その健葉槌命を祀るのが静神社である。鹿島神宮の拝殿前には高房社という社があり、神宮参拝の際には、まず、ここを拝むのが作法とされている。その高房社の祭神が健葉槌命。ということは、常陸の国平定の最前線が静神社であり、その功績を讃えての作法がそれなのだろう。

そして、健葉槌命が星神香々背男を征伐したとされる、現在の日立市石名坂の近くには大甕神社がある。

過去記事「大甕神社」l

大甕神社の祭神は健葉槌命と星神香々背男。この神社は、出雲大社や諏訪大社のように、征服された国つ神の魂鎮めのためのものではないか。事実、この神社の御神体は拝殿の裏にそびえる岩山で、ここに星神香々背男の魂が封じ込められているという。

香々背男征伐の際、石名坂には雷断石という巨石があり、健葉槌命がそれを足で蹴ると三つに割れて、現在の東海村と日立市河原子と笠間市に飛んで行った。それぞれ、そこには、石神、石崎、石井という「石」にちなんだ地名がついている。笠間市には石井神社というのがあり、祭神は健葉槌命だ。この伝承が創設に深く関わっていると見て間違いはなかろう。

2016年11月に行った時の石井神社。

今は鳥居は新しくなっている。



結論。静神社の神は、鹿島神の常陸平定に大きく貢献した武神であった。だからこその「常陸二之宮」なのだ。


ここでは武神としての健葉槌命にスポットを当てたが、一般的にこの神様は、天照大神に仕えて機織りをしたという、織物の神様として知られている。『常陸風土記』にも、ここは静織(しどり)の里と呼ばれ、初めて倭文織(しずおり)を織った地だという記述がある。それが「静神社」という名称のいわれとなったのだろう。

2023年5月14日日曜日

雨の土日、母の日

昨日の日記。

朝、トースト、大根のトマト煮、魚肉ソーセージ入りスクランブルエッグ。

「あまちゃん」を見て、コーヒーを淹れて、職場へ行く。

半日、仕事。

昼食はおぬま食堂で、カツ丼と鶏塩ラーメンのセット。ここのところ椎名誠の『哀愁の町に霧が降るのだ』を読んでいたので、カツ丼の気分だったのだ。

一日中雨模様。気温も上がらず肌寒い。何となく気持ちが沈む。

妻と夕方ビール。

夕食はホットプレートを使った石焼ビビンバで酒。食後に妻と赤ワイン。

寝しなにジョニーウォーカー赤ラベル。


今日の日記。

朝、御飯、スープ、ウィンナーソーセージ入りスクランブルエッグ、佃煮。

今日もまた雨模様。森田童子を聴く。

昼はガスト。母の日で息子たちが妻に御馳走しようというのだ。長男の運転で行く。私はチーズインハンバーグと「からよしの唐揚げ」のセット。今日は皆で唐揚げを食べる。

食後、ガストの近くのケーキ屋で、母の日のケーキを買う。

午後は晴れてきた。ちょっとだけ写真を撮りに出る。



妻と夕方ビール。今日はちょっと贅沢にヱビスを飲む。

夕食は焼肉で赤ワイン。食後に妻と缶チューハイ。

夕方から豆はずーっと押し入れで寝ていた。


 

2023年5月7日日曜日

ChatGPTに落語の演目を聞いてみた

この前の「みほ落語会」で、梅八さんは『権助魚』、私は『猫の災難』をかけた。

その後、お仲間とグループLINEで会話をしていて、ChatGPTの話題になった。こいつに落語について聞いてみたらどうなるだろう、ということになり、お仲間の一人がやってみた。

で、その回答が、これ。まずは『権助魚』から。

権助魚とは、食べた魚のあとに現れるとされる幽霊のような存在で、魚を食べたことで死んだ人間が成仏できない怨念が込められたものとされています。落語の「権助捕物帳」では、権助魚のことが面白おかしく語られます。

お次は『猫の災難』。

「猫の災難」という落語は、猫を飼っている男性が、猫が魚を盗むのを防ぐために小判を鈴で鳴らしていたところ、誤って猫を殺してしまうというお話です。その後、猫の葬儀をすることになりますが、そこで猫屋敷という場所で葬式を行うことになってしまい、そこには実は「猫」という名前の男がいて、混乱が生じるという展開が続きます。落語の名作の一つで、多くの人が親しんでいるお話です。

すごいねえ。AIってのは「知りません」って言えないのかね。まるで『千早振る』のような珍解釈をしてくれた。まあ、これからどんどん学習して進化していくのでありましょうが、やっぱりネットの情報を鵜呑みにしちゃあいけないな、と改めて思いましたよ。


 

2023年5月4日木曜日

行楽の日

朝、フレンチトースト、紅茶。

連休なので、せっかくだから行楽に行こう、というので、親子4人で出かける。海・山・川、どれがいい? と聞くと「川がいい」という。

では、常陸大宮の道の駅「かわプラザ」に向かおう。久慈川沿いの国道118号線を北上する。ところが、手前2㎞で渋滞にはまる。途中、セイコーマートでトイレ休憩。渋滞の列に戻る。

そういえば「かわプラザ」、連休前のテレビで紹介されていたっけ。以前、牛久大仏が連休前の「アド街ック天国」で取り上げられて大混雑になっていたことを思い出した。

これは多分、駐車場に入れない車で渋滞しているのであろう。しかも昼どき、回転は遅くなる。

ふと「辰の口親水公園」の看板が目に入る。これはコンビニで何か買って、川を見ながら食べるのもいいんでないかい、と思う。公園に曲がる交差点にはファミリーマートがある。協議の結果、路線変更、辰の口に行くことにする。ファミリーマートで昼食を買う。私はハムときゅうりのサンドイッチ、コロッケパン、カレーパンを選んだ。

公園はほどほどの賑わい。久慈川の土手に座り、パンを食べる。陽射しが強く、暑い。



トイレに行くが、その往復の間にカメラのレンズキャップを失くしてしまう。キャップをつける時、落とさないようにしないとなあ、と思ったのだ。まんまとその通りになってしまう自分のうかつさが腹立たしい。

帰りに那珂市の、常陸の国二ノ宮、静神社に行く。こちらは至って静かなたたずまい。



結構な石段が続く。田植えの筋肉痛が・・・。




明るくさっぱりとした印象。清浄な空気が漂う。

妻と長男がおみくじを引いたが、二人とも同じ番号を引く。売ってる人も、ちょっと笑っていたぞ。

もう一度、急な階段を下りる。


帰りは城里町から石岡に向かう街道を行く。初夏のドライブ(立夏はまだだけど)。気持ちいい。

3時頃、帰宅。猫にごはんをやって、おやつを食べる。ソフトクリームを食べたかった妻はチョコバッキ―。今日は夏日だったからね、皆でチョコバッキ―を食べる。

妻と夕方ビール。

夕食は、茄子と玉ねぎの牛肉炒め、ほっけ、焼きおにぎりで燗酒。

食後に妻と飲む。私はいただきものの純米吟醸を、やはりいただきものの片口とぐい吞みで飲む。ああ旨いねえ。


寝しなにジョニーウォーカー赤ラベル。


2023年5月3日水曜日

田植え、そしてBBQ

朝、御飯、味噌汁、チャンプルー、ウィンナーソーセージ、めかぶ。

「あまちゃん」と「らんまん」を見て、妻は仕事に行く。

今日は田植え。まずは農協に苗を取りに行き、田圃へ行く。植えるのは近所の人に頼んでいる。私は苗を渡す役。これが結構疲れる。1時間半で植え終わる。四隅を手植え。11時頃、全工程終了。

 


昼は息子たちが作ったニラ挽肉丼。旨し。

午後は骨休め。吉田拓郎と友部正人のCDを聴く。豆もまったりと昼寝。


頃合いを見てバーベキューコンロを取り出し、炭をおこし始める。田植えの後のバーベキューは我が家の恒例行事でもある。妻は3時頃帰って来る。

炭がいい感じになってきたので、明るいうちから、ビールを飲みながら、バーベキュー開始。


この後、酒を赤ワインに切り替え、海老を焼いて、ホタテを焼いて、豚レバー、豚ロース、豚バラ肉を焼く。基本的に塩胡椒で味をつけ、わしわし食べる。旨いねえ。

最後は炭火を見ながら飲む。火を見ていると、何だか心が落ち着くなあ。


ふと空を見ると、きれいに月が出た。


7時ごろ終了。風呂に入って妻とQBBチーズで赤ワイン。ジョニーウォーカー赤ラベルをロックで飲む。