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2019年1月30日水曜日

橋本治氏を悼む

昨日、宵のつれづれに、本棚からふと、橋本治の『これで古典がよくわかる』を取り出して読み始めたら、面白くて止まらなくなった。
そして、今日の朝刊で彼の死を知る。突然の訃報で驚いた。昨年6月に癌が見つかり、療養中だったという。
私が橋本氏を知ったのは学生の頃。氏が書いた少女マンガの評論を読んだのが最初だった。それは萩尾望都を論じたもので、それがきっかけで私はしばらく『ポーの一族』や『トーマの心臓』などに耽溺したものだ。氏のマンガ評論は『花咲く乙女たちのキンピラゴボウ』という本にまとめられ、この本も私はもちろん買って読んだ。
それからはなはだ不純な動機だが、ロマンポルノで映画になった『桃尻娘』の原作が氏の小説だということを知り、それも読む。それは映画とは似ても似つかぬものだったが、女子高生の一人語りによる、とんがった物語は確かに魅力的だった。私は『帰って来た桃尻娘』まで買って読んだと思う。
ただ、私としては小説より、評論やエッセイの方をよく読んだ。氏の守備範囲はおそろしいほど広く、自分だけでは見えないものを見せてくれるような感じがした。私は『ひらがな日本美術史』で運慶のすごさを知ることができたし、『三島由紀夫とはなにものだったか』で、それまで敬遠してきた三島を読む気になった。新聞などに載る氏の時評に蒙を啓かれたことも多い。私にとって氏は、ちょっと大げさかもしれないが、「知の巨人」と言うべき存在だったのだ。
氏は「〝わからない〟を認めない限り、〝わかる〟は訪れない」(『これで古典がよくわかる』より)という。氏は「わかるものを書く」というより「わからないものについて書きながら考える」という人である。だから、文章は平易だが時に内容は難解になる。着地点がどこか、たどることができないことに耐えられず、最後まで読めなかった本も実はけっこうある。(これを機に、物置から持って来てそんな本を読み返してみたいと思う。)
橋本治氏、享年70歳。内田樹氏はネットにアップされた追悼文の中で「橋本さんの通った後なら大丈夫。あそこまでは行っても平気というのは後続するものにとってはほんとうに勇気づけられることだった。」と書いているが、本当に偉大な先達だったと思う。私にとっては遥か先にだが、灯をともしてくれる人がいなくなったことは、とても寂しい。
橋本治氏のご冥福を祈る。
新聞によると、喪主はご母堂とのこと。それも切ない。

2019年1月27日日曜日

初雪 

昨日の日記。
朝、雪がちらつく。これが、この冬の初雪。うっすらと白い所ができた程度だった。



仕事に出かけた妻から、「筑波山が白くなっていたよ」とメールが来たので、霞ケ浦の堤防に出てみる。もはやそうでもなかったか。


長男が久し振りに休みに家にいる。兄弟水入らずで勉強したり、遊んだりしている。
コーヒーを淹れて長男と飲む。コーヒーが飲めない次男は牛乳を飲んだ。
阿川弘之『志賀直哉』を再読。
昼はチャーハンを作って食べる。妻は2時過ぎ帰って来る。
雪が降ったので、夕食は湯豆腐にしてもらう。ちらつく程度だったけど、気分のもんだからね。菊正宗樽酒の燗。食後はミー太郎を膝にのせボウモア。
次男と三代目桂三木助の『へっつい幽霊』を聴く。久々。やっぱりいいなあ。粋で、またとぼけた味が何とも言えない。(大阪弁はかなりあやしいけど)

今日の日記。
朝は雑煮。
長男が合唱部の助っ人でコンクールに出るというので、常陸太田まで妻と次男を連れて行く。
途中、道の駅「黄門の郷」に寄る。


せっかく常陸太田に来たのだからと、昼食に蕎麦を食べた。私はせいろ。750円也。私と次男はローズポークの肉まんも食べる。


市のホールでお兄ちゃんの発表を聴く。よく頑張った。
鯨が丘を通って帰る。旧市街はいいなあ。何年か前に歩いた時の写真を載せる。




おやつに妻と道の駅で買った揚げあんパンを食べる。食パンにあんこ挟んで揚げたもの。ミー太郎にやると、喜んでがつがつ食べた。
夕食は鶏のパン粉焼き、道の駅で買って来た椎茸の焼いたので燗酒。
今日は穏やかな冬晴れの一日でした。



2019年1月25日金曜日

常陸国総社宮、そして二十一世紀枠

石岡市にある常陸国総社宮。大宝令に制定された神祇官に相当し、神祇を掌り常陸国内の諸社を総括した神社である。国家鎮護の社として、常陸・武蔵・甲斐・駿河・長門・対馬の国府が選ばれたが、常陸国府に第一創建あるべし、との勅命により建てられたという。



鳥居をくぐると参道が続くが、この先に社殿があるのではない。突き当りを、直角に左に曲がると、その先に随身門がある。

随身門。
寛永4年(1627年)再建されたもの。

境内には土俵があって、お祭り期間中には奉納相撲がある。


社殿が門から入って正面にあるのではなく、左側に横向きに建っている。かなりユニークなレイアウトだと思う。何か謂れがあるのだろうが、よく分からない。



本殿は一昨年だったか、修理が入った。

神武天皇遙拝所。
明治19年に創始。社殿は平成22年に新築されたもの。



日本武尊の腰掛石と手塚治虫のコラボレーション。手塚の祖先で、『陽だまりの樹』にも登場する手塚良庵が、江戸時代末期、府中藩主松平播磨守に仕えていたという。(なお、『陽だまりの樹』の主人公は、架空の府中藩士、伊武谷万二郎である。)そうした縁で、平成25年から手塚プロダクションの協力で、手塚作品と総社宮とのコラボレーションによる、御朱印帳、絵馬、お守り、クリアファイルなどのグッズが販売されている。手塚ファンの方は是非お求めいただきたい。

と、昨夜、総社宮の記事を書いて一晩寝かしていたら、今日になって、春の全国選抜高校野球大会の二十一世紀枠で、地元石岡一高の甲子園出場が決まったというニュースが飛び込んできた。
うーん、これも総社宮の御利益でしょうか。



いずれにせよ、石岡の街は盛り上がるでしょうなあ。


2019年1月22日火曜日

スーパームーンで「月光」

昨夜はスーパームーン、見事な月夜だった。
長男の習い事の送迎をした時、せっかくだからと車の中でベートーヴェンのピアノソナタ「月光」を聴く。演奏はルドルフ・ゼルキン。
第一楽章の静謐。優美な第二楽章。そして第三楽章でゼルキンが奔る。まさに圧巻の演奏。

ベートーヴェンが月夜に散歩をしているとピアノの音が聞こえた。弾いていたのは盲目の少女。驚いた彼がその家に上がって即興で弾いた曲がもとになり、ピアノソナタ「月光」が生まれた。という伝説があるが、どうやらこれはフィクションらしい。

中原中也は「お道化うた」という詩の中で、このエピソードをうたっている。
「月の光のそのことを、/盲目少女(めくらむすめ)に教へたは、/ベートーヱ"ンかシューバート?/俺の記憶の錯覚が、/今夜とちれてゐるけれど、/ベトちやんだとは思ふけど、/シュバちやんではなかつたらうか?//霧の降ったる秋の夜に、/庭・石段に腰掛けて、/月の光を浴びながら、/二人黙ってゐたけれど、/やがてビアノの部屋に入り、/泣かんばかりに弾き出した、/あれはシュバちやんではなかつたらうか?(後略)」

今朝起きたら、西の空にまだ大きな月が出ていた。


2019年1月19日土曜日

風邪っ引きの日々

ここ一週間、風邪を引いていた。
そのさなか、昨夜は地元の先輩と飲む。
なじみのスナックで、もつ鍋、煮物、イカ刺、ナマコなどでビール、燗酒、焼酎を飲む。
なんだかんだで帰って来たのは1時過ぎ。


そんなわけで、今日は8時まで寝てた。
朝はお茶漬け。午前中ごろごろ。
風邪を引いてからこっち、ずっと鼻が詰まって苦しかったので、とうとう耳鼻科に行く。風邪から副鼻腔炎を起こしているらしい。薬がしこたま出た。
ミー太郎の方も、今日は何だか寝てばかりいるし、餌も食べない。風邪でも引いたのだろうかと思い、ずっと家の中にいさせた。
夕方、妻と次男で猫のトイレを買って来る。いよいよミー太郎も家猫になるんだな。


ついに次男の手から「チャオちゅーる」を食べた。

夕食は昨日親父が那珂湊で買って来た牡蠣を鍋にする。酒は自重する。

先日、朝日新聞に坂本龍一氏のインタビューが載っていた。その中で氏はこんなことを言っている。
「日本では『袋叩き』に遭うのが怖くて口をつぐむ人も多い。ただ、ネット上の一部の人間の暴走をまるで社会の空気かのように感じる必要もないし、テレビ番組がその後押しをすることも本当にばかばかしい。僕は気にしません。」
かっこいいいな、と素直に思う。

2019年1月9日水曜日

かごぬけ地蔵


「かごぬけ地蔵」といわれるお地蔵様。
江戸の昔、霞ケ浦の対岸に、水戸藩の追放所があった。水戸から唐丸篭で送られて来た罪人は、このお地蔵様の前で篭から出され、船に乗せられて対岸へ渡る。対岸にも地蔵堂があり、罪人はそこで縄を解かれ、刑期の終わるまで、すぐ前の建物で仕事をしたという。
ここで篭から出されたので、このお地蔵様を「かごぬけ地蔵」、対岸のお地蔵様は、そこで縄を解かれたので「縄とき地蔵」と呼ばれた。
私は高校時代、文芸部に所属していた。隣の女子高で開かれた句会に参加した時、「木枯らしやかごぬけ地蔵の首もとれ」という句を出して一等を取った。文芸部の顧問は「味風」という号を持つ俳人だったが、私の句を評して、「若い人が詠んではいけない句だとは思いますが、切っ先の鋭さを感じます」と言ってくれた。私は評の前半をすっとばして、「そうか、おれの句には切っ先の鋭さがあるのか」といい気になったものだ。(もう一つ出した句は「季重ね」を厳しく指摘されたが。)
というわけで、私が俳句に興味を持つきっかけになったのが、このお地蔵様なのである。

この首のとれたお地蔵様が、かつて私が俳句に詠んだものなのだろう。

20年ほど前の「かごぬけ地蔵」。
後ろの木は伐採されてしまったのだな。

2019年1月6日日曜日

日食の日

朝、御飯、味噌汁、ハムエッグ、納豆。
長男はテスト前だと言って家に籠る。
次男と妻が買い物に出かける。長男と留守番。
勉強の合間にコーヒーを飲んでいると、妻から長男に電話がくる。今、ちょうど部分日食だという。
さっそく遮光板を出して太陽を見る。太陽の一部が欠けているのがはっきり見える。ミー太郎を膝にのせ、しばし天体観測。

遮光板越しにデジカメで撮影した。
昼は妻が作った焼きそば。
昨日買った『安倍官邸vs.NHK 森友事件をスクープした私が辞めた理由』(相澤冬樹・文藝春秋)、読了。出版されてすぐNHKが「虚偽の記述がある」とクレームをつけた。提訴も辞さない姿勢だという。著者には記者としてのプロ根性で、「真相解明」というよりむしろ「みえみえの事実」を立証してくれることを期待する。それにしても、ここんとこ「〝こっち側〟につけばポストも仕事もあげるけど、つかなきゃみんな取り上げるよ」みたいな風潮が露骨で、辟易する。関ヶ原以来、日本の体質は変わっていない。
夕方にキリンハートランドビール。
夕食は鶏のから揚げ、白菜のサラダ、さつまいものオレンジ煮、塩辛で酒。

先日、霞ケ浦の堤防を歩いた。
風がなく湖面には波もない。逆さ筑波がきれいに見えた。


2019年1月3日木曜日

鹿島神宮

私と妻は毎年正月に、村松虚空地蔵尊堂に行っているが、親父は鹿島神宮に行く。
「今年は行くのか」と訊くと、迷っているようなので、私が車で乗せて行くことにした。
昼までに帰って来る予定で、朝8時過ぎに家を出た。
9時頃到着。駐車場はまだ何とか空きがある状態。臨時駐車場に車を止め、参道を歩く。


もうこの時間にけっこうな人出だ。


まずは拝殿にお参りし、奥参道を進む。



奥宮には行列ができていた。


お参りを済ませ、前の茶店で甘酒をいただく。

奥宮の向こうから朝日が差し込む。
神々しい。

帰りに親父が大判焼きをお土産に買う。10個の大人買い。
10時頃になると駐車場もほとんど満車で、参道に向かう道も渋滞していたな。
家に着いたのは11時頃。
お昼を食べて、妻の実家に年始に行く。
妻と次男はお泊りだが、長男はテストが近いと言って日帰り。ということで夕食にドミノピザをいただき、長男を乗せて帰る。
風呂に入ってビール、とろとろとボウモアを飲む。


2019年1月2日水曜日

村松虚空地蔵尊堂

妻子を連れ、村松虚空地蔵尊堂にお参りに行く。
いつもの駐車場に車を止め、参道を歩く。


村松虚空地蔵尊堂。大同2年(807年)創建。明治33年(1900年)門前の民家からの出火で、堂宇が悉く焼失する。本堂は大正6年(1917年)、仁王門は昭和45年(1970年)に再建された。



お参りを済ませ、裏手へ回り奥の院と三重塔を見る。

三重塔は平成10年(1998年)再建。

昭和9年(1934年)に寄進された奥之院多宝塔。

参道の屋台で大判焼きを買う。
妻と子どもたちはお参りのお楽しみ、甘酒を買って飲む。


干しいもを買って阿字ヶ浦へ移動。海を見ながら、コンビニで買ったおにぎりやサンドイッチを食べる。


磯崎漁港に翻る大漁旗を見る。




平磯から那珂湊、大洗を、海を眺めながらドライブ。1時半には家に帰る。
夕食はレンコンハンバーグ、厚揚げ、おせちで酒。
食後、ミー太郎を膝にのせボウモアを飲む。
昨夜、妻にひとくち飲ませて「どう?アイラ島の北の海の香りがするだろう」と訊いたら、「吉田小児科の匂いがするよ」と言われてしまいました。

2019年1月1日火曜日

謹賀新年

朝は雑煮、おせちで酒。
常会の新年会に出る。12時過ぎにお開き。
初詣に近所の神社へ行く。





帰ってコーヒーを飲みながら、ミー太郎と遊ぶ。


夕食は豚すき焼きで燗酒。
また新しい年が始まりました。