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2021年5月30日日曜日

5月最後の土日

昨日の日記。

朝、妻が奮発して買って来た美味しい食パン、スクランブルエッグ、ウィンナーソーセージ、紅茶。

次男と南流山。


次男のワーク50分の間、モスバーガーでコーヒーを飲みながら『あさま山荘銃撃戦の深層』を読む。店内にはジャズの女性ボーカルが流れている。ビリー・ホリデイだけは分かった。

古本屋をひやかす。この古本屋にはいつもビートルズがかかっている。森雅之『追伸』を買う。

昼は守谷のサービスエリアで食べる。私は守谷スタ丼定食。スタミナ丼なのね。にんにくががつんと利いている。


1時頃帰る。

本を読みながらビリー・ホリデイのCDを聴く。

夕食はピザでビール、白ワイン。

寝しなにアイリッシュウィスキー。


今日の日記。

朝、パン、スープ、ハムステーキ。

お昼はコンビニでパンやおにぎりを買って海を見ながら食べる。

鉾田市の大竹海岸。潮干狩りに来た人がたくさんいた。




夕食は焼肉でビール、赤ワイン。

5月ももう終わりだねえ。

2021年5月28日金曜日

土浦の昼飯② 中城通り

土浦では中城通りが好き。古い味わい深い建物が多い。

ここまで来たら、お昼は吾妻庵総本店で食べたい。

土浦きってのそばの老舗。何度も記事にしているが、店構えが最高だ。



実はこの建物、一度火事で焼けている。多分20年ぐらい前になると思う。

焼ける前、結婚したばかりの妻を連れて行ったことがある。テーブル席がある土間の奥に小上りがあって、おじいさんがステテコ姿でお昼食べたりしていた。

半焼だったがその後、寸分の違いもなく建て替えられた。あの佇まいを残してくれたのだ。うれしかったな。

店内に下がっているメニューの木札がいいのよ。


花巻、しっぽく、おかめにあんかけ、粋だねえ。木田余の支店には丼物のセットメニューもあるのだが、ここは丼物は一切ない。総本店としての矜持がのぞく。(木田余の丼物がまた旨いのだ)

では、写真に残っているものをあげておく。まずは基本。もりそば、大盛。


この盛りのよさを見よ。

お次はカレー南蛮。ちょっと辛め。ライスが欲しくなるんだよね。


こちらは天南蛮。入っているのはかき揚げ。天ぷらそばよりもリーズナブル。



そして看板メニュー、「百年天ぷらそば」。海老天のコロモに小海老がまじっている。

状況が許せば、ぜひここに一本、燗酒をつけていただきたい。


美しい構図でしょ。


中城通り入口にある、ほたて食堂。存在感あるよねえ。



ここは何と言っても天丼だねえ。


たまんないよねえ。

名物、あら汁。

その昔は海軍御用達の店だった。将校が通った料亭ではなく、普通の軍人さんが休みに食べに来たお店。親との面会もここで行われたという。

当時と変わらぬ雰囲気なんだろうなあ。



おまけ。これも中城通り、まちかど蔵の喫茶店。

長男が高校時代、通った店。テストで帰りが早かった時などは、ここでお昼を食べるのが楽しみだったという。私も散歩の途中でよく入る。落ち着くんだよなあ。

長男はカレー、私はシチューを食べた。



ステンドグラス、いいよね。

煉瓦造りの蔵を喫茶店にしたのである。

持ち駒はここまで。土浦には美味しいお店がたくさんあると思う。皆さん、是非土浦に来て、ご自分で開拓していただきたい。




2021年5月25日火曜日

土浦の昼飯 亀屋

土浦のランチ特集をリクエストされた。

とはいえ、私は気に入った店に何度も行くタイプ。貪欲に情報を集めて、あちこち食べ歩くタイプではない。当然、持ち駒は少ない。

多く食べているのは、フードコートの華丸うどんとかケンタッキー・フライド・チキンとかマクドナルドのハンバーガー、たまに贅沢をしてレストラン街のからりで天丼とかだ。(イオンやないかーい)

それでも、散歩の途中にふらりと入る店はある。それでよければやってみよう。


まずは亀城公園近くの亀屋。


何てったってここはメニューが多い。その中でもイチオシは名物カツ丼だろうな。

肉の厚み、卵のとじ具合、甘辛いタレ、完璧です。
これがまた冷めても旨いんです。

洋食もいい。

オムライスも盛りがいいや。

王道のカツカレー。

そして憧れのポークソテー。

見よ、この迫力。

んで、中華もあるのよ。

こちらは五目そば。

塩味が舌に優しい。

店内の佇まいが、また素晴らしい。食事は総合芸術だ。この雰囲気を出すには、それ相応の年月の積み重ねが必要なのだ。




長くなるので今日はここまでにしよう。気が向いたら続編やります。




 

2021年5月23日日曜日

フォークを聴く休日

朝、御飯、味噌汁、ウィンナーソーセージ、スクランブルエッグ、納豆。

久しぶりの晴れ。ガスレンジが壊れたので、カインズホームに買いに行く。

昨日図書館で借りてきた『あさま山荘銃撃戦の深層』(大泉康雄著)を読む。

遠藤賢司、ディランⅡ、なぎら健壱を聴く。遠藤賢司の初期のアルバムは、細野晴臣、鈴木茂、松本隆がバックを務めていたんだね。すごなあ。ディランⅡはサウンドや曲調が、やはりボブ・ディランに大分影響を受けている。それにしても大塚まさじは歌が上手いな。昨日今日とフォークづいておりました。

昼は妻が作った海苔巻きと稲荷寿司。旨し。

午後は天気もいいし、オリンパス・ペンと高浜を散歩する。

恋瀬川の堤防の所に車を止めて歩き出す。

洋品店は蔵だけ残して取り壊された。

この肉屋さんも閉店してしまいました。

高浜神社。

恋瀬川河口に戻る。

おやつにたい焼きアイスを食べる。旨し。夕方ビール。

夕食は石焼ビビンバでビール、酒。食後にアイリッシュウィスキー。

明日は月曜、頑張ろう。

2021年5月22日土曜日

大洗八朔祭と出雲神話

以前、大洗磯前神社で出雲の国譲り神話を思わせる神事が行われていたと紹介した(「大洗で出雲神話が再現されている」)が、そのうちのひとつ、「網掛祭」について調べてみた。この間、網掛に行ったのがきっかけになったのである。当時見たウェブサイトの記事を基にして書いたのだと思うが、あの記事は、けっこう不正確なものだった。改めてここで記事にしたい。

 

これは旧暦の8月1日に、網掛と宮ケ崎(ともに茨城町)、両神社の神官が大洗磯前神社に赴いて行っていた神事である。「八朔祭」というのが一般的なようだ。

古くは鹿島神宮から(馬で行ったという説と海路だったという説があるが)盾と矛を奉じたという。ところが距離が長く大変だということで、近世以降は大洗磯前神社の末社である両神社で執り行うこととなった。

この二社は、網掛の神明雷神社と宮ケ崎の鹿島神社、大洗磯前神社の末社というが、祭神はともに建御雷(タケミカヅチ)であり、鹿島神宮の代理である。鹿島神宮の末社と言ってもおかしくはない。

網掛、神明雷神社。涸沼を望む高台にある。

宮ケ崎、鹿島神社。
網掛の隣の集落。神明雷神社から数百メートルの鬱蒼とした森の中にある。

当日は両社の神官はじめ7名が馬に乗り大洗に向かう。(昭和初期の記録によると、それに多数の氏子が行列を組みながら随行したという)

一行は大洗に入ると、夏海と大貫の海際、潮見塚で休憩をとる。ここでは磯浜の町々が年番で手作りの酒を振舞った。

その後、浜辺を馬で駆けて曲松に入り、笹竹で支えられた注連縄を長太夫馬あるいは平太夫馬と呼ばれた神官が剣で切り払って吉凶を占った。

そして、また騎馬で大洗磯前神社に向かい、北殿の壇場で神事を行う。神官は盾と矛を持参している。盾は鬼板と呼ばれ、幅二尺、長さは三尺、神獣らしい絵が描かれていたという。この鬼板を、三回・五回・七回と翻し、三度勝どきを上げる。そして鬼板と矛を一缼(いっけつ)に鎮めて海内寧謐を祈り、もう一度勝どきを上げ、神事を終えた。

 

鹿島神を祀る神社の神官が、大国主神を祀る大洗磯前神社の神域を示す注連縄を切って参入し、社内で勝どきを上げる。まさに出雲征服を模した神事と言えるだろう。

ちなみにこの神事は道路事情から昭和37年(1962年)以降行われなくなった。

 

現在、八朔祭は大洗磯前神社の例大祭として8月25日に神事が行われ、その週の土曜日には宵祭として山車が町内を巡り、日曜日は本祭として神輿や山車が歩行者天国となった大洗商店街を練り歩き磯節のパレードが行われるという一大イベントとなっている。

 

八朔祭というのは全国各地にある。旧暦8月1日頃は稲に実がつく時期であり、五穀豊穣、子孫繁栄を祈って行われるものだ。

大洗でもそういうお祭りにはなっているが、もともとは出雲神話の再現を目的としており、その点でとりわけユニークなものなのではないかと思う。 

2021年5月20日木曜日

涸沼、網掛

先日、仕事の帰り、茨城町網掛に寄って来た。

網掛公園駐車場はコロナ感染予防のため閉鎖。仕方がないので道端に車を止め、堤防に上がる。



広浦の松原が対岸に見える。雨にけぶった風景は、まさに一幅の水墨画である。



 公園の中央には弁天様が祀られている。



網掛は大洗磯前神社の八朔祭、ゆかりの地である。

八朔祭については色々調べたので、次回ご報告したい。

2021年5月18日火曜日

涸沼、広浦

通勤は涸沼の南岸を通っていく。

網掛の坂を下りる時 、正面に広浦が見える。湖上に突き出た松原が優美だ。晴れていてもいいし、雨の日などはまるで一幅の水墨画を見るようだ。

この間、休日出勤があった。仕事を早めに終え、時間があったので、涸沼の北岸を通って帰った。

ふと思い立ち、広浦に寄ってみた。

徳川斉昭が定めた「水戸八景」のひとつ。現在はキャンプ場になっている。若い頃はここでよくキャンプをした。湖面にカヌーを浮かべて飲む缶ビールは最高だった。

まずはこの地を守る大杉神社。


大杉神社といえば、稲敷市の「あんばさま」が本社。江戸時代の天保9年(1838年)に分祀されたという。天然痘退散を祈念してのことだったらしい。もともとこの神社は船王の神を祀っており、水辺に多い。高浜にもある。
境内にはなぜか蛇を彫った祠があった。


後ろには茨城百景の碑もあった。

こちらは水戸八景「広浦秋月」の碑。こちらは天保4年(1833年)選定。「月色玲瓏たり広浦の秋」と斉昭公はうたう。ここが観光地になったのは、江戸時代天保年間ということになる。



キャンプ客がけっこういた。このコロナ禍で、比較的リスクの低い行楽がこれなんだろうな。



またキャンプやりたいなあ。親友S君のキャンプ料理、旨いんだよなあ。